The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
湯浅永麻
Photo:柘植伊佐夫
湯浅永麻(ゆあさ・えま)
広島県出身。モナコのプリンセス・グレース・アカデミー(校長マリカ・ベゾブラゾヴァ)を首席で卒業した後、2004年にNDT 2に入団、2006年よりNDT 1に所属。2010年より自作振付の発表を開始し、2015年にNDTを退団した後は、ゲストとしてマッツ・エック『Juliet and Romeo』(ジュリエット役)、サシャ・ヴァルツ『Körper』を踊る。EASTMANには2016年より所属、2013年より渡辺レイ、小㞍健太とコンテンポラリーダンスプロジェクトOptoとしても活動する。
YDC2019 エラ・ホチルド×大巻伸嗣
『Futuristic Space』

(2019年1月31日〜2月2日/横浜赤レンガ倉庫1号館ホール)
振付・演出:エラ・ホチルド
美術:大巻伸嗣
音楽:ゲルション・ヴァイセルフィレル
出演:大宮大奨、笹本龍史、鈴木竜、湯浅永麻、ミハル・サイファン
Futuristic Space
Futuristic Space
Futuristic Space
Futuristic Space
Photo:菅原康太
*1 NDT
ネザーランド・ダンス・シアター。オランダ、ハーグを本拠地とし、オランダ国立バレエ団を退団したダンサーたちが1959年に設立。バレエを基礎とするが古典作品は踊らず、モダンダンスを融合した既存のスタイルに拠らない新作を次々と発表。1970年代のハンス・ファン・マーネンやグレン・テトリーの時代、1978年から約20年間続いたイリ・キリアン芸術監督時代に世界的コンテンポラリーダンスカンパニーとして認知され、2011年からはポール・ライトフットが芸術監督を務めている。若い振付家の支援も積極的に行ない、かつてはウィリアム・フォーサイス、オハッド・ナハリン、勅使川原三郎らに作品を委嘱し、現在はクリスタル・パイト、マルコ・ゲッケがアソシエイト・コレオグラファーを務めている。メインカンパニーのNDT 1、ジュニアカンパニーのNDT 2(1978年設立)で構成されている。

*2 シディ・ラルビ・シェルカウィ
1976年、ベルギー生まれ。1999年より振付家として活動を始め、欧州の様々な劇場から委嘱を受けて作品を発表。2010年にアントワープにESATMANを設立し、これまでに『バベル』『テヅカ』等を制作。ベルギー王立モネ劇場、ラ・ヴィレット(パリ)、サドラーズ・ウェルズ(ロンドン)等をインターナショナル・パートナーに持つ。2015年からベルギー王立フランダース・バレエの芸術監督も務める。
*3 GAGA
イスラエルを代表するコンテンポラリーダンス・カンパニー「バットシェバ舞踊団」。その元芸術監督で振付家のオハッド・ナハリンが開発した身体メソッド。ダンサー向けのGAGA/dancersとあらゆる人に向けたGAGA/peopleがある。講師が言葉でイメージとタイミングを参加者に投げかけ、自らの内面と対話しながら身体感覚と動きを覚醒していくワークショップ。
*4 クリスタル・パイト
1970年、カナダ生まれ。1990年代にダンサーとしてブリティッシュ・コロンビア・バレエ、ドイツのフランクフルト・バレエで踊った後、バンクーバーを拠点に振付家として活動を始める。2002年に自らのカンパニー、キッド・ピヴォットを立ち上げ、2006年には初めてNDTに振付を提供し、2008年からアソシエイト・コレオグラファー。その後もパリ・オペラ座バレエ団、英国ロイヤル・バレエ団、カナダ国立バレエ団等のバレエ団にも振り付け、高い評価を得ている。
*5 『HOME』
さいたまトリエンナーレ2016で、岩槻市の古い日本家屋のインスタレーション展示の中で行われたパフォーマンス作品。オランダのアムステルダム在住のビアニスト向井山朋子がコンセプト・演出・映像・写真を担当、遠藤豊が映像・技術監修、湯浅永麻はパフォーマーとして3カ月間滞在して22公演に出演。振付も共同制作した。
*6 『雅歌』
音楽、ダンス、声、祈りを交えて新しい儀式の形を問うパフォーマンス作品。ピアニストで美術家、演出家の向井山朋子がコンセプト・演出・舞台美術、山田うんが振付、ウクライナ出身の音楽家マキシム・シャリギンが音楽、ティン・ゴングが衣裳・舞台美術を担当。湯浅永麻、神崎智紀、Co.山田うんの女性メンバーが出演。
*7 『enchaîne』
Dance New Air 2018プレ公演 サイトスペシフィックシリーズ vol.2として、2018年2月28日から3月2日まで、東京・六本木の国際文化会館で上演。
出演:アラン・ファリエリ、ジェームズ・ヴ・アン・ファン、湯浅永麻
会場構成:田根剛
衣装:廣川玉枝(SOMARTA)
技術:遠藤豊
彩の国さいたま芸術劇場
さいたまダンス・ラボラトリVol.2(2019)公開リハーサル
アトリエクラス成果発表
『Jardin Feerique』

