The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
阿部武司
阿部武司(あべ・たけし)

asapro無形文化財映像ライブラリー
http://www.youtube.com/user/asaproabe/feed
pdf
黒森神楽
 岩手県宮古市の黒森山にある黒森神社を本拠地とする黒森神楽は、近世に山伏が布教の手段として演じていた山伏神楽に分類されるもので、岩手県の陸中沿岸地方、北は現在の久慈市の一部から南は釜石市の一部までの広い範囲を北廻りと南廻りと一年おきに廻村する巡行(じゅんぎょう)を現在でも伝承している貴重な民俗芸能だ。
 この地域には近世より多くの神楽が伝えられ、その所属する神社や集落を短期間に巡行している。こうした地域の神楽衆の中から、舞や囃子の上手を集めて数カ月に渡る長い巡行を行ってきたのが黒森神楽である。その特徴は、山岳信仰の系譜に繋がる霊山としての黒森神社への畏敬の念と、岩手の沿岸部で古くから営まれてきた漁業を基礎とした漁村の文化が融合した独特の勇壮な舞と囃子であり、この地域の代表的な神楽と言える。こうした広範囲で長期に渡る巡行を行う神楽は全国的に見ても例がなく、沿岸地域の生活に密着した貴重な習俗が現在も受け継がれていることから、平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 黒森神楽の巡行は1月3日の黒森神社での舞い立ちの儀式から始まり、3月まで陸中沿岸の神楽宿(かぐらやど)と呼ばれる巡行先を廻る。神楽の宿を提供するのは地域の有力者であることが多く、その家の家族・親類だけでなく地域の人々も宿に集い神楽を楽しむ。地域と密着した世界観を示す神楽では、この世の悪を鎮め、祝福を約束する神の姿を人々に見せる舞が必ず存在するが、黒森神楽では「権現様(ごんげんさま)」と呼ばれる獅子頭がそれであり、神楽の舞い立ちや神楽宿への舞い込みの際には必ず権現舞が演じられる。また、黒森神楽の代表的な演目である山の神舞や、豊漁を約束する神である恵比寿舞などの地域の生活に密着した演目や、日本各地に伝わる神話の由来を説いた「御神楽(みかぐら)」などの演目の他、劇仕立てで物語性の強い「仕組み」や源平合戦などの歴史上の伝説を題材にした「武士舞」など観る人々を楽しませる演目もあり、大人から子どもまでを魅了している。
 このように黒森神楽を支えているのは、貴重な芸能を受け継いできた担い手である神楽衆であり、神楽宿を引き受け神楽衆を受け入れている地域の人々であり、彼らの思いと陸中沿岸で伝承されている文化が結晶となっているのが黒森神楽であると言える。
(国際交流基金ウェブサイトより)
黒森神楽の神楽念仏
(2012年3月/岩手県宮古市田老)

黒森神楽
黒森神楽
黒森神楽
黒森神楽
岩手県北上市の「鬼剣舞」
北上鬼剣舞連合会による東日本大震災供養祈りの舞(2011年4月)
鬼剣舞
岩手県石巻市の「雄勝法印神楽」
「おがつ復興市」で神楽を奉納(2011年5月)
雄勝法印神楽
岩手県大船渡市の「浦浜獅子躍」
東日本大震災の百ヶ日法要(2011年6月)
浦浜獅子躍
Artist Interview
2012.7.9
other
A year after the Great East Japan Earthquake and Tsunami  People find strength in the region’s folk arts  
東日本大震災から1年余り 心を支える民俗芸能  
神社の祭礼で神に奉納される「神楽(かぐら)」や、鹿の頭部を模したかぶり物をして踊る「鹿踊(ししおどり)」、刀を持って大地を踏みしめながら激しく踊る「剣舞(けんばい)」、虎を模した衣装を着て舞う「虎舞(とらまい)」など、東日本大震災で甚大な被害を受けた東北は多種多様な民俗芸能の宝庫として知られている。震災前から岩手県の神楽を中心にこうした民俗芸能の映像記録を続けてきた東北文化財映像研究所の阿部武司さんに、YouTubeで配信している「asapro無形文化財映像ライブラリー」や黒森神楽などについて聞いた。
聞き手:大澤寅雄[ニッセイ基礎研究所]
写真提供:東北文化財映像研究所

