The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Presenter Interview
Connecting the theater people of Asia   The Japan Foundation international collaboration program
アジアの演劇人を繋ぐ国際交流基金の国際共同制作
インドネシア・シンガポール・タイ・中国・マレーシア・日本共同制作
『リア』

(1997年9月/Bunkamuraシアターコクーン)
リア
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リア
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国際交流基金企画・制作作品。演出にシンガポールのオン・ケンセン、脚本に岸田理生を迎え、インドネシア、シンガポール、タイ、中国、マレーシアから、俳優、ダンサー、音楽家それぞれ伝統と現代両分野が結集。シェークスピアの「リア王」の王と娘の構図を借りながらも、長女に父を殺させることで、女性の側から父権性、権力構造の変化などを読み込もうとした。リアに能の梅若猶彦、長女(原作のゴネリル)に京劇の江其虎、次女(原作のコーディリア)にタイの現代舞踊家、ピーラモン・チョムダワット、リアの世界に侵入してかき乱す女に片桐はいりなど、多彩な才能を集め、また、音楽にシンガポールのワールド・ミュージックの旗手マーク・チャン、振付にインドネシア・コンテポラリー・ダンスの精鋭ボーイ・ワサクティ、小道具に小竹信節など、創作スタッフも個性溢れるメンバーとなった。1995年9月からまる2年をかけて制作され、97年9月に日本初演、99年1月〜2月にアジア・豪州ツァー、同年6〜7月に欧州ツァーを敢行した。各地でおおいにメディアを沸かせ、欧州では、文化・芸術を専門とするテレビ・ネットワークARTEによって数カ国で全編放映された。
南アジア5カ国コラボレーション・マルチメディア演劇作品
『物語の記憶─サマルカンド・カーブル・ヒンドゥスターン』

(2004年11月/国際交流基金フォーラム)
物語の記憶
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物語の記憶
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国際交流基金企画・制作作品。インドのアビラシュ・ピライ、スリランカのルワンティ・ディ・チケラ、ネパールのアヌープ・バラール、パキスタンのイブラヒム・クレイシー、バングラデシュのアザッド・アブル・カラム、という5人の若手演出家による共同演出。南アジアを考える手がかりとして、中央アジアに生まれ、25年の長きに渡ってアフガニスタンを経てインドに侵攻し、南アジア史最大のイスラム王朝であるムガル帝国を開いたバーブルを取り上げ、その長大な回想録「バーブル・ナーマ」を素材に24のシーンを構成し、民族・宗教紛争、暴力など、今日の世界が抱える問題を照射しようとした。俳優は5カ国から。映像、ライブ音楽によるマルチメディア作品。
──『リア』の後、日本のアーティストはほとんど加わっていませんが、国際交流基金の国際共同制作における役割についてどのように考えていますか。
日本が経済と企画面でイニシアチブを取るからと言って、日本を中心に据えなければいけないという発想はあまりありません。先にも述べたように、むしろ日本が介在することで域内の交流が活性化すれば、日本にもその活力が跳ね返ってくるのではないでしょうか。それに、出演者こそ少ないですが、日本は日本の得意分野である舞台プランや技術面で大きなかかわりをしていて、むしろ出演者よりも深い議論をしているかもしれません。もちろん、これからさらに積極的にかかわりたいという日本人が出てくれば素敵なことです。
国際交流基金は制作集団でもなければプロモーターでもないので、私たちがやるべきことは、共同制作にはこういう形や方法もあるという、ある種のモデルを提示することではないかと思います。招聘にしろ、共同制作にしろ、その目的は、アジアにはこういうことを考えている人たちがいるんだ、こういうボキャブラリーでものをつくっている人がいるんだということを提示し、将来の交流や共同作業に繋がる関心と基盤を作り出すことです。ですから何年かに1度でもいいから、できるだけインパクトのある形でそれを提示できればと思います。

──日本では国際共同制作は特別なものとされていて、「なぜ共同制作をしなければならないか」という説明を求められがちですが、欧米では「インターカルチュラリズム」として当然のことと理解されています。そのギャップを畠さんひとりで埋められるものでもありませんが、私もアドバイザーとして関わらせていただいて、実際の創作モデル、美学のモデルみたいなものを例示的にいろいろと日本で提示することは、芸術文化交流のロールモデルを追求する上で重要なことだと思いました。
ところで、畠さんはアジアとの舞台芸術交流に関わられて30年近くになります。その間に日本とアジアとの関係も大きく変わりましたが、舞台芸術の領域ではどのような変化がありましたか。

