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Artist aAn Ovewview.
2005.1.19
Contemporary Rendition of Traditional Styles of Japanese Music (Hogaku)────Kazumi Narabe (Journalist)  
疾風怒濤の変革期に突入した現代邦楽 奈良部和美 (ジャーナリスト)  
邦楽の歩み
日本の伝統音楽は「邦楽」と呼ばれている。「わが国の音楽」という意味で、宮廷音楽ともいえる雅楽や仏教音楽の声明、民謡も含む「日本の音楽の総称、ただしアイヌ民族の音楽と沖縄の音楽を除く場合が多い」というのが、大方の音楽辞典の解釈である。今日の日本では、様々な国の様々な音楽が日常的に聴かれており、その中における「邦楽」の占める割合は小さくなっている。
「明治の文明開化でヨーロッパ文化に、太平洋戦争の敗戦で米国文化に、日本の音楽は痛めつけられた」と、ある音楽学者が言っているように、明治以降の日本の音楽教育は、ヨーロッパのクラシック音楽の原理に基づいて行われてきた。ベルカントのような発声が美しいとされ、義太夫や浪曲のような地声は汚いと教えられるなど、西欧のクラシック音楽こそ、音楽の中の音楽だと教えられてきた。そうした100年のツケが、邦楽を庶民の生活から引き離していった。
例えば、ビートルズ世代後の人はギターを弾いた経験はあるが、三味線を弾いたことはほとんどいないだろうし、ピアノ教室に通っている子どもは多くても、箏を習っている子どもは極めて少ない。多くの日本人が邦楽から連想するのは、せいぜいお正月にテレビやデパートから流れてくる箏のBGM音楽ぐらいだろう。
しかし、それでも邦楽にスポットがあたった時期はあった。第二次大戦後、伝統音楽と西洋のクラシック音楽の異種交配により「現代邦楽」という新しいスタイルが生まれたのをきっかけに、1964年頃から現代邦楽ブームがおとずれる。横山勝也の尺八、鶴田錦史の薩摩琵琶とオーケストラによる武満徹作曲の「ノヴェンバー・ステップス」や、尺八奏者山本邦山がジャズに挑んだ「銀界」は、西洋音楽と邦楽の枠を越えた新しい音楽の誕生を告げ、若い聴衆をつかんだ。現在、40代、50代の演奏家には、この衝撃から邦楽の道を選んだ人も多く、こうして現代まで続く現代邦楽の流れが生まれてきた。

1990年代以降の現代邦楽の動向
1990年代に入り、「邦楽ニューウェーブ」によって再び邦楽に注目が集まるようになる。ワールドミュージックの流行を経て、若手演奏家がポップスなどの手法を取り込み次々にバンドを結成。当時、マスコミが話題にしていたバンドブームの流れに乗り、テレビにも進出したが、消滅したのも早かった。
一方、実力のある若手演奏家たちも、同世代の聴衆をつかもうと模索し続けていた。義務教育で平均律を学び、欧米の音楽を聞いて成長した彼らにとって、邦楽と洋楽の区別は希薄でともに聴くに値する音楽であり、表現手段であることに変わりはない。
例えば、津軽三味線の木下伸市は、民謡界の反逆児といわれた伊藤多喜雄のバックバンドにいる頃から、座って演奏するものだった三味線をストラップで肩から下げ、ギターのようにかき鳴らした。三味線や和太鼓、ギター、ドラムスなどで構成するロックバンドにも参加して活動した。
三味線の伴奏で人情話や任侠話を語る浪曲師の国本武春は、「三味線ロック」と称して、黒眼鏡にジーパン姿で登場し、エレクトリック三味線を使って弾き語りを行い、絶滅寸前といわれた浪曲に新しい聴衆を呼び込んだ。長唄三味線の「伝の会」や能楽囃子方の一噌幸弘は、歌舞伎、能といった古典の舞台を勤めつつ、独自のライブ活動を展開して老若男女の幅広いファンを獲得している。
邦楽ニューウェーブから生まれたこれらの動きを助走に、1990年代の終わりに、かつてない変化が表れる。これまで邦楽に興味のなかった人たちにもアピールする、芸能界で活躍するスターが誕生したのだ。
先駆けと言えるのが、雅楽の篳篥奏者・東儀秀樹である。東儀は宮内庁楽部で雅楽を学び、退職して篳篥(ひちりき)のソリストとして活動を始めたが、癒し系音楽ブームに乗って多くの若い女性ファンの心をつかんだ。貴公子然とした容貌も手伝ってテレビドラマに出演し、写真集も出版されるなど、邦楽界では前代未聞の売れっ子になる。また、黒紋付きに袴という伝統的な衣装に、髪を茶色に染めた津軽三味線(つがるじゃみせん)のデュオ、吉田兄弟の売れっ子ぶりも邦楽関係者を驚かせた。
“成功”の要因のひとつは売り込み方法にある。多くの邦楽の演奏者は自分でマネジメントを行なっているが、東儀も吉田兄弟もマネジメント会社に所属し、レコード会社が積極的にPRに関与している。この二つの成功によって、邦楽もやり方次第でブームを生み出す素材になることが証明され、レコード業界も「邦楽は売れる」という認識に立って、積極的な新人発掘に乗り出す。
2000年に入ると、その成果が出始め、尺八の藤原道山や津軽三味線の上妻宏光のように、若く、美形で恰好いい演奏家がテレビを通じて知られるようになり、マスコミに登場した演奏家のコンサートには大入りが続く。津軽三味線奏者・木下伸市のドキュメンタリー番組や、上妻宏光の密着ルポルタージュの出版が続き、ゴシップでスポーツ新聞を賑わせる演奏家も現れるようになる。
演奏の善し悪しより見た目偏重のブームとの批判もあるが、ジャズに例えられる即興演奏を特徴とする津軽三味線は、木下、上妻の超絶技巧が恰好よさに結びついているのであり、彼らを目指して演奏家を志す若者が増えるという手応えのある成果も見せている。
こうした変化の背景には、このところ日本で起こっている自国の文化を再発見しようという風潮がある。加えて、ワールドミュージックの流行によりかつての欧米音楽志向に陰りが出たことも大きく影響している。どんな民族の音楽も自分の感性で聴くようになった人々によって、日本の伝統音楽は、ブルガリアンヴォイスやインドネシアのガムランのように新鮮な音楽として発見されたのである。
 
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