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藤田貴大
藤田貴大(ふじた・たかひろ)
1985年、北海道伊達市出身。劇作家、演出家。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ。作品ごとにキャストとスタッフを集め、公演を行っている。以降全作品の作・演出を担当し、横浜を中心に演劇作品を発表。2008年3月に発表した『ほろほろ』を契機に、いくつもの異なったシーンを複雑に交差させながら、同時進行で描く手法へと変化。象徴するシーンのリフレインを、複数の別の角度から見せる映画的手法を創作の特徴とし、そこから生まれる俳優の「身体の変化」も創作に活かしている。また、俳優が持つパーソナリティーを観察し、劇中の人物と擦り合わせることで生まれるリアルさや、多様な演技の質感を作品に大きく反映させている。近年、主な創作テーマとして人間の「記憶」を取り上げている。代表作に『コドモももももも、森んなか』『たゆたう、もえる』『しゃぼんのころ』などがある。
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Play of the Month
『Kと真夜中のほとりで』
(2011年11月/こまばアゴラ劇場)
撮影:飯田浩一
Kと真夜中のほとりで
Kと真夜中のほとりで
Kと真夜中のほとりで
『コドモもももも、森んなか』
(初演:2010年11月、再演:2011年2月/STスポット)
撮影:飯田浩一
コドモもももも、森んなか
コドモもももも、森んなか
コドモもももも、森んなか
『塩ふる世界。』
(2011年8月/STスポット)
撮影:飯田浩一
塩ふる世界。
塩ふる世界。
塩ふる世界。
『ハロースクール、バイバイ』
(2010年11月/アトリエ劇研)
撮影:飯田浩一
ハロースクール、バイバイ
ハロースクール、バイバイ
Artist Interview
2011.11.18
play
Revealing the inner world of young women   With scenes repeated as refrains  
シーンの反復(リフレイン)で甦る少女たちの心象風景  
日本の現代演劇では、平田オリザの現代口語演劇以降の新しい世代を指して“ゼロ年代”(2000年以降に台頭した演劇人)と呼んでいる。この世代は、1990年に始まったバブル景気崩壊以降の“失われた20年”を背景として登場。その特徴のひとつは、身近な出来事をモチーフに、さまざまなアプローチで小さな劇的世界をつくり出し、生きていることのリアルに希望を見いだそうとしていることだろう。1985年生まれの藤田貴大は、その中でも最も若くして注目されている劇作家・演出家である。桜美林大学で演劇を学び、在学中に「マームとジプシー」を旗揚げ。中学校女子バレー部の少女たちのそれぞれの記憶が試合中に交錯する『ハロースクール、バイバイ』(2010年)、母の自殺をきっかけに引っ越しをする少女と同級生との別れの中で、母親が自殺してからの記憶が交錯する『塩ふる世界。』(2011年)、突然、姿を消した同級生との真夜中の別れの記憶が交錯する『Kと真夜中のほとりで』(2011年)などを発表。多感な少女たちの記念写真のような心象風景=記憶をアングルを変えた反復リフレインと独特な身体表現によって甦らせリジェネレート、新境地を開拓した。演劇との出会いから創作手法まで、旗揚げから現在まで、進化を続ける日々をインタビューした。
(聞き手:扇田昭彦)