韓国、中国は、他のアジア地域に比べるとコンスタントに演劇人の交流がありました。東南アジアに関して言うと、アセアン文化センターの設立当時はほとんどゼロに近かったのが、この10数年で徐々に共同作業の動きが出ています。燐光群とフィリピン、ク・ナウカとインドネシアのテアトル・ガラシ、世田谷パブリックシアターの「現代アジア演劇プロジェクト」などはその例です。日本の俳優さんがインドネシアに研修に行ったり、シンガポールに留学するというケースもあります。こんなことは、アセアン文化センターができた頃には考えられないことでした。このようなことを踏まえて、基金としては、南アジア、中央アジア、そして今回の『演じる女たち』ではイランを含めるというふうに、演劇的にまだ交流の未展開の地域にシフトしているわけです。

──ちなみに、国際共同制作を見に来ているのはどのようなお客さんですか。
残念ながら、いわゆるアジア・ファンがアジア演劇を見に来てくれるとは限りませんし、演劇ファンであっても、知られざるアジア演劇に足を運ぶ層はまだまだ僅かです。『演じる女たち』も、アジア・ファンだけでなくできるだけ一般の人に見てもらいたいと、“メジャー劇場”であるBunkamuraのシアターコクーンを会場にしましたが、集客には相当苦しみました(笑)。アジアものに限らずですが、日本の演劇ファンは、知らないもの、分からないものに対して非常に閉鎖的だという気がします。そこを打破して、世界に目を向けてもらうのも、基金の仕事だと思っています。

──この間、アジアとの共同制作をやってきたなかで、各地で恊働できるパートナーのようなところは見えてきましたか。
個人のアーティストには一緒に何かやってみたいと思う人はいますが、組織としてはまだ難しいですね。全体に、経済発展の恩恵が共同制作にまでは回ってきていないのが実情で、パートナーとしてがっぷり組める組織となると心もとない状況です。フェスティバルでは、老舗の香港、シンガポールのほか、様々な国に国際フェスができており、Association of Asian Performing Arts Festivalというネットワークを作っていますが、ネットワークを生かした共同制作の例はまだごく僅かです。いずれにしろ、日本側だけが経済負担を負う状況を脱することは、本当の意味での共同制作の発展のために非常に重要だと思います。

──プレゼンターの一人として、今面白いと思っているアーティストやカンパニーはありますか。
『演じる女たち』をやったばかりでもあり、中央アジア、イランは気になるところです。この9月に悲劇的な突然の死を迎えたウズベキスタンのイルホム劇場のマルク・ヴァイルと、『演じる女たち』に参加したオヴリャクリ・ホジャクリは中央アジアを代表するすばらしい演出家だと思います。若手では、カザフスタンのArt & Shock Theaterというロシア系の若い女性だけのカンパニーも面白いです。30代後半の彼女たちの少女時代は独立前のロシア時代だったわけですが、それをちょっとメランコリックかつ皮肉を交えて描いた『Back in the U.S.S.R.』を見たときは大笑いするとともに、彼女たちのしたたかな才能を感じました。これは、今年の夏に沖縄の「キジムナーフェスタ」で上演されました。
イランには演劇に対する国の支援制度があるので、演劇人が生活できる基盤はあるのですが、見返りとして制約も多く、その葛藤を創作に昇華させている、すばらしく優秀な若手が何人かいます。今回のプロジェクトでも候補に挙がったアミール・レザ・コーヘスタニやハメド・タヘリ──2人とも30そこそこです──などがそれで、いつか一緒に何かやってみたいですね。彼らはドイツ、フランスなどに毎年のように呼ばれ、活動の場を広げていますが、日本はこうしたことが起こらないのが残念です。

──畠さんにとって、アジアの演劇の魅力はどこにありますか。
演劇をすることの意味、リアリティを、彼ら自身が強く意識しているところでしょうか。なぜ創るのかのコンセプトが明確な作品は、その明確さが観客に伝わって胸を打つのだと思います。それと、私は、伝統の強いところは、コンテンポラリーも強いという信念を持っています。その好例が、インドネシアやインドですし、最近ではイランに対してもそう考えるようになっています。高度な伝統文化と、それを咀嚼して新しいものを産み出す力、言いたいことを込める強固な意志、これらが融合した強い作品に出くわすことのできるのがアジアです。
 
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