──東日本大震災では、東北の民俗芸能が甚大な被害を受けました。一方、こうした民俗芸能が被災地の人たちやコミュニティの心の支えとなり、復興に心血を注ぐ姿が各地で見られるなど、その必要性が再認識されています。阿部さんは、長年にわたって岩手を中心としてこうした民俗芸能を映像で記録され、YouTubeでも配信されています。それはとてもすばらしい映像アーカイブになっています。今回は阿部さんの活動を含めて、被災地域の民俗芸能についてお話をうかがえればと思います。いつ頃から映像を記録し始めたのですか。
 もともと岩手在住ではなく、1975年頃に東京から岩手に移って映像制作会社を始めたので、その少し後からです。岩手に来て初めて民俗にふれ、こういうものがあるんだ、これは大事だなと思って記録を始めました。それまではフィルムの時代だったので記録したいと思ってもそんなに簡単ではなかったと思いますが、その頃はちょうどビデオ時代を迎えた頃で、映像機器が簡単に手に入るようになっていた。それで、岩手県北上市に住みながら、身近にあった民俗行事なんかをちょっと記録するようになりました。
 80年代後半からは民放のテレビ局の仕事を受けて民俗芸能や祭りなどを番組で扱うようになり、単に映像の被写体としてだけではなく、専門家とも交流して勉強するようになってから、本格的に民俗芸能にのめり込むようになりました。

──東北文化財映像研究所という名称で活動されていますが、設立の経緯と事業の概要をご説明ください。
 研究所を設立したのは1998年ですから、もう十数年前になります。東北4社の映像制作会社が集まって有限会社東北文化財映像研究所を設立しました。東北の民俗芸能や民俗行事、文化財の映像を記録し、その映像を収集しておくことは、映像制作会社のコンテンツ制作にとっても大切だと考えて立ち上げましたが、民間会社なのでなかなか取り組みづらかったらしく、結局、私一人になってしまいました。
 研究所としては、各自治体の委託事業で記録をしたり、コンテンツをつくったり、ウェブサイトに公開して多くの方に見てもらって、日本の「基層文化」である民俗芸能や民俗行事というものを再認識していただこうとやってきました。
 私は研究者ではなく映像記録者なので、記録・公開した映像を基に研究を深めてもらえればいいな、と。文化を比較検討する場合に映像が一般に公開されていれば、例えば東北の文化と関西の文化を比較することも簡単にできます。今はYouTubeを使って、研究者とか、諸外国の方にも、日本の民俗芸能というものがどういうものかを見てもらうことができる。ただ、すべて日本語ですので、海外の方にはまだとっつきにくい部分はあると思いますが。
 研究所とはいうものの、結局は私の個人的な仕事になっていますので、今は映像を収集するのが精一杯で、それをどう整理して、系統的に見られるように公開するか、というところまで手が回っていないのが正直なところです。

──どのような範囲で、どのぐらいの数の映像がありますか。
 岩手が中心ですが、秋田や青森、宮城とか山形の一部ぐらいまでは…福島はちょっとまだ行っていないです。あとは、何かの機会に出かけた時に各地方のもので撮れるものは撮っています。記録の数としてはどうなんだろう? 重複していたり、経年の変化を追いかけていたり、いろいろな種類のものがあるので。大雑把に言うと1,000種類を超えているとは思うんですけどね。
 「asapro無形文化財映像ライブラリー」にアップロードしている動画でいうと、1,800本以上あります。継続的に撮影している岩手県宮古市の黒森神楽(*)をはじめ、鵜鳥神楽、雄勝法印神楽などの神楽や祭礼などいろいろあります。初めは長さが5分までしかアップロードできなくて、画質も悪かったんですが、だんだん画質も良くなり、最近は1時間でもアップロードできるので、1つの演目を分割しなくてもよくなった。かなり一生懸命アップしました。
 収集とアーカイブはちょっと別分野で、アーカイブ事業はそれに集中しないとできないです。私は現場のほうが好きなので、民俗芸能をやっている方とか地域の方のお話をいろいろうかがいながら、そういう交流で吸収したことも含めて収録しています。芸能の映像作品として編集するのではなく、映像記録として収録しています。

──お話をうかがっていると、阿部さんは芸態(芸能の身体表現の様式)だけでなく、それが社会の中でどのように行われているかも含めて記録されているということですね。
 そうですね。一番重視しているのは社会との関わりです。昔は「芸態を撮る」ということがよく言われていましたが、単に芸態を撮るだけであれば、例えば装束を外した状態で撮ったほうが動きや形は見えるわけですよね。でも、芸態以上のものを、映像に映っているものの背景にある社会との関係も含めて切り取ってくると言いますか、私にとってはそういうのが一番の目標なので。民俗芸能というのは、どう地域に受け入れられている芸能なのかというところが一番大事だという問題意識があります。例えば虎舞は祭礼の中で行われている芸能なので、その祭礼も含めてきちっと記録していくことが必要だと考えています。