──藤田さんが育った北海道南西部の伊達市は、洞爺湖が近くにあり、太平洋に面したあまり雪の多くないところだそうですね。伊達という町は、劇作家・藤田さんにどのような影響を与えたのでしょうか? また、演劇との出会いはどのようなものだったのですか?
 僕は群馬生まれで、生後2ヶ月から父親の故郷である伊達市で育ちました。伊達には市民劇団(市民劇団パラム)があって、10歳の時に子役でその劇団に入ったのが演劇との出会いです。母親の勧めでオーディションを受けたのですが、当時は旗揚げしたばかりで結構勢いがあり、高校3年(北海道伊達緑丘高校)まで在籍していました。その劇団で演出家をしていた影山吉則先生が高校の演劇部の顧問だったので、演劇部にも所属していました。なので、小さい頃から演劇しかやっていなかった感じです。
 17歳の夏に、影山先生脚本の『りんごの木』(原作:後藤竜二)で演出を担当して、全国高等学校演劇大会のベスト4に残り、東京の国立劇場で上演しました。本州の高校生が会話劇やコントみたいな劇をやっているのに、僕らはミュージカルみたいなことをやっていたので、すごく場違いな気がして、怯えながら出場しました。その時に、審査員の平田オリザさんと話す機会があって、当時助教授を務めていた桜美林大学演劇コースのことを知り、それで桜美林を受験しました。初めは、俳優を目指して上京した形でした。とにかく東京に出たかったというのもありました。入学してからは、オリザさんの学内公演の演出助手や演出作品に俳優として出演したりもしました。最初に劇作をしたのは20歳の時。その頃は、俳優を続けることに疑問を感じ始めていた時期でもありました。同時期に母方の祖父が亡くなるという、僕にとっては大きな出来事もありました。その祖父の事を作品に書いた事もありましたし、最初は何が何だか分からないまま書き始めたのですが、徐々に地元の町や僕自身の個人的な記憶がモチーフになっている事に気づいていきました。今もまさにそうです。だから、18年間伊達で過ごしてきたことは、僕の今の作品に大きな影響を与えていると思います。

──藤田さんが主宰する「マームとジプシー」は2007年に大学在学中に旗揚げされました。劇団名の由来を教えていただけますか。
 オリザさんが2006年に大学を辞められてからは、あまり授業に興味がなくなってしまって。バイトをしては、どこか出来るだけ遠い場所に旅行に行く日々が続きました。それで、確か、屋久島に行ったときでしょうか。ふとした拍子に思いついたのが、マームとジプシーです。大学4年のときでした。その前に一度荒縄ジャガーという劇団を作って活動していたのですが、色々あって、1年で解散してしまいました。1人になった時に、どういうふうに自分の作品を立ち上げていったらいいのかをすごく悩みました。だからたくさん旅行もしました。それで、その旅行の中で思いついたのが、まず、僕は劇団や団体を率いる素質はないなという事。だから、最初から固定の俳優、制作、テクニカルスタッフなどがいる劇団や団体をつくって体制を整えることより、僕は僕1人で自分の作品を立ち上げないとダメだと思ったのです。もちろん、作品のことは僕が一番考えているわけだから、そういう意味では僕が「マーム(母体)」で、それをまずは制作の林香菜さんに「これ、面白いよね。」と話して、そして、テクニカルスタッフや俳優を集めて話して、そして観客に伝えていくという一連の流れを思いついた訳です。僕から始まって、人から人へ、色々な人と関わりながら、「ジプシー(放浪)」するように作品をつくって伝えていくという、僕なりの、僕らなりの演劇づくりのスタイルの総てを「マームとジプシー」という団体名として表現しました。

──藤田さんは「マームは僕」とおっしゃいましたが、母親という意味のマームという言葉を使うのはなかなかユニークですね。
 “母体”という意味で使っていますが、もうひとつ“女性性”を描きたいという意味もありました。僕の母親は教育熱心な人で、その反面、すごく女性的な人だったと、今になって感じています。子どもだった僕は溺愛されながらも、人間らしい母親の“女性性”を、側で、冷静に、敏感に、見てきたように思います。でも、ただ、やっぱり女性はわからない。何故なら僕は、やっぱり男性だから。でもわからないことはわかりたくなっちゃいますよね?だから、常に、女性のわからなさにはとても興味を惹かれて、追求したくなります。例えば、母親が結婚するために伊達のような北海道の田舎に行くということはどういうことだったのだろうかとか、あの人が子どもの頃はどういう少女だったのだろうかとか。母親に限らずですが、母親を含めて、周りの女性全てが僕の妄想のモデルになっています。

──2007年9月にマームとジプシーの処女作『スープも枯れた』を作・演出されました。これはどんな作品だったのですか。
 宇宙のある惑星に少女たちが着陸するというSFでした。1シチュエーションの会話劇で、『マザーグース』や『不思議の国のアリス』などをモチーフに、宇宙人と宇宙にたどり着いた少女たちがウミガメモドキを食べようとしているところから始まるという、今考えてみると馬鹿みたいな話です。大学に嫌気がさして旅行に行っていた時期に読んでいた、大量の本が影響して書いた作品だと思うのですが、多分つまらない作品だったと思います。地球の海も枯れて…みたいな話だったと思いますが、もう忘れました(笑)。

