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アオキ裕キ
アオキ裕キ(あおき・ゆうき)
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Dance 4 All 2013 コミュニティダンスフェスティバル
新人H ソケリッサ!『新世界ワルツ』

(2014年2月22日〜23日/京都芸術センター)
撮影:大河内 禎
ソケリッサ!
ソケリッサ!
ソケリッサ!
ソケリッサ!
ソケリッサ!
Artist Interview
2014.3.31
dance
A homeless dance group  Showing the living body  
生きる肉体を見せる ホームレスのダンスグループ  
ダンサーで振付家のアオキ裕キが、路上生活者のおじさん達とパフォーマンスを行っているダンスグループ「新人H ソケリッサ!」。ダンスの経験もなく、興味もなかったおじさん達に声をかけ、生きることに直面してきたその肉体と向き合い、創り出したパフォーマンスは圧倒的な存在感と不思議なユーモアをもって観客に迫ってくる。2007年に活動を始めて7年余り。社会運動やコミュニティダンスの枠を超えて、パフォーマーとして独自の存在感を示す彼らの表現について、アオキ裕キにインタビューした。
聞き手:乗越たかお[舞踊評論家]

──ソケリッサ!はホームレスの人々がダンサーとして出演するダンスグループです。何度か拝見していますが、路上生活で刻まれた肉体の存在感に圧倒されます。アオキさん自身は路上生活を経験されているわけではありませんし、以前は「別にホームレスの大変さを訴えるために作品を作っているわけじゃない」ともおっしゃっていました。
 はい。僕が作品を通して見せたいのは、他の人では見せることのできない“生きる肉体”なんです。僕たちは「お金があって、毎日ご飯が食べられて、寝るところもある」のが普通だと思っています。そういう環境で暮らしている身体から生まれたダンスではなく、一日一日を必死に生き延びなければならない状況にある「いまこの日本という国を一番生きている肉体」を見せたかったんです。
 
──それにしてもなぜ、ホームレスの人々とともにダンスを作ろうと思ったのですか。
 2004年頃、新宿の路上ライブで歌っていた若者のすぐ横に、お尻を出して寝ているホームレスのおじさんがいたんです。もちろんバンドにはすごく人だかりがあるのですが、おじさんのほうには誰もいない。よくある風景といえばそれまでですけど、自分にはすごく引っ掛かりました。何より「人目を気にせず、お尻を出して寝られる感覚がすごい。この人が、もしも人前で表現をしたらどうなるのだろう」と思いました。自分が見たことのない世界が絶対そこにあると確信めいたものを感じたんです。
 当初はホームレスの人にダンスを教えたらどうなるだろう、くらいの考えだったのですが、あの圧倒的な存在感のある肉体を前にしたら、そんなことでは太刀打ちできないのがすぐにわかりました。そこでともかく自分も一緒に踊ろうとしたのですが、今度は自分はどう存在すればいいのかという根本的な課題を突きつけられることになってしまいました。


9.11を越えて

──カンパニーの成り立ちを伺う前に、まずアオキさんご自身のことを聞かせてください。ダンスはいつから始められたんですか?

 僕は神戸出身で高校時代はずっとバスケットボールをしていたのですが、マイケル・ジャクソンや映画の『ブレイクダンス』に憧れてダンスを独学で練習していました。高校を卒業して3日後には「とにかくダンスで食べていきたい」と、何のコネもなく東京に来ました。たまたま新聞でタレントを養成する劇団の団員募集を見て(笑)、そこで芝居やジャズダンスを学びました。仕事は順調で、2年も経たないうちに大手テーマパークで踊る仕事や、アイドルグループのバックダンサーの仕事などがあり、経済的には恵まれていました。特に決まった師匠はいないのですが、この頃はジャズダンスとストリートダンスを中心にやっていました。
 そして2001年に海外のダンスを学びたくて、NYに行きました。
 