演出・構成:湯浅永麻
Jardin Feerique
Jardin Feerique
Jardin Feerique
Jardin Feerique
Photo: matron2019
*8 「XHIASMA Project」
2018年に六本木アートナイトで、廣川玉枝とメディアアートの脇田玲と湯浅永麻により実験的に行われたパフォーマンス『XHIASMA』を皮切りに、異ジャンルのアーティストがコラボレーションし、リサーチを重ねてパフォーミングアートの可能性を探る進行形のプロジェクト。
Artist Interview
2020.1.23
ダンス
Ema Yuasa’s New Artistic Sensitivity Nurtured in International Contemporary Dance Projects  
現代ダンスの国際的なプロジェクトが培った湯浅永麻の新感覚  
ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)に11年間所属した後、2015年末に独立し、ヨーロッパを拠点に国際的に活躍するダンサー、振付家の湯浅永麻。強靭さを秘めたしなやかな動き、脆さと狂気、幼女と聖女が同居する独特な存在感で注目され、マッツ・エック、サシャ・ヴァルツ、シディ・ラルビ・シェルカウィ等の名だたる振付家の作品に出演。日本では同じく元NDTダンサーの渡辺レイ、小㞍健太とともにOptoのメンバーとして活動。また、近年では彩の国さいたま芸術劇場の若手ダンサー育成プログラム「さいたまダンス・ラボラトリ」、ファッションデザイナー廣川玉枝などジャンルの違うアーティストとのコラボレーションで作品を創作し、振付家としても活動の場を広げている。国際的なキャリアをもち、2018年に日本ダンスフォーラム賞を受賞した湯浅の可能性に迫るロングインタビュー。
聞き手:岡見さえ

国際的に広がる活動
──湯浅さんは2015年末にNDT(*1)を退団して以降は、プロジェクトのオファーに応じて世界各地で活動されています。たとえば2019年はどのようなプロジェクトに関わったのでしょうか。

 まず、1月は横浜ダンス・コレクションで初演されたエラ・ホチルド振付の『Futuristic Space』にダンサーとして出演しました。それからヨーロッパに戻って、2月はシディ・ラルビ・シェルカウィ(*2)のダンス作品『Nomad』をベルギーで踊り、そのままラルビがミュンヘン歌劇場に委嘱された新作オペラ『アルセスト』のリハーサル。3月はオランダにある自宅に少し戻った後、『Nomad』イタリア公演。4月に一旦帰国して日本ダンスフォーラム賞の授賞式に出席。そこからミュンヘンに移動して2ヶ月半滞在し、『アルセスト』リハーサルと本番。 6月後半は日本の城崎国際アートセンターに1週間滞在し、『XHIASMA(キアスマ) project』のリサーチをファッションデザイナーの廣川玉枝さん、音楽家のworld’s end girlfriendさん、テクニカルディレクターの遠藤豊さん、演者の武内美津子さんらと行ってワークインプログレスを発表。7月は、新潟の上鰕池という限界集落に5日間滞在し、「やまきわ美術館」という集落の古民家をアート・スペースにした場所で、集落や近隣の方を対象にしたワークショップをやりました。それから実家のある広島に帰り、アステールプラザ主催の「TRY A DANCE」(広島周辺で活動するダンサーと作品を制作するプロジェクト)11月公演に向けたオーディションを兼ねたワークショップ。それからミュンヘンに戻って『アルセスト』の最終公演を終え、7月後半はオランダでNDTのサマー・インテンシヴの講師。8月は帰国して、かつて在籍していた広島のバレエスクールの発表会のゲストとして踊り、31日までの約2週間は彩の国さいたま芸術劇場で若手ダンサー向けのワークショップ「さいたまダンス・ラボラトリvol.2」を行いました。
 9月から10月いっぱいは、Bunkamuraでマシュー・ダンスター演出の『オイディプス』(市川海老蔵、黒木瞳、森山未來主演)の稽古と本番、11月は渋谷で2018年に発表した自作ソロ『media』に楽曲提供してくださったworld's end girlfriendさんのライブで踊り、それから長崎に移って、大村湾で真珠をテーマにした自作ソロの初演。大村湾は真円真珠発祥の地と言われているのですが、近年の衰退に心を痛めている九州出身のアーティストの方からの依頼でした。その後は広島で「TRY A DANCE」のリハーサルと本番、という感じです。