──会話劇から、今のようにシーンを反復する演劇スタイルに変化したきっかけは?
 卒業公演にもなった第3作目の『ほろほろ』(2008年3月)がきっかけです。桜美林大学の学内にある小劇場プルヌスホールに10個ぐらいの部屋を作って、各部屋のみんなが各々同時にずっと喋っている、というのをやってみたんです。1時間ぐらい。だから、観ている人は全然聞き取れなくて、ほぼ意味がわからなくてポカーンとしていました(笑)。
 でも、この時考えていて試してみた事は、確実に今に繋がっていると思っています。例えば、今僕らはこのインタビューの会議室にいるという1シチュエーションに身体/実体は在るわけですが、こうしてインタビューを受けている最中も、頭の中では今日乗ってきた電車のこととか、これから向かう稽古場のこととか、身体/実体は一つだけれど、頭の中では複数のシチュエーションを思い浮かべながら居るのではないか。それをどう舞台化すればいいのだろうと、実験的にやってみたわけです。そこからリニアに物語を進めるだけではなく、色んな時間軸や色んな空間のシーンをいろいろ織り交ぜて、作品をつくっていくということに着手し始めるようになりました。

──最近のマームとジプシーでは、少女が日常的な言葉を口にしながら、ありえない形の身もだえを繰り返すなど非常に強い身体性を伴っています。こうした表現方法をするよういなったのはいつ頃からですか。
 マームとジプシーは、ここ数年間、”記憶”をテーマに創作しています。これには、きっかけになる作品があって、それが、『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』(2008年6月)です。この作品は、小学生の頃から仲良しの3人組が一緒に電車で帰郷する途中で、電車が事故に遭い、その直前に3人が走馬灯のように、なつかしい家路やカニを捕まえた洞窟など、少女だった頃を追憶する、というお話でした。フルサイズの電車をプルヌスホールに作って、記憶や風景がどんどんと移行していくという事をやりました。この時、初めて成人の俳優がコドモになるという作業をしました。劇中、俳優は現在の大人の姿になったり、記憶の中の子どもになったりするのですが、この往復で気がついたのが、子どもと俳優の、身体と言葉の関係は似ているという事でした。子どもは大人より圧倒的にボキャブラリーが少ないわけです。大人は自分の考えや感情を説明出来るだけの、ボキャブラリーを駆使出来るわけだけど、子どもはどうしようもなくボキャブラリーが少ないので、大人ぐらい考えていることや抱いている感情があっても、言葉でうまくアウトプットできませんよね。その状況が、俳優の状況に似ているなと思ったんです。つまり、俳優には、僕が決めたボキャブラリーでしか喋れないという制限があります。だけど、役を演じる時に、多分僕が与えたボキャブラリー以上のことを俳優は考えていると思います。だから、自分の言葉で喋れない分、俳優は身体を駆使して子どものように身悶えしながら、分かってほしい、分かってほしいと身体を動かす時がある気がするんです。子どもという役を成人の俳優に演じさせてみて、子どもの身体と俳優の身体の共通点に気がついたのと同時に、”俳優が身体をモーターにして、感情や物語を紡いでいく”という不思議な感覚を発見しました。この発見から、マームとジプシーの作品に身体性が伴ってくるのですけれども、それが強く出て来たのがSTスポットで初演した『コドモもももも、森んなか』(2009年11月)です。