──2001年のNYというと、9.11のテロのときもいたのですか。
 はい。本当に衝撃を受けました。東日本大震災でも同じような感覚に見舞われましたが、自分のダンスに対する姿勢がすごく自分本位で、世の中の何の助けにもなっていない、ただ格好いいことを真似てやっているだけに思えて。いままで何を見ていたんだろう、もっと世間にコミットできないものかと、真剣に考えるようになりました。
 帰国して、少し地に足を付けて考えるために、まずは事務所に入って体制を整えました。オフィスルゥという森山開次も所属しているところで仕事をしながら、多くのコンテンポラリーダンスや舞踏を見て回ったり、ワークショップを受けたりしました。
 
──舞踏はどなたに学ばれたのですか。
 笠井叡さんです。日本人というものをすごく感じられたし、自分自身に目を向ける向け方は現在の僕のダンス感覚にすごく繋がっています。この頃はとにかくダンスを片っ端から見ていて、中でもNoismのカンパニーシステムやスタイルなどは印象的でした。そうやって何かを探しているときに出会ったのが、例の「道でお尻を出して寝ていたホームレス」だったんです。


ホームレスをダンスに誘う日々

──ただいきなりホームレスに「踊りませんか」といっても、相手にされないのでは?

 ええ。新宿や上野などにスカウトに行ったのですが、僕もあまり快活なほうではないので、陰から見守って話を聞いてくれそうな人を探しました。この人なら大丈夫かなと思える人とまずは知り合いになって、何日か通って「実はダンスを……」と声をかけたのですが、「何を言ってるんだ」と取り合ってもらえない。そんなことを半年ぐらい、あっちこっちで繰り返しました。
 
──「望みはない」とあきらめる気にはならなかったのですか。
 周りからも「無理だ」とさんざん言われましたが、僕には自分が求めているものがそこにあるという確信があったので、諦められませんでした。
 そのうちある人に日本版「ビッグイシュー」(雑誌を売って代金を得ることでホームレスの社会参加を助ける目的で設立された。発祥はロンドン。世界各国で展開されている)を紹介されました。社長が興味を持ってくださって、「ビッグイシュー」を販売する人が集まる「サロン」というミーティングに参加させていただき、そこに集まったホームレスの人々に向かって「こういうことをやりたいんです」と話しました。
 
──ホームレスでも比較的社会性のある人々ですね。集まりましたか?
 駄目でしたね(笑)。こうなったらどんな踊りかを見せるしかない。そこで「何日何時にここで踊りを見せますから、とにかく見に来てください!」とおじさん達に片っ端から声をかけました。そうしたら5〜6人が見に来てくれたので、彼らの前で踊りました。それは「プロのテクニックを見せる踊り」ではなく、日常の動きを使ったりしながら自分の中にあるものを外に出すようなダンスです。そう説明して、「こういうものをみんなで一緒にやりたいんです!」と訴えました。そうしたら全員が「じゃあやります」と言ってくれた。2007年のことです。

──その時点で作品創作の経験はあったのですか。
 ニューヨークから帰った直後に「ネクストリーム」というダンスフェスティバルで最優秀賞を受賞しました。バイオリンを弾く子どもと僕とダンサー2人、計4人の、比較的キレイなものです。


生きることに直面している肉体

──しかし基本的に日々の生活で精一杯のホームレスの人々を、練習に参加させるのは大変だったのではないですか。

「ビッグイシュー」から食費と交通費を提供していただき、練習が終わった後はおじさん達とおにぎりを食べるのですが、それ目当てでも来てほしいという気持ちでした。場所は、僕の所属事務所のスタジオを無料で使わせてもらいました。ただお風呂に入れないとどうしても臭いが凄くなる。最初にトレーニングウェアを渡したんですが、靴下は替えられても、靴自体はなかなか替えられません。こうなると恐るべきスピードで臭くなるんです。でもその有機的な感じこそ僕の望んでいたもので、「これが本当の人間の匂いだ!」と思いました。みんなとグシャグシャになりながらレッスンを重ねました。

