The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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イ・ギュソク
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イ・ギュソク(Lee Gyu−Seog)
1971年ソウル生まれ。1991年、高麗大学マス・コミュニケーション学部中退。1997年に若いアーチストたちとともにソウル独立芸術祭を立ち上げ、フェスティバルディレクターとして活躍。春川マイムフェスティバルとの共同企画(2000−2001)、光州ビエンナーレ公演部門プログラマー(2002)、果川ハンマダン祝祭運営委員(2002−現在)などのフェスティバルにかかわるとともに、日本のフィジカル・シアターフェスティバル(2001)、バンコク・フリンジフェスティバル(2002)などに参加。また、シンガポールのアジア・アートマーケットへの協力企画(2003)、香港シティフェスティバルでのソウルフォーカスプログラムの企画(2005)など、国際交流の現場で活躍する。2006年1月より韓国芸術経営支援センター長に就任。
韓国芸術経営支援センター
http://www.gokams.or.kr/
Arts Organization of the Month
→「今月の支援団体」(韓国芸術経営支援センター)
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ソウル芸術見本市2006(PAMS 2006)
会期:10月11日〜14日
会場:大学路一帯(アルコ芸術劇場、アルコ美術館、マロニエ公園野外ステージ)
主催:2006ソウル芸術見本市推進委員会
主管:韓国芸術経営支援センター
後援:文化観光部、韓国文化芸術委員会
協力:ソウル国際公演芸術祭、ソウル世界舞踊祭、ベセト演劇祭
http://www.pams.or.kr/
ソウル芸術見本市
ソウル芸術見本市
© PAMS



*1 ソウル・フリンジフェスティバル
1997年、若いアーチストたちによって自発的に開催されはじめたソウル独立芸術祭が、2002年に名称をソウル・フリンジフェスティバルに改名。2005年には308団体が参加し、観客数も17万名に達した。韓国の人気ロックバンド<Crying Nut>、チェ・ミンシク主演の「クライング・フィスト(原題:拳が泣く)」の映画監督リュ・スンボン、劇団<ノートル>などが、このフェスティバルを通じて広く知られるようになった。

*2 弘大(ホンデ)
美術大学として有名な弘益大学が位置する一帯。このエリアは、自由な空気が漂う韓国のアンダーグラウンドそして若者文化のメッカで、つねに新しい文化の胎動が感じられる。
Presenter Interview
2006.8.10
Bringing Korean performing arts to the world scene 
世界に向かって進出するコリアン・パフォーミングアーツ 
昨年、韓国内の舞台芸術界はもちろん国外からの注目も集めてスタートしたソウル芸術見本市(PAMS)。今年、第2回目が10月11日から14日の4日間にわたって開催される。1月に発足したばかりの韓国文化観光部傘下の韓国芸術経営支援センター(KAMS)の主管のもと、コリアン・パフォーミングアーツを世界に向かって大きく広げるイベントとなりそうだ。若干35歳という若さで、韓国芸術経営支援センター長となったイ・ギュソク氏に2006年ソウル芸術見本市と新たに発足した芸術経営支援センターについて話を聞いた。
(インタビュアー:木村典子)


──若干35歳の若さで、韓国芸術経営支援センター長という役職に就かれましたが、かなり異例の人事ですね。
そうですね。僕自身も最初にお話をいただいた時はとても驚きましたし、何度かお断りしたという経緯があります。今までソウル・フリンジフェスティバル(*1)の代表を務めながら、既存の文化や制度に一石を投じてきましたから、これからは批判だけせずに文化機構の中に入り、直接やってみろということだと思います。今度は批判を聞く文化政策の設計者になったわけですから、とても緊張しています。

──フェスティバルディレクターという立場で若いアーチストたちの代弁者的な活動を行ってきましたが、パフォーミングアーツの世界に入ったきっかけは?
高校、大学と演劇サークルで活動をしていましたが、夢はテレビや映画のドキュメンタリー監督でした。軍隊除隊後、映像関連の専門学校で勉強するつもりが、大学時代の友人たちと旗揚げした「SKENE」というアマチュア劇団から離れられず、そのまま演劇とかかわっていました。その時、既存世代の後ろ盾がなければ若いアーチストは劇場ひとつ借りられないという韓国独特の文化風土にかなり苦労させられました。これは僕だけではなく、多くの若いアーチストが経験する苦労であり、苛立ちです。そこで、弘大(*2)に集まる音楽、美術、ダンス、映像、演劇などの各ジャンルのアーチストたちと自分たちの作品の発表の場として、1997年にソウル独立芸術祭を立ち上げました。

──フェスティバルディレクターとしてですか?
いいえ。最初は僕も映像作品を出品するひとりのアーチストとして参加するつもりでした。ただ、弘大にあるポスト劇場で2年ほど「女性映画祭」や「女性演劇祭」などのフェスティバルの企画にかかわっていたことがあり、事務局のひとりとして運営も兼ねることになりました。結局、事務局の仕事が忙しく、作品は出品できませんでしたけどね。この時点で、自分の本意とかかわらず、今のような仕事に進路が向いてしまいました(笑)。このソウル独立芸術祭は、2002年にソウル・フリンジフェスティバルと名前を変えて、現在もつづいています。今年、10年目を迎えますが、この間、日本のフィジカル・シアターフェスティバル、バンコク・フリンジフェスティバル、香港シティフェスティバルなどの多くの海外のフェスティバルディレクターたちとも出会い、多くのことを経験し、学ばせてもらいました。韓国芸術経営支援センター長に任命されたのは、この海外交流の経験と人脈も大きいと思います。

──まず、ソウル芸術見本市の主管である韓国芸術経営支援センターがどのような機構か説明してください。
韓国芸術経営支援センターは、今年1月に発足しました。韓国文化観光部の政策研究所傘下にあった専門芸術法人・団体評価センターとアジア・アートプレックスチーム、そして昨年文化観光部が臨時に組織したソウル芸術見本市事務局を統合して法人化したものです。組織は、企画支援チーム、海外事業チーム、アジア・アートプレックスチームの3パートに分かれています。主業務は、韓国の舞台芸術の海外進出をはじめとする国際交流のサポート、そして国庫助成事業に対する評価です。

──3つのパートについてそれぞれ詳しくお聞きしたいのですが、まず企画支援チームの具体的な業務についてお願いします。
企画支援チームは、既存の専門芸術法人・団体評価センターの業務をそのまま受け継ぎ、専門芸術団体の法人認定、国庫助成事業に対する評価を行っています。そこに新しく芸術経営情報化とコンサルティングの業務が加わり、4つの業務を遂行します。新しい業務に関して簡単にお話しすると、芸術経営情報化は舞台芸術に関するリサーチと情報の蓄積、コンサルティングは芸術団体の運営や経営そして人材育成に対する相談窓口です。
 
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