──藤田さんの作品の特徴となっている同じシーンの繰り返し(リフレイン)という方法はいつ頃から始まったのですか。
 『ドコカ遠クノ、〜』で、乗客が事故直前に、「この電車、なんか、スピード、速くない、?」という台詞を繰り返すシーンがありました。この台詞の直後に、電車は事故に遭うんですけど。これが僕らが初めて、シーンの反復、を行った瞬間だったと思います。ただし、この反復は、ただ同じシーンを同じように反復するという、ただの反復(リピート)でした。
 それが大きく変わるのが『コドモもももも、〜』です。どう変わったかというと、単純に繰り返されるシーンが増えたというのもあるんですが、繰り返されていたのは“シーン”だけではなく、“感情”も繰り返されていた、ということです。実際に、繰り返す俳優の身体を観察している時に気がついたのですが、シーンを繰り返す毎に、俳優の身体は、何か、絶対、嵩が増して、エスカレートしている部分があるということ。
 だから、俳優が生身でやっている以上、同じことを、全く同じまま繰り返すこと(リピート)に意味はあるのだろうか、と考えました。僕の舞台作品で取り扱われるシーンの反復は、リピートではなくて、“シーンが助長されていくリフレイン”なのだと気づいたのも、それくらいの時期で、それからは反復されるシーンのことを、僕らはリピートではなく、リフレインと呼んでいます。これは大きな発見でした。
 取り扱う事柄を、より多面的に描くのにも有効でしたし、多くの登場人物の心情風景に濃淡をつけるのにも、さらに言えば、ある街を描くうえでも、一番の武器になったように思います。
 このリフレインという点に、最初にアプローチしたのが、『コドモもももも、〜』でした。これはある三姉妹の話で、一番下の妹が亡くなるんですが、台詞では「いなくなる」という言い方にしています。「いなくなる」という台詞を何回もリフレインすることで、物語の嵩がどんどん増していくということを試みました。

──しかし、俳優にとっては、微妙に違う台詞を何十回も繰り返すのは、違った意味で大変でしょうね。
 そうですね。新作は約1カ月間稽古しますが、僕はすごくしつこいので、本当に何回も何回もやらせるわけです。その反復作業は、本番だけやっているわけではなくて、創作の間中ずっとやり続けているわけです。お客さんが観ているその日の公演の1時間半の反復というのは、俳優にとっては1カ月以上の反復、リフレインし続けてきた、その、ほんの一部に過ぎないんです。
 最近思うんですが、そのリフレインは明らかに稽古場や劇場だけで収まる話じゃなくなってきていて。例えば、僕らの舞台を観たサラリーマンが翌日出社して机に向かっている最中に、同時刻に今、マームとジプシーが公演している時間なんだよな、と思い浮かべて、「またあの子たち、あれを何度も繰り返してるのかな」って思う(笑)。そうなってくると、お客さんの日常の中でもリフレインが続いて、お客さんの頭の中で嵩が増していき、リフレインは劇場内や僕らの作品世界の中で収まる話じゃなくなってくる気がするんです。

──マームとジプシーでは、普通の台詞もちょっと不思議な区切りをつけて喋りますが、どのような演出意図からですか?
 区切って喋ることで、句読点が多ければ多いほど、そこから違うシーンに飛ばせる可能性が増えてきますよね。例えば「この扉を開けてほしいと思っていたんだけどなあ」というモノローグがあったとして、<この><扉を><開けてほしいと思っていたんだけどなあ>と3つに分けて考えると、その次のシーンでは、「この扉を」「開けてほしいんだよな」にもできるわけです。句読点から下を変えることによって全く違うシーンになったり、語尾を変える事で、モノローグや会話がシームレスになったり、という句読点の発見があってそういう演出にしています。