──もの凄いスケジュールですね(笑)。湯浅さんはNDTから独立した後、シディ・ラルビ・シェルカウィが代表を務める「EASTMAN」の登録ダンサーになっています。これはどのような組織なのですか。
 EASTMANは、ベルギーに本拠地があり、ダンサーだけでなく俳優、音楽家、写真家、ミュージシャンも登録しているアーティスト集団です。EASTMANがオペラやダンスなどのプロジェクトを引き受けると、ラルビがアーティストを選び、制作に入ります。登録アーティストはとても多いのですが、近年私が参加するプロジェクトのダンサーは、ほぼ同じ顔ぶれで15人くらいでしょうか。

──日本の映画界には、かつて名監督の元にカメラマンや制作スタッフが集まった「○○組」といわれるものがありましたが、感覚的にはそれに近いのでしょうか。
 そうですね。EASTMANの名前の由来も、「シェルカウィ」を英訳した「EASTMAN」だと聞いているので、まさに「シェルカウィ組」ですね。年間契約のアーティストはとても忙しくて大変そうですが、私はプロジェクト毎の契約なので、特に拘束されることはなく活動しています。


NDTでの経験

──湯浅さんは8歳のときにはじめたモダンバレエをきっかけに、9歳から広島の地元の池本恵美子バレエスクールでクラシックバレエを習いはじめました。中学からは京都のバレエ教室にも通い、高校2年生でモナコのプリンセス・グレース・アカデミーに留学します。卒業後、2004年にNDT 2に入団しますが(2006年からNDT 1所属)、ここで湯浅さんの今に至るキャリアの基盤がつくられました。NDTに入って表現や技術の面で大変なことはありましたか。

 留学する前、彩の国さいたま芸術劇場で行われたNDTの来日公演がテレビで放映されたのを見て、素敵だなと思っていました。いつかはNDTのダンサーのように動けるようになりたいと憧れていました。実際に入団してみて、肉体改造という面でクラシックバレエと違うからこういう動きが苦手だとか、そういうハードルはあまり感じませんでしたが、動きや考え方の殻を破るのに少し戸惑いました。ダンサー仲間が本当に素晴らしい人ばかりで、もちろんNDT 1に昇格する競争はありますが、集団としてとてもいいまとまりがありました。

──それは当時の元芸術監督、当時の常任振付家兼アーティスティックアドバイザーだったイリ・キリアンのカンパニーについての考え方によるものですか。
 そう思います。キリアンは、年功序列とか、在籍年数による上下をなくし、ジェンダー、人種、国籍に対しても差がない。そもそも、それを差と感じる人を採用しないのだと思います。それと当時のNDT 2は、自分がサードキャスト、あるいは補欠でも、1日中リハーサルにいて他の人の稽古を見てなくちゃいけなかった。それが良いか悪いかはわかりませんが、他の人を見るのはとても勉強になりました。たとえば、同じ役でも、キリアンはダンサーによって違う指示を出していて、同じことを求めていない。個が尊重されているのを肌で感じたことは、私にとても影響していると思います。

──湯浅さんは、キリアンからどのような指示を受けましたか。
 私がいたのはキリアンが常任振付家兼アーティスティックアドバイザーを務めた最後の頃です。フォルムも崩れて抽象度が増し、一般的に難解と思われる作品が多く、ダンサーに対しては心情やイメージについての指示が多かったですね。視覚や聴覚、あと、香りや触感など、五感についてなどについても言われました。
 キリアンの指示で印象に残っているのは、『Toss of a Dice』という作品です。この作品では、舞台の上に日本人彫刻家の新宮晋さんがつくった鋭角で支配的な動く彫刻が吊られていて、その下でダンスが展開します。最後に群衆が倒れてソロになりますが、徐々に降りてくる尖った彫刻をかわしながらソロのインプロを踊ったときに、「すごく大きく抗えないものが降りてくる、それに当たるとあなたは死ぬ。けれど、このオブジェが表すものに対する畏怖、そして深い愛情もある」という抽象的な指示を受けました。このソロの前のデュエットの指示も抽象的でした。優しく柔らかい感情からすごくシャープになる、というシフトが多くて、異なる心情や多重人格的なものを自分の中に持って、質感と心情のチェンジを瞬時に行う必要がありました。物事の相対性や人間の多様性、多面性を、常に表に出す振付家なのだと思います。