──初めはどんなことをやったんですか。
 身体が萎縮して固まっている人も多いので、最初はとにかくストレッチを1時間半ぐらいやりました。それから色んな身体の動かし方を試していきました。歩くとかちょっと手を上げるとか、そんな程度ですけど。
 当初は振付をしようとして、いろいろ考えていった振付を試したのですが、あっという間に忘れてしまう(笑)。それに、僕が教えた動きをやってもらってもおもしろくないんです。少しずつでも自分たちであれこれ考えながら動いてる姿が素晴らしい。僕が想像できないような動きも一杯あって、これらを活かすことを最優先に考えて、ステップではなく“言葉”で振り付けすることにしました。

──言葉で振り付けるとはどういうことですか。
 「このおじさんは歩く姿がおもしろいなあ」と思うと、たとえば「月の上を歩いてみて」とイメージを伝える。「月の上だからフワッと歩くのかな」と思ったらそうでもないのですが、元々の歩き方がおもしろいから、予想外の動きが生まれてくる。それに、自分で作った動きですから、責任を持って覚えてるんですよね。
 「歩く姿がおもしろいおじさん」は、第1回公演「ソケリッサ!」に向けた稽古に参加してくれた人で、本当に歩くことが好きでした。「未来に進む、過去に戻る」という言葉を与えたときには、僕は漠然と「前後に行ったり来たりするだろう」と予想していたら、その人は同じ場所でずーっと足踏みをしているだけ(笑)。やはり見ているもの、信じているもの、感覚が違うんだな、凄いなと感じました。

──2007年に行われた第1回公演『ソケリッサ!』(07年)のときにはグループ名を「新人H」としていて、ソケリッサ!は作品タイトルでしたね。
 そうです。「新人H」のHは、「HOME(ホーム)」「HUMAN(ヒューマン)」などのHで、「新人」はダンスの新人というのと、「新しい価値観を持った人間」としても進みたいみたいな気持ちもあって付けました。タイトルの「ソケリッサ!」というのは「それいけ!」みたいな勢いを表す造語です。タイトルのつもりだったのですが、皆さんがあまりにもその言葉に馴染んでくださったので、「新人H ソケリッサ!」というグループ名に変えました。
 『ソケリッサ!』はその歩くことが好きなおじさんを主人公に「人類が言葉を使い出した頃」を描こうとしたのですが、本番の1週間前に連絡が取れなくなって結局現れず、本番そのおじさんのパートは僕が代わりにやりました。


本番に来なくてもしょうがない

──本番に来なかったのですか!?

 おじさんは、歩いて江ノ島までイルカを見に行っていたそうです(笑)。歩くのが本当に好きな人なので。そのおじさんにとって、歩くことは移動手段とか健康のためとかではなく、生きることそのものだったんでしょうね。電車移動にはない何かを、歩いて辿り着くことで得ていたのだと思います。彼は常に「いまここ」にあるものだけを感じているのではないか、だから「未来に進む、過去に戻る」と言われても、その場で足踏みをしていたのではないか……など色々なことを考えさせられました。最後は歩いて実家の福島に帰って行かれましたけど、おじさん達から得る物は本当に多いです。

──連絡が突然取れなくなる、当日来るかどうかわからない、というのは公演をする立場からは大変なリスクですね。
 「毎週○曜日は○時からスタジオで稽古」というように、できるだけこちらの活動を規則正しくして連絡を取りやすくしているんですが、それでも最悪「本番に来ない」ということも覚悟しながらやっています。
 翌年には第2回公演『いいかげんな謳(うた)の章』(08年)をやりました。とにかく歌が大好きなおじさんが入ってきたので、彼を中心につくりました。好きなのに技術的にはものすごく下手で、歯も抜けているからほとんどヒューヒュー言っているだけなんですけど(笑)、実に魅力的で。一般的な新宿の路上生活のシーンを歌いながら踊り、次は同じことをオーケストラ曲バックに、扇風機4台で紙吹雪が舞う中でやってもらいました。
 最初に話したことと矛盾するようですが、一度はキッチリ路上生活の実態を扱った作品をつくっておきたかったんです。ただ風と紙吹雪でおじさん達は上手く喋れないし、入れ歯は落ちるしで大変でしたが、立ち向かっていく姿がすごくダイナミックでした。実はこのときも、主役である「歌好きなおじさん」が途中で来なくなって、彼のパートは皆でやるはめになりましたけど(笑)。