──今年7月にふるさとの伊達市で上演された『待ってた食卓、』は、父親の一周忌に、一人残った独身の長男のところに東京で暮らす姉と妹やいとこが帰ってくるというシチュエーションです。続く8月に発表した『塩ふる世界。』は、母親の自殺で引っ越しする高校生の少女と同級生との別れというシチュエーションです。何かを”喪失”したシチュエーションや、誰かの”不在”に直面した人々を描く事が多いようですが、なぜですか。
 僕は、“いつも通り”が“いつも通りじゃなくなる瞬間”に“鮮やかに思い出されるものがある” 、と思っています。例えばフラッシュバック現象のような事に興味があります。だから、誰かが”不在”になる事と何かを“”喪失”する事は、追憶の作業と切っても切れない関係にあると思っています。シチュエーションの事を言うと、『コドモ〜』は、あまり母親も帰ってこない家庭というシチュエーションで、大人に関わってもらえない子どもたちを書こうと思ったので、家庭環境が少し複雑なシチュエーションで、大人不在の世界になりました。『待ってた食卓、』の父親は、うちの母方の祖父をモデルにしていて、祖父の三回忌に集まった僕の家族をモデルに書いています。『塩ふる世界。』では、伊達の海を描きたいと思いました。伊達は“北の湘南”と呼ばれているだけあって、本当の湘南・鎌倉みたいに山に囲まれていて目の前に海(内浦湾)が見えるんです。すごくロケーションとしては開けているのですが、18歳までの僕にとっては、すごく閉じている町のように思えて、出たくて出たくて仕方がなかった。町を出るには電車に乗るしかなくて、その町の唯一の出口である駅も海のすぐ側にあって。僕は、その海を見ながらずっとこの町を出たいと思っていました。そういう18歳までの外に対する気持ちを描きたくて、あの頃見ていた海を描きたいといつも思っています。あと、海を描ける作家が世の中にどれくらいいるかと考えた時に、意外と少ないんじゃないかなと思うんですが、僕にはその資格が明らかにありますね(笑)。『塩ふる世界。』はある女の子の母親が海に投身自殺する(突然人がいなくなってしまう)設定だったので、海を描いているという事と、突然誰かを喪失するという点で東日本大震災に惹きつけて観る人もいるだろうと思いました。もちろん、いました。『塩ふる世界。』はそう観られてもいいと、僕は思っています。

──“塩ふる”という言葉は色んな意味に受け取れます。母親が崖の上から飛び降りて自殺するわけだけど、なぜ死んだかは意図的に全く語られていない。普通だったら何かの暗示があるけど、全くないのでその分観客の想像力が膨らみます。
 元々、潮風が当たるような町で育った、すごく小さいコミュニティの、学校も2学年1クラスしかないような田舎の町に住んでいる少女たちを描きたいと思っていました。イメージとしては、塩は海の潮かもしれないし、例えば、初潮の潮かもしれない…。塩には死のイメージもあります。そんな風に、タイトルをつける時点で、色んなイメージが湧いていました。
 母親についてですが、最初の設定ではもっと強烈で具体的だったんです。例えば、乳ガンで片方の乳房がないとか、それでも彼氏が何人もいたとか、ある女の子がそういう母親を見てどんどん女になっていくとか。病気に悲観して自殺するという設定も一時はありました。僕は1時間半の作品をつくる時は、3時間分ぐらいのシーンを大量につくって、それを映画みたいに編集していくのですが、その編集の過程でそうしたシーンはすべてなくなりました。母親が飛び降りた海で娘がはしゃぐというラストシーンを思いついた時に、それらは見せなくてもいいと思いました。具体的な展開に執着すると、お客さんが考える余白がなくなるので、それで、自殺については「何かに悲観して飛び降りたのは明らかで」、と言っただけでOKかなと思いました。何度も同じ部分を繰り返す事によって、お客さんの頭の中に生まれた”余白”で、お客さんは自分の体験や経験と照らし合わせたり、震災の事も考えたりすればいい。そんな時間を作ることに成功したと思います。

──死が重要なモチーフになっていますが、藤田さんには何かの原体験があるのですか。
 伊達に限らないと思いますが、伊達で暮らしていたとき、時々、人がいなくなるんですよね。雪が溶けたら死体が出てくる事もあるし、本当に行方が知れないままの人もたくさんいるようです。尋ね人のビラが何枚も駅に貼られていて…。僕は、別にその環境が特別だなんて思った事がなかったのだけれども、そこで当たり前に普通に育ったから。でも、北海道公演の下見に伊達にみんなを連れて行ったら、尋ね人のビラが多いね、とか指摘されて、改めてそういう環境だったんだというのをなんとなく意識しました。
 人がいなくなったという事で町中に波紋が広がりますよね。コミュニティにおける誰かの喪失──誰かがいなくなったという事実と、それとは無関係に安心に過ごせっちゃっている自分とのどうしようもない距離は残酷で、人は人との距離に対して無責任だったりする。つまり、僕は誰かを失ったという悲惨さを描きたいのではなくて、誰かがいなくなったという事実と、周りの人々との距離を描きたいんです。『塩ふる世界。』でも、母親が飛び降り自殺したこととは全く無関係に、恋愛もするし、夢精もするし、みたいな人と人との距離の淡白さを淡々と描きたかったというのはありました。