──キリアンの振付を踊るには、自分自身を問われますね。
 「自分ならどうするか」をすごく考えさせられます。「アイデンティティを問う」より、そのときの等身大の自分と対話し、そのシーンに対して出てくる心情を加えて動く。振付を自分の中に落とし込んでおくことは、キリアンやほかの様々な振付家からも要求されます。与えられた振りをこなすだけではなく、咀嚼して自分のカラーを出す。だから稽古場では、パートナーやグループの振りに対して、自分ならどんな心情で、どのように対峙するかを考えていました。

──指示にそのまま従うより、個々の考えが認められる仕事に自分が向いていると思いますか。
 なかなかわがままなのでそのまま従うという事は難しいですね(笑)。「あなたの動きを出して」と言われても、自分を理解していないとできませんし、本質的に「自分を理解する」ことは、永遠にできないかもしれない。しかしその時々の自分の長所や短所、癖などを客観的に見る事は難しいですが、出すことは可能です。それはクラシックを踊るのも、たとえダンスと違う仕事を選んだとしても、絶対に大切だと思います。それを考えたことがないダンサーもいるし、私も最初は面倒で、「これをこうやって」と指示されたかった。でも、「ここからここまで行くのに、あなたならどうする?」と問われたとき、振付家の作品コンセプトに沿ってやるだけでは不十分で、理解して、食べて、咀嚼して、消化して出すことが必要になる。時間のかかるとても長いプロセスだけれども、そうしないとダンサーが振り付けを完璧にコピーして実行する、個性が見えない体操選手のようになってしまう。

──同僚のダンサーから影響を受けたことはありましたか。
 イダン・シャラビという素晴らしい才能を持つダンサーに、すごく影響を受けました。彼はイスラエル人で、オハッド・ナハリンがバットシェバ舞踊団にオファーをしていたのですが、キリアンと仕事がしたいとNDT 2に来ていました(後にバットシェバに入団)。私は当時NDT 1にいたのであまり交流はなかったのですが、「今度僕の作品で踊って」と言われて、彼が振り付けたデュエットをNDTダンサーのワークショップ公演で一緒に踊りました。動き全部にダメ出しされて、ケンカも一杯したけれど、彼の音楽性も仕事の意味も腑に落ちると、一緒に踊るのが至福の体験になりました。そこで大きく意識が変わった気がします。

──どんな作品だったのですか。
 ショパンのピアノ曲、ありふれた音楽で「これを使うの?」と思ったのだけれど、この何回も聞いた音楽にこの心情とこのイメージというのが目からウロコでした。メロディーの中に多種多様なカラーと質感を入れてきて、その質感から質感の物凄いシフトが、耳に馴染んだ曲に新たな発見を与えてくれました。オハッド・ナハリンの作品を踊るときには必ずオハッドのGAGA(*3)というメソッドを受けていますが、イダンの身体性もGAGAのようにゼロから100というより1000に飛ぶ感じ。常に内面からガラッと変わるような感覚がありました。それに慣れていなかった時は、「多分こんな感じだろう」と半信半疑に動いていたのですが、彼はそれが絶対的に嫌だったみたいで、ずっとダメ出しでした。最初からはっきりしたイメージを頭に描いておかないとゼロから爆発的にそこに行くことができない。それはとても暴力的で身体にもすごく負担がかかるのですが、不思議と怪我はしなかった。その後、イダンがイスラエルで立ち上げたプロジェクトにも誘ってくれました。GAGAはもともとオハッドが怪我から復帰するために始めたメソッドなので、ゼロから1000に飛んだとしても、メソッドで充分ウォームアップすれば無茶じゃない。イダンに出会って、身体の使い方、身体性がすごく変わった気がします。