──また来ない!(笑)。
 その次が『全知全能』(10年)という作品でした。性同一性障害の方が練習に参加してくださったので「人は完璧を求める」ということをテーマにしてつくりました。見た目は正直、髪も薄いおじさんなんですが、細い身体にピンクの服にタイトなスカートという出で立ちで、ストレッチでも股を開かないくらい、心は完全に女性です。僕は、「よし、このおじさんを本番中にメチャメチャ綺麗にしてやる!」と思いました。舞台上に服や口紅を置いて、彼がそれを身に付けていきながら最終的に女性になる。それは母でもあり、一番大きな存在でもある……。でも結局そのおじさんも来なくなっちゃって(笑)。

──本番だけはなんとか来てくれとか、強く言ったりはしないんですか。
 酒好きギャンブル好き等、いろんな人がいること自体が豊かなわけですから。そういうおじさん達の感覚は大事にしてほしいので、僕は普段の生活には一切口出しはしません。こちらからの目線で、何が良いとかダメだとかいうのは違うと思います。「練習に出てこないと出番がどんどん減っていく」ことにはなりますが、それでも出たくなくなったのなら、それはしょうがないですね。

──なるほど、かなりの覚悟がいりますね(笑)。2011年には大野一雄フェスティバルに出演されています。ここでダンス関係者からも注目されるようになりました。
 『新世界ワルツ』という作品で参加しました。「新しい星をつくって人類がもう一度生活をはじめたら、果たして今と同じような世の中になるのか」を考えたものです。火と、水と、土を舞台上に置いて、星をつくる。それは同時に家族の話でもあり、横内さんが母、背の大きい小磯さんが父、子どもが伊藤さんという役割でした。大野フェスティバルには2013年に再び出させていただいて、その時は『つのひと』を上演しました。「動物は牙や角や爪という武器を持っているが、もしも人間に角という武器があったらどうなるか」を考えたものです。
 ……まあどの作品も根本の発想は常に同じで、「まず人に興味があり、人間の本質は何か?」を考えるのが基本になっています。


動きや形の必然性が生み出すダンス

──80年代の、それこそコンテンポラリーダンスという言葉が出始めた頃から、「ダンサーの身体よりも素人の身体のほうがおもしろい」ということはよく言われてはきました。それ自体は否定しませんが、おもしろい動きだけで1時間の作品をつくるのは難しい。そこにチャレンジするのは相当リスキーだと思います。

 そうですね。おじさん達はすでに底辺からのスタートなので、守りに入らず挑戦できた面はあります。大切なのは僕がただ踊らせて監督するというのではなく、一緒に全力で踊りたいという強い意志を持っていることです。例えばおじさんが予想外の動きをしたときでも、僕が即興で受け止めて成立させる。捌けなきゃいけないシーンで立ち尽くしているおじさんがいても、僕が出て行って彼をジッと見ることで新しい意味が生まれる。なまじ技術のある僕が何かアタフタしている部分も含めて、作品としていければと思っています。

──逆にアオキさんが踊り手として、おじさん達から影響を受けている部分はありますか?
 ありますが、同じことをやってもあの存在感にはかなわないですからね(笑)。ですから、日頃から自分の感覚を鋭敏にして、どんなものも受け止められるよう鍛えています。舞台上の僕の姿に自分を投影して、おじさん達と関わるような見方をする人もいますし。僕自身は、あの空間では人間じゃない、もっと何か違うものとして存在したいのですが、人間として存在していることを求められてもいるので…。