──あれだけリフレインのある作品をどのように創っていくのですか。最初に台本はあるのですか。
 最初から台本があるわけではありません。こういうことをやりたいという輪郭は決まっているので、稽古の初日には僕がその話をして終わりです。それから稽古では、僕が書いた短い台詞を口伝で覚えてもらう。誰が何の役かはなんとなく決まっているんですが、具体的には作品を作りながら役を形成していきます。まずは、短いシーンをたくさん作って、それを僕がパソコンで書き留めながら、どんどん作ります。多分200シーンぐらい。その大量なシーンを映像の編集作業のように入れ替えたり、戻したり、繰り返したりして編集していきます。
 あとは、かなり頭の中に具体的なビジュアルのイメージもあって、この駅の向こう側にテトラポットがあって、ベンチは何色で、とか。ロケハンしてきたみたいに説明して、登場人物それぞれの記憶をみんなで共有していくんです。具体的な舞台セットがあるわけではないので、かなり緻密なイメージを大切にしています。
 リフレインが多いので、使わないシーンが断然多いのですが、そのシーンに意味がないわけではなくて、俳優の身体の中にはボツにされたシーンの記憶が蓄積されています。普通は俳優が役づくりとして、テキストに書かれていない事を勝手に作るのですが、俳優が役づくりしていく作業も、すべて僕が演出したものになるわけです。僕は勝手に役づくりをされるのが本当に嫌いだから、自主練習も俳優間での話し合いも基本的には許してないです。僕は俳優をやっていたから、何となく分かるのだけれど、俳優同士の話し合いに何ら有効な事はないです。俳優は演出家との作業をやっていればいいんです。かと言って俳優と演出家の距離が近くなってもダメだと判っています。まあ、だから演出家として俳優の役づくりも含めて全て僕が考える、という作業をしています。
 今年6月水天宮ピットで上演した『帰りの合図、』は20分のショートピースの作品で、『待ってた食卓、』と『塩ふる世界。』との、三部作になっています。「食べ物にまるわる人間関係」という共通したコンセプトはあるものの、編集やアプローチの違いだけで、20分の作品としてもつくれるし、家族だけの話や友達だけの話などエピソードが全く違う、別の作品も作れるわけです(『塩ふる世界。』は三部作の友達編として上演)。
 稽古では登場人物の人生の記憶をみんなが共有しているのと、俳優がこの作り方に慣れてきたという事もあって、3カ月前にやったあのシーンをここで入れてみようとか、今まで作られた全部のシーンを視野に入れて編集作業が出来ます。
 ちょっと話は変わりますが、今回上演した三部作はどこかで再演したとしても、もうあのままいけるんじゃないかというぐらい完成したセットになっていると思います。ちなみに、今年の2月に『コドモ〜』を再演した時は俳優も変えて、リフレインの数や編集の仕方を変えたので新作に近いぐらい見せ方が変わりました。

──藤田さんにとって理想的な俳優とはどういうものですか。
 僕は演劇経験のない人とも作品をつくります。発声練習ができている俳優を求めているわけではないので、素人でも役をちゃんと生きられる人とやりたいなと思っています。マームとジプシーでもすごく小さい声の人もいるんですけど、生活感があって役を生きれていればOKです。あと、ガッツのある人(笑)。20代前半の特に男優さんは、根性がなくて困ります。
 これまで方法論を模索していて、毎年1回はオーディションで新しい人とも関われる機会を作ってきましたが、『ハロースクール、バイバイ』(2010年11月)あたりからメンバーが固まってきたので、そろそろ固定したメンバーとやっていってもいいかなと思っています。

──今年だけでもすでに6本の新作を発表しています(2011年9月現在)。作品数がすごく多いですが、意図的にやっているのですか。
 今年は明らかに僕の創作サイクルが早いんです。新作をつくったり、リフレインについて考えたり、シーンを編集するのが今は楽しくて、幾らでもつくれちゃうという感じがする。今はどれくらいクオリティを落とさずに出来るか、試している感じです。修行の年だと思ってやっています(笑)。

──平田オリザさん以外に影響を受けた人はいますか。
 チェルフィッチュの岡田利規さんの舞台は欠かさず見ています。岡田さんはあの世界観を獲得するために、どういう取り組みをしてきたかすごく興味があります。ただ、やっぱり、彼らとは、描きたい物が全然違うと思うので、影響を受けたかどうかというのは、あまり意識した事はありません。
 最近、“Re”についてすごく考えるんです。僕がリピートからリフレインになったように、“リジェネレート”にもすごく興味がある。リジェネレートとは、“甦らせていく”ということなんですが、要は再現の繰り返し作業。先にも言ったけれど、繰り返す事によって、お客さんは次にこの俳優が何を喋るかも予想できてくるし、何がこのシーンで行われているのかも何となく判ってくるので、シーンを繰り返されることによってお客さんの頭の中に余白が生まれ、自分の原風景と舞台上で演じられる事柄を照らし合わせたり、自由にイメージを共有する時間ができたりする、という作り手だけじゃない、お客さんのイメージとの共有みたいな事にすごく興味があります。
 結論を言うと、僕が求めているのは、俳優、演じる人としての“アクター”じゃなくて、反応する人としての“リアクター”なんです。でも、“リアクションを取る人”という意味では、俳優だけでなくお客さんも同じ。俳優だけで舞台をつくるのではなく、その空間にいる人たち全員の反応で演劇をつくっていきたいという感じがしています。そういう意味でも”余白”はものすごく重要だと思っています。特に、僕の作品は、ほとんど素舞台の割にそこで色んな具体的なシチュエーションが展開する。例えば小道だったり、学校だったり、ボートだったり。そのためには、お客さん含めた、会場にいるみんなで共有のイメージを立ち上げることが必要になります。俳優には「今ここは何処だ?」ということをイメージして演じてもらって、お客さんは僕がつくった型式を見て、そこが道なのか、海なのかを想像する。つまり、その空間にいる人たち全員で、僕のつくったテキストや型式を見ながらイメージを膨らませていく作業をするのが僕の90分間の作品なんだと思います。
 僕は、すごく狭いSTスポットで活動してきたせいか、お客さんの顔がよく見える。だから、僕はお客さんとの関係を放っておけなくなったんだと思います。

──今後、少し大きな空間で公演する予定はありますか。
 来年、今までよりは大きい劇場での公演を予定しています。多分、250席ぐらいあるプロセニアム劇場になると思うので、どうやろうかと考えているところです。ただ、STスポットでやっていたことを全くチャラにするのはおかしい話だと思うし。声の問題をどうやってクリアしていくかが課題ですが、僕の劇構造には編集の仕方によって物語の豊かさにもリーチを伸ばせる可能性があると思っているので、そういうところを試したいと思っています。

──演出家として、他の人の戯曲を演出することに興味はありませんか。例えば古典、チェーホフの『三人姉妹』の少女版とかいかがですか。
 自分流に戯曲に手を加えられるのであれば、『三人姉妹』もいいですね。実は『かもめ』はリフレインをかけたらめちゃめちゃ面白くなると思うので、洞爺湖でやってみたいです。実際、ニーナを追いかける場面なんかまさにリフレインですから。それと、井上ひさしさんもすごく尊敬していて、『父と暮せば』や『円生と志ん生』も大好きなので機会があれば挑戦したいです。切り取り方を考察できる何かがあれば、自分以外の戯曲の演出も面白いと思っています。

──最後に、マームとジプシーを含めて、どういった演劇活動をしていきたいと思っていらっしゃいますか。
 色んな人に見てもらいたい、という思いが今はすごくあります。海外にも興味があります。もっといろいろな俳優と付き合って、色んな人の反応を見ながら、お客さんを含めた、空間にいる人たちと一緒に“演劇”というイメージの芸術を立ち上げていきたいと思っています。
 
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