──ダンサーとしての湯浅さんの動きは、バレエやモダン、コンテンポラリーとも違う独特の使い方に見えます。重心が微妙に変わっていく感じ、醸し出される質感が舞踏に近い気がします。骨と肉で動くというより砂袋のようにズズズっと動くみたいな。
 ワークショップで教える時に、最近、例えているのが“ナメクジ”です。通った後にちょっと粘着質みたいなのが残るような質感というか。「ナメクジをイメージしてください。自分の身体のここがまずナメクジになって、床で色んなところをマッサージしてください」とか。仰向けに寝ているところから、頭だけがナメクジになって、床と触れる後頭部の1点を色々変えながら擦り付けて、ナメクジの動きを想像しつつ床で身体をマッサージしながら動きを足していくというウォームアップです。そういうフォームから入るのではなく、言葉で身体を誘導していくのは、GAGAのメソッドに近いですね。GAGAの面白いところは、言葉を使うけれど、1つの言葉の受け取り方は人それぞれで、そこから出てくる動きも千差万別なところ。そういうやり方はGAGAから学びました。

──湯浅さんが初めての振付作品を発表されたいのはいつですか。
 自分のソロでは2010年につくった短い作品の『samsara』、自分が踊らない作品だと、2012年にNDTのダンサーにつくった短いデュエットの『Gently Disturbed』です。自分で動きを大体つくって、ダンサーに移して変化させていくという感じで、自分でダンサーを撮った映像も作中で使うなど、トライアウト的につくりました。
 つくり方が変化したのは、2014年のNDTのサマー・インテンシヴの2週間で 『White Sins』という作品を受講生20人くらいのグループに振り付けたときです。ダンサーにタスクを与えて、その動きを見ながら、この動きにはこういう心情が合うかもしれないとか、この動きにはこういうシーンが合うかもしれないという感じでシーンをつくり、今やっているつくり方の原型みたいなものを始めました。それ以降、自分以外の人に振り付けるときは、同じようなつくり方をしています。

──振付家として影響を受けたのはキリアンでしょうか。
 キリアンにもいろんな面でもちろん影響を受けているのですが、大きく影響を受けたのはクリスタル・パイト(*4)です。パイトからはまったく心情がないタスクを与えられます。今年の「さいたまダンス・ラボラトリ」を例にすると、参加者には「リボンの動き」「アップダウンの動き」「捻る動き」「自分の体に触る動き」というタスクを出しました。全然心情がない、ピュアな動きをつくってそこから立ち上げるのですが、それはパイトとのクリエーションで学びました。もちろん、彼女の中には確固としたコンセプトがあるのですが、あえて初期段階ではダンサーにははっきりと伝えずに始まることが多かったです。たまにクリエーション初日に「こういう作品をつくりたい」というコンセプトのようなものを伝えられることも勿論ありますが、それでもぼんやりしています。それはイメージを与えないことによってダンサーの世界観を狭めずに、より大きな動きのチョイスを期待しているからかもしれません。そういう予測不可能な彼女のつくり方にはすごく影響を受けています。


退団後の多彩なプロジェクト

──2019年の活動を見てもわかりますが、湯浅さんは時にパフォーマー、時にクリエーターとして多種多様なプロジェクトに並行して関わっています。性質の異なる活動を、自分の中でどのように整理していますか。

 パフォーマーの仕事は大好きです。『オイディプス』でも、EASTMANでも私は演者ですが、オペラだったり、演劇だったりして、普通のダンス作品があまりないのが面白いですよね(笑)。『オイディプス』の稽古でも、演出家のマシュー・ダンスターと話しているとすごくインスピレーションが湧き、それがまた別のものに繋がる。パフォーマンス自体はアウトプットの仕事ですが、そこまでのプロセスですごく吸収するので、自分にとって演者はインプットの時間だと思っています。オペラでも、オペラという大きくて複合的な世界を見ているといろんなインスピレーションをもらえます。浦沢直樹さんの漫画をシェルカウィが演出した『PLUTO』のような商業演劇も、役者や舞台装置などダンスの世界よりプロダクションの規模が大きくて、とても勉強になりました。

──ここ数年は振付家として活動の幅が広がり、日本で湯浅さんの振付作品を見る機会が増えています。
 すべての縁はNDTから始まっているのですが、特に2016年にさいたまトリエンナーレで上演した向井山朋子さんの『HOME』(*5)に出演したのが大きいです。私は10代で広島からモナコに留学し、そこからNDTなので、日本のダンス業界や東京の人たちとの縁がほぼありませんでした。でも『HOME』をDance New Airのチーフプロデューサーが見て、2018年のDance New Airのプレ公演の作品を委嘱されました。それ以外にも本当にたくさんの人との繋がりが生まれて、そこからチャンスが広がっていったという感じです。

──向井山さんとはオランダ時代から仕事をしていたのですか。
 キリアンの作品で向井山さんが作中に生演奏をしている『Tar and Feathers』という素晴らしい作品があり、私もそこで踊らせていