The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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東野祥子
東野祥子(ひがしの・ようこ)
1972年奈良県生まれ。10歳でダンスを始め、現在はダンスカンパニー「BABY-Q」の振付家、ダンサーとして活躍。また「煙巻ヨーコ」名義で即興アーティストとのセッションを、クラブ・ライブハウス・ギャラリー・野外等で展開。2000年、Dance Company BABY-Qを結成。2004年、トヨタコレオグラフィーアワード2004にて上演した『ALARM!』で大賞の「次代を担う振付家賞」を受賞。2005年横浜ソロ×デュオ〈Competition〉+(プラス)にて群舞部門「未来へ羽ばたく横浜賞」を受賞。代表作としてこれまで、『ALARM!』『GEEEEEK』『error code』などを発表。アメリカ、フランス、イタリア、シンガポール、韓国など海外のフェスティバルに招聘され、国内外で活動を展開。2005年より東京・高円寺で、スタジオBABY-Q Lab.を運営している。

BABY-Q
http://www.baby-q.org/
『私はそそられる "I am aroused"』
「そそられる」という行為に秘める身体の感触を確かめ合うように女性ダンサーたちが踊り狂う。鏡をみ、化粧をし、男を下僕にする女たち。肌色の皮膜のような衣裳をまとい、身体を滑らす手の先に見える、本当にそそられているものとは何なのか。2008年初演。2009年8月に東京・吉祥寺シアターにて再演予定。
Photo: Yoshikazu Inoue
私はそそられる
私はそそられる
私はそそられる
an overview
Artist Interview
2008.12.2
dance
A geeky world born of unique collaborations The dance performance of Yoko Higashino  
異色コラボが生み出すgeekな世界 東野祥子のダンスパフォーマンス  
モダンダンスを振り出しに、2000年、自らのダンスパフォーマンスグループBABY-Qを設立したダンサー・振付家の東野祥子。ダンサー、役者、ミュージシャン、映像作家、ロボット制作者など個性的なメンバーやゲスト・アーティストとともに、サブカルチャーを意識した猥雑でgeekな作品を発表。クラブでミュージシャンとのギグを行うなど、若者文化とも通底する東野のロングインタビュー。
(聞き手:黒パイプスターダスト)



──ダンスというものとの、そもそもの出会いについてお話しいただけますか?
 奈良の桜井という田舎に生まれ、引っ込み思案で取り柄のないおとなしい女の子でした。麿赤児さんと同郷なのですが、体だけは柔らかくて、テレビを観ながら楽しそうに踊っているのを見た母親が「この子は踊りをやったらいいんじゃないか」と思ったようで、書道やそろばんといったお稽古事の一つとして10歳からモダンバレエを習い始めました。おとなしい子だったから黙ってずっと続けていたんですが、そこでの踊りも楽しくて。それで、大阪で活動されていた巻田貞之助・京子芸術舞踊研究所というところで踊り始めました。

──巻田貞之助・京子芸術舞踊研究所ではいつ頃まで踊っていたのですか?
 お稽古事の意識としては高校生くらいまで。コンクールに出ることになった時、先生に「自分で作品をつくってみないか?」と言われて、そこから自分の表現というものが始まったように思います。その時に自分が何をやりたいかということを初めて考えた。それまでは先生の振り付けで、先生がつくった世界で踊っていたわけだけど、何か違うなという気持ちもあって。

──バンドでいえば、コピー曲ではなくオリジナルをやろうと。
 そうそう、オリジナルをやりたくなった。「この音楽で踊りたい!」というのがアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンだったりして(笑)。それで服を裂いたり、口をガーッと開けて叫ぶようにしてみたり。高校3年生の頃ですね。発表会でノイズ/インダストリアル音楽を使って、これまでの先生の世界とは真逆のものをやった。そこで、先生がそういうものをやらせてくれたというのが良かったんでしょうね。「そんなの駄目。もっときれいな踊りをしなさい」ではなく、「いいじゃない、祥子ちゃん!」って(笑)。それを伸び伸びとやらせてもらえたのが、今の自分に至る最初のきっかけだったかなと思います。そして、自分を表現したものがコンクールに入賞したっていうことが、「これでも認めてもらえるんだ」という、自分の中での確信になった。元々、映画でも音楽でも美術でも退廃的な世界観をもったものが好きだったんですが、そういったものを踊りで形にできた。それが今も自分が続けてやっていることの原点になっています。自分が頑張ってつくり出したという面白さ。狭い自分の部屋で壁に手が当たったりしながらね。

──72年生まれの東野さんにとって、その当時、ノイバウテンは既に新しい音楽ではなかったのではないですか?
 はい。その時代の一番新しいものはマドンナとかマイケル・ジャクソンとかで、そういうのも先生は使ったりして、私もそれで踊ってた(笑)。でも「どうなんかな?」って自分では思っていました。

──奈良の田舎に住む女子高生がノイバウテンのような音楽を知ることとなったきっかけは?
 私は奈良の天理高校という、全国から生徒が集まり、その半分が寮生という学校に通っていました。私は実家から通っていたし、天理教の信者でもなかったんですが、その中にバンドをやっている子たちがいて影響を受けました。一緒にライブを見に行ったり、出来たばっかりのクラブに行ったり。

──その後、高校を卒業してすぐに大阪へ?
 しばらくは奈良にいました。今まで奈良で習っていた先生は大阪にも教室をもっていたので、大阪の短大に通いながら子どものクラスで先生の助手をやったり、代稽古をしたり、自分の稽古を見てもらったりということを毎晩やっていました。短大を卒業した後も助手を続けていたんですが、自分でももうちょっとダンスを掘り下げてつくっていきたいなという気持ちもあって、別の先生にも習い始めたり……。
 そういう枠の中にいてわかってくると、どうしても出て行きたくなるというか、自分で表現したくなってくる。それで、一度自分でやってみようと思い、2人のDJと「ERROR SYSTEM」というユニットを組んで大阪でパフォーマンスを始めました。私はその頃、ソロでもディジェリドゥ奏者と一緒にライブをやったりしていたんですが、お寺でパフォーマンスをした時に、今、BABY-Qで音楽を担当している豊田奈千甫という女の子と出会い、現在のBABY-Qの母体をつくりました。

──その当時、ERROR SYSTEMが出演していたイベントはどのような内容だったのですか?
 私は大阪のコンテンポラリーダンスのシーンに近寄りたくなかった。所謂、ダンス業界的なものが。そこに入ってしまえば簡単に公演をしたり、色々なところと繋がりができたのでしょうが、向こうも私がやっていることを気にもかけていなかったし。それで自分たちはクラブや、ステージとサウンドシステムしかないような野外でやっていました。

──90年代の終わりは、国内でもレイブのような野外の音楽イベントが定着し始めた頃でしたね。
 そうですね、そういった場所に行ってパフォーマンスしたり、自分たちで企画してお寺でやったり。大阪造形センターの上に「カラビンカ」という小さい劇場があって、そこで自主公演をやったり。それと並行して、維新派(大阪の前衛劇団)から派生した「プリティーヘイトマシーン」という野外劇団に女優兼ダンサーとして出たりしていました。
 あの頃は、やれる場所も状況もなかった。受け皿もシステムも。あと、ダンスに関しては観客もいなかった。今までダンスを観てきた人たちっていうのではなく、もっと自分の表現を同じレベルで感じてくれる人たちが、もっとダンスに近づいてほしいという気持ちがあった。それは今でも変わっていません。観客自体を、私たちの表現を面白いと思ってくれる人を探していました。アウェイというか、踊りに来ている人たちの前でいきなりパフォーマンスしたら「何?」って反応されるような場所で、後で「良かったよ」って言われるように、考えながらやっていましたね。

──その頃の大阪のダンスミュージックのシーンで、所謂ダンサーが踊るということは珍しかったのでは?
 レゲエ、テクノ、ハウスといった音楽から出て来たダンスではなくて、コンテンポラリーのような「よくわからないダンス」っていうのは、特異な存在ではあったと思います。ERROR SYSTEMは3〜4年やりましたね。

──ERROR SYSTEMという名前の由来は?
 間違ったシステムを作っていこうと3人で決めた。そもそも受け皿やシステムと言ったものが本来間違っているということを言いたかったというのもあって。ERROR SYSTEMでダンス業界がやっているフェスティバルに応募したこともあります。その頃はやる場所が本当になかったから。でも後々、その頃にERROR SYSTEMの存在を知ってずっと探してくれていた子が、今やっと辿り着いてBABY-Qにいたりするんです。出演情報は殆ど表には出ていませんでしたからね。

──ERROR SYSTEMの活動とBABY-Qの立ち上げは、時期的に重なっているのですか?
 一人でダンスをやることに限界を感じ始めたんです。言えることが限られてきますから。色んな面白い人たちを出演させ、キャラクターなりイメージを使って、そういう世界をつくってみたい、演出したいと思い始めていた頃、豊田奈千甫と池端美紀と3人でBABY-Qを始めました。2000年に島之内教会で行った公演がBABY-Qの旗揚げです。キリスト教の教会でやったのはプリティーヘイトマシーンや維新派の影響があったと思う。どちらも自分たちで世界をつくっていくというDIYで(笑)。野外の掘っ建て小屋に1カ月泊まり込み、舞台設備から全部つくっていくというハングリーな感じに影響を受けて「自分でもやってみよう」と思った。
 その時の公演(『E-DEN - electronic garden』)の参加メンバーには、元維新派の女優であったり、ミュージシャンであったり、ストリップダンサーであったり、役者であったり、ダンスを習っていたという人は一人もいませんでした。演劇とまではいかないけど、最初の頃のBABY-Qには具体的なキャラクターやストーリーがありましたね。かなり無茶苦茶なテンションでやっていました。キリスト教の教会でストリップダンサーがシスターの格好で逆十字でオナニーしたり、最後にダンサーがデストロイド・ロボットをぐちゃぐちゃに壊してしまうとか、そういうことを「教会のステージでやっちゃった」みたいな。神父さんが「早く帰ってくれますように」ってお祈りするみたいな(笑)。
 
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