──ダンサー達は変わってきましたか。
 当初とは全然違いますね。世の中から遠ざかった感じだったのが、笑ったり、感情が豊かになり、自己肯定感をもてるようになってきた。人間誰だって自分のつくった動きが認められればうれしいですし、おじさん達は特別そういうところが強いかもしれません。本番前にはみんな緊張し、「今からちゃんと見せなきゃ」という意識ですごく静かになります。ストレッチも黙々とやって、終わった後にちゃんとみんなにあいさつをする。見てもらっているという意識は明確にもっています。
 実はみんな、他の人のダンス公演を結構見に行ったりしているんです。でもどんな踊りを見ても、彼らは絶対ダメとは言わないですね。踊りそのものに対してとても肯定的です。踊りをやっていることにすごく生きがいを持ち、それが良いものとして自分の中で膨らんでいるんじゃないでしょうか。

──しかし作品として提出する以上、クオリティを求める必要があります。歴史的にダンスや体操はディシプリン(調教)の一面を持っています。指導者の下に学び、身体を鍛える。本来なら、ダンス経験豊かなアオキさんが、動きを「振り付ける(押しつける)」ことで作品の質を上げるというのが一番わかりやすい方法ですが、アオキさんの手法はそれとは真逆です。作品の質を上げるにはどのようにしていますか。
 確かに動きが決まっているジャズダンスなどは、次々に振りを与えられてやったほうがいいでしょう。しかし動きはどんどん生み出すべきだし、その人にしかできない動きがあってもいい。おじさん達にはその可能性を感じるんです。本番中に寝てしまったら、それを排除するか、すごいものとして見せるかで作品は変わってくる。彼らの良さや味わいをいかに生かせるかが分かれ道だと思います。
 集中力は回を重ねるほど強くなっていますし、彼らおじさん達の肉体からは、いつも強烈なものが出てきます。しかし押しつけられた動きではないので、「その身体の理に適った形や動き」が見えてくるんです。そうした「動きや形の必然性」を、いかに高めていくかが作品のクオリティとなるし、それをやるのが僕の役割だと思っています。

──「動きや形の必然性」とはおもしろいですね
 踊りが発生してきた起源は、そういうものだったんじゃないでしょうか。おそらくバレエを最初に作った人々は、美しいフォルムや動きを研究するうちに型を積み重ねていったと思うんです。しかし今は先行する型から入って表現を考える傾向になっている。しかしヒップホップの動きが社会から阻害された反発から生まれたように、そこから形をつくっていく作業も大切だと思います。おじさん達の動きを見ていると、同じ匂いを感じますね。

──「社会からはじき出された肉体」の反発が生み出すダンスですか。
 ただ、おじさん達がダンスに来る動機は、正直言ってまちまちです。終わったらおむすびが食べられる、人と繋がれる、ストレス発散になる、健康になる……でもそれでいい。僕自身はダンスカンパニーとして目標を持っていますが、なにもおじさん達が一丸となって進む必要はなく、それぞれ違う目標を持ちながら一緒に進んでいくことが大切です。
 僕は社会運動家ではないのであえて言いますが、彼らは必ずしも社会復帰を望んではいません。路上生活を「気楽で自由で仲間もいる」と気に入っている人も少なくない。社会生活はストレスもありますからね。狭い所で寝ていたりすると身体がいびつになる場合もありますが、硬い床で寝ていても肩こりは少ないとか、ストレスがないのでハゲないとか言われたりもする。実際おじさん達の中には、ときどきすごく柔らかい筋肉を持っている人もいるんです。