──例えば、黒森神楽のように、各地を巡行しながら神楽宿(かぐらやど:神楽衆を受け入れ、宿や食事、舞を披露する場所を提供する集落の民家)を廻る芸能の場合、映像として記録するというのはどういうことになりますか。
 黒森神楽については自治体の要望もあって長年撮影してきましたが、例えば神楽宿については宿の人たちが食事の準備をしているところなど、宿の人が受け入れの準備をどのように行っているかといったことを含めてできる限り記録しました。神楽衆が集落に入るための儀礼というのもあるのですが、そうした儀礼もほとんど記録しました。
 現在では交通も発達していますし、あまり神楽宿に泊まらなくて、日帰りすることも多くなっています。しかし、これでは全く面白くない。泊まるということが「廻り神楽」にとっては重要なんです。例えばそうすることで神楽団の中の人間関係が深まります。夜は酒を酌み交わしますが、朝起きると、師匠と稽古をやる。昔は出先でしか稽古できなかったんです。夜神楽をやって、泊まって、朝稽古をする…そういう中でのしきたりのようなことも、ずっと記録してきました。
 今では神楽が行われるのが土日中心になり、泊まらずに皆さん車で帰る。だから酒を飲まない。当然のことながら話が深まらない。受け入れ側もそういう気構えになっちゃう。泊まるとなればあけっぴろげになるけど、それができない。神楽宿ではなくて公民館でやって、神楽さんが帰っちゃったら集落の人達も早々に解散してしまう。だから、昔のような廻り神楽の雰囲気はもう味わえなくなってきています。今にして思えば、あの様子を現場で記録できた私が一番良い思いをしたわけですね(笑)。

──阿部さんの記録映像を見ると、民家の畳の広間で、間近に神楽衆が踊っていて、コタツにあたってお酒を飲みながら集落に人達が楽しんでいる様子がうかがえます。そういう状況は、ホールや公民館ではできないですよね。
 そうですね。ただ、昔のようなやり方を今の若い人たちがどこまで受け入れられるかは難しいところです。昔ながらの神楽宿がやれないのも理解できますし。でもそれでは本当の神楽の面白さは結局わからない。誤解をおそれずに言うなら、芸を見るだけなら、こんなにつまらないもの見なくていいや、ということにもなりかねない。とくに夜神楽というのは、芸を見るだけじゃなくて、その雰囲気の中に浸ってはじめて醍醐味がわかるものなんです。大げさに言えば、自分たちがそこに生きているんだという証を神楽衆と集落の人たちが共に分かち合う場というか。最終的に、みんなが同じような精神状態になって幕を閉じることができるのが夜神楽や廻り神楽の最も良いところなのですが、でももうそういう時代が戻ってくるかというと、難しいですよね。

──黒森神楽の特徴を教えていただけますか。
 黒森神楽は多分500年ぐらいの歴史があると思いますが、先ほど話したように沿岸地方の広い範囲を数カ月かけて廻る「巡行」をすることが特徴です。「黒森権現(くろもりごんげん)」と呼ばれる、神霊を移した獅子頭を携えて廻っていました。普通、修験者の霞(管轄地域)にはそれぞれに神楽があったので、他の地域に巡行することはできないんですが、黒森神楽の場合は昔の南部藩からの許可が得られていて、その許可証をもって巡行していました。巡行をするということはお金になるということなので、他の神楽団が訴えを起こすのですが、南部藩はそれを却下してきた。そうした特権がある黒森神楽にほかの神楽団から神楽衆が移ってきて、黒森神楽はうまい神楽衆の選抜メンバーが集まったような強固な神楽団になっていくわけです。

──ある種のオールスター集団ということですね。
 そうそう。ですから、話によると、黒森神楽の胴取(どうとり:演奏の中心的な役割を担う太鼓奏者)を何年かやると蔵が建つと言われていたそうです。だからこそ彼らは、お金を貰う限りは、集落の人、観客を十分楽しませるとともに、彼らの信仰心から必要とされる儀礼もやるわけです。昔は神仏混合だから不思議ではないのですが、神楽なのに念仏もありますし。豊作・豊漁、厄払い、供養などさまざま儀礼をやることによってご祝儀、祈祷料を頂ける。
 ある地域の話として聞いたことがあるのですが、そこは農閑期に半年以上、男達は集落を離れて巡行に出かけたそうです。稲刈りが終わるか終わらないかのうちに出かける。戦後の娯楽の少ない時期には、神楽はもちろんやるけど、芝居もやるようになった。神楽の基本は、初めの2時間ぐらいの神事ですし、もちろんそれは大切にしていたと思いますが、そうすると「早く芝居をやってくれ」って(笑)。それで最後には芝居集団になって、のっけから芝居をやって歩くようになった人たちもいたそうです。そういうように、庶民は神楽に信仰だけではなく、娯楽性も大いに求めたのではないでしょうか。
 黒森神楽も、一時は面白い演目しかやらなくなってレパートリーがどんどん少なくなったようですが、この30年ぐらいで復活してきました。研究者の方々はどちらかというと神事として神楽をとらえていらっしゃると思いますが、僕のように現場で見ていると、娯楽としての楽しみをもっともっと知ってほしいと思います。

──黒森神楽はそれほどの被害はありませんでしたが、2011年3月11日の東日本大震災では沿岸部を中心に、民俗芸能の基盤である地域が壊滅的な被害に見舞われました。そういう中で、面や装束のほとんどが流出してしまった雄勝法印神楽が震災2カ月も経たないうちに神楽を見たいという人々の声によって復興に向けて歩み出すなど、民俗芸能がどれほど地域の支えになっていたのかを改めて感じずにはいられません。
 何なんでしょうね…。神や仏に祈るというのともちょっと違うというか。私には、みなさんが自分たちの内心に向かってやっているような気がしてならない。自分たちとはどういう存在なのかを納得するためにやっているというか…。そう思うと、ただ楽しむための芸ではない、という感じはしましたね。
 民俗芸能の研究者で追手門学院大学教授の橋本裕之さんから、こんな話を聞きました。お母さんと16歳の娘さんを亡くした虎舞の囃子の人がいて。ずっと悲しみに暮れていたんだけど、亡くなった娘さんがお父さんの吹く笛が大好きだったので、何カ月か後に涙を流しながら吹いたそうです。本来、虎舞の笛というのは鎮魂とかそういう筋合いのものではないけど、彼にとっては供養という要素が復興で加わってしまった。笛を吹くということが、単に囃すだけではなくて、心を鎮めていくようなものに変わっていた。
 そういうエピソードに象徴されるように、今回の震災で、芸能は自らを鎮めていく、わけのわからない思いを鎮めていく力になるのかなという感じはしました。芸能に一所懸命になることによって、混乱した気持ちを少しずつ鎮めて平常に戻していくというか。芸能をやることで前向きになれるのかなあ、そのために今、芸能はあるのかなあと思いました。
 その虎舞や祭りをやっていた場所は津波で流されて、すべてなくなってしまったわけです。そういう中で祭りをやり、虎舞をやるということは、過去を懐かしむためではなく、前に進むために止むにやまれずやっている。やらないと多分、切れちゃうというか。糸の切れた凧のようになってしまう。現実問題として、もともと暮らしていた場所を失い、人はみんな糸の切れた凧のように地域から離れていっているわけですから。
 黒森神楽については、神楽宿が被害を受けていたので巡行ができないと来年の活動費を集めることができないので心配していましたが、今年の様子を見てこれなら大丈夫かな思いました。流されてしまったところでは今までどおりというわけにはいきまませんが、核になる宿はありますので、そこを盛り立てていけばこれからも何とかなるのではないでしょうか。

──震災後、阿部さんがこれまで収録されてきた映像ライブラリーはますます貴重なものになっていると思います。こうした記録映像のアーカイブ化について、自治体や公的機関から問い合わせや提案がありますか?
 全くないですね。私が映像を収録していることを知っている人は多いですが、民俗芸能のアーカイブをきちんと整備しようという話しはきていません。自力でやるのはとても無理ですし。
 一口にアーカイブと言っても、私のところにある映像だけみてもビデオのVHSから始まって、ベータマックス、3/4インチ、ベータカム、ベータカムSP、デジタルベータカム、ベータカムSX、その後はDVカム、HDVと動画の記録フォーマットがいろいろ混在している。数年前にAVCHDになってからはハードディスクに記録しています。
 こういう映像をどうしていくかということについては、次世代に渡すための提案も含めて考えていかなければいけない。昔のように逆にフィルムしかなかったら、誰かが地道にひも解いていけばいいということもあるのでしょうが、デジタルデータは逆にきちんと判るように整理しておかないと探すこともできなくなるので大変だと思います。

──専門家が必要になりますね。
 そうですね。そういうことを国も含めて本格的に考えていただかないと、私個人の力では限界です。こうした記録映像は全国にあると思いますが、それを掌握することもできていないのではないでしょうか。
 撮っておかなくちゃならないものはいっぱいあるので私はアーカイブまでとても手が回りませんが、映像が残っていても散逸したり、著作権の関係で活用できなくなるものもある。うまく活用できるよう、一刻も早く公的な機関にアーカイブについての展望を示してもらいたいですね。芸術作品に比べて、記録映像の価値があまり認められない傾向があるのは問題だと思います。民俗芸能や行事の映像をどのように保存し、それを活用していくかを大きな視野にたって議論していかないと、日本のこういう基層文化を未来に引き継いでいくことはできないのではないでしょうか。

──そうしたアーカイブについて、これまで一度も議論されたことはないのですか。
 アーカイブ化について全国的な規模で議論されたことはないと思います。かつて東京文化財研究所の民俗芸能協議会で、映像制作会社が民俗芸能を記録する場合の手引き書はつくったことがあります。そのときもなかなかまとまらなかった。あれから時間も経っているし、いまや一般の人でも映像機材を簡単に使えるので、もっと対象を広げて民俗芸能を記録するための基準づくりを検討する必要があると思います。

──ところで阿部さんは、国際交流基金が行った黒森神楽のロシア公演(2011年10月)にも同行されたそうですが、受け止められ方はいかがでしたか?
 神楽のもつ信仰性ということではなく、パフォーマンスとして見ていらっしゃったと思います。フランス公演でも同じでしたが、見たことのない動きが随所にあり、新しい踊りを見た、新しいリズム感にふれたという感じがあって興味深かったのではないでしょうか。
 リズムが乗ってきたら、どうしてここで拍手がくるんだというところで拍手して、徐々に手拍子になっていったり。我々が神楽を見る時、特に式舞を見る時には、どちらかというと正座じゃないけど居ずまいを正して信仰心を受け取ろうとするけど、彼らは違う。踊りの特徴とリズムの方を上手くつかんでくれていたように思います。神楽はこんなに激しく動くんだ、「へえー!?」と思ったんじゃないでしょうか。そういう反応でしたね。

──阿部さんは、民俗芸能を語るときに「基層文化」という言葉を使われます。それはなぜですか。
 基層文化というのは、いわゆる、その地域で生きている人たちがベースとしている文化のことです。ですから、地域によってそれぞれの基層文化は異なるはずです。昔は、同族によってひとつの集落(地域)が出来ていたわけですから、基層文化というのは、同族間の習俗とか、そういうものを色濃く反映しているわけです。
 ですから、我々が容易には理解できない部分もあって、その上に芸能が乗っかってくるわけです。それは外から流入してきて、そこの習俗に合った形に改変されたものかもしれない。それが長い時間かけてそこの基層文化になっていく。また、基層文化として地域の行事の中などで完結していたものが、いろいろな形で地域の外に出ていくなどして、見た目や演じる方の気持ちも変わってくるということもあると思います。その辺りの、今行われていることを民俗芸能としてどう語っていくのか難しいところがあるので、基層文化という言葉を使っています。

──今回の震災に対して芸術や文化に何ができるか、いろいろな方面から議論が行われています。その中で地域の基層文化として伝えられてきた民俗芸能というのは、日々の営みとともにあるもの、地震や津波、飢饉とともにあるものだということに気が付きました。
 三陸地方には、たびたび津波が来て、今回のような壊滅的な被害を受けてきました。その時に民俗芸能や地域の祭礼がどうして残ることができたのかよく判らない部分はあるけど、富を持っている人は頑張って地域の人々に対して手当をしたそうです。それは、その人が偉いとかではなくて、そうしなければ次にそのお大尽様は地域の人々からの信頼を失って富を蓄えられない仕組みになっていた。だから、少しずつよくなれば、じゃあ神楽さんも呼んでみるか、とか、来年は祭りをやるか、とか、そういう風になっていったんじゃないでしょうか。
 芸能そのものの力というよりは、芸能がそこにあったから、俺たちにできることがあるじゃないか、と自分たちを奮い立たせることができたんだと思います。自分たちの存在を将来に繋げていこうという動きの中での極めて自然な反応が、芸能だったのだと思います。
 
TOP