──でも、社会運動家のように言われることもあるのではありませんか。
 初めの頃は多かったですね。ただ僕がやりたいのは社会運動ではなく芸術だとわかったら離れていきましたけど(笑)。きっと、芸術が世の中を良くするとは思っていない人が多いんじゃないでしょうか。しかし芸術は新たな価値観を提示できる手段でもあり、昔から世の中を変えるきっかけの一つになっているはずだと思います。僕は主義主張ではなく抽象的な表現として、芸術として提示し続けていく方が、より広く質感と想いを伝えられると思っています。


インドでのカースト体験

──これからやりたいことはありますか。

 将来、路上生活のおじさん達を連れて行こうと思って、リサーチのため08年にひとりでインドに行きました。コネも何もないので、日本語学校の人に聞いて、インドの国際交流基金の人を紹介してもらい、どこか路上で踊れるところはないか教えてもらいました。
 オールドデリーにある大きなモスクの横の道端だったのですが、そこにはかつてのカースト制度(1950年にインド憲法により全面禁止されたが、今もヒンドゥ社会に根づいている)で身分が低いとされた人が多く集まっていました。段ボールに貼った紙に波や顔を書いて、それを使いながらひとりで踊りました。10〜15分ぐらいで人だかりができて、これはいけると思い、観客の一人に紙を渡して「君もできるよ、やってごらん」と言いました。するとその途端、さっきまでと表情が一変し、紙をびりびりに破いて投げつけ、怒り出したんです。周りの人々も一緒に怒っていました。

──それは意外な反応ですね。
 わけがわからなかった。後でガイドに聞くと、「彼らは一生自分が属するカーストから抜け出せないと思っている。だから新しいことに挑戦したり、創造的な感情をもつことを自分の中で制御してしまっているので、混乱したのではないか」と言っていました。紙を破かれたときは本当にショックで、涙を流しながら歩いて帰りました。自分の無力さも感じたし、まだまだ知らないことも多いと思いました。すごく良い経験でした。

──「向上心を見せる」ということは「カースト制度を攪乱するもの」として、非難されると思いこんでいるのかもしれませんね。
 そうかもしれません。それ以降は見せるだけにして、インド各地で続けました。日本人だし、見たことのない踊りだから、みんな様々な感想を言ってくれました。いろいろありましたが、やはり将来はおじさん達を連れて行きたい。彼らがどんな風に見られ、彼らはどんな風に感じるんだろうと。ただそれが日本サイドだけの目線だけになってしまわないよう、事前にもっと僕自身が成長しないと挑戦できないですが。


原初の肉体を求めて

──あえて意地の悪い言い方をさせてもらうと、アオキさん自身はホームレスではないし、経済的にも社会的にも成功していた。そのアオキさんが彼らを素材として使う、という立ち位置に抵抗を感じる人がいるかもしれません。

 そうですね。路上生活の肉体を見せるのがソケリッサ!のひとつの側面であることは確かですし、それが否応なく社会的な意味を持ってしまうことは理解しています。でも僕自身が一番見たいのは「原始時代のような肉体が踊っている姿」なんです。「全てが生きることに直結している身体」の動き──現代社会でそれを体現しているひとつが路上生活者だったわけで、僕の欲する表現の実現のために彼らを使っていると言われればその通りかもしれません。
 しかし路上生活を経験した肉体でしか見せられない表現が絶対にある。おじさん達がそういう表現で認められることは、自分たちが社会によって生かされているということを実感することでもある。それが、他の路上生者、社会的弱者のエネルギーになるかもしれない。そういうことをひとつひとつ考えながらやっているつもりです。そこが伝わらなければ、ただの見世物だと言われてもしょうがない。

──ダンサーである路上生活者と向き合った表現ということですね。
 はい。僕の知る限り、先例のない取り組みなので、おじさん達がこの先、ダンスのせいで傷つくようなことがあるかもしれない。どうなるか正直全く予想がつきません。でもおじさん達が止めたいと言わない限り、僕は止めない。そのためにできることは全てする。そういう意識をもって取り組むしかないと思います。自分は一生おじさん達に付いていく覚悟です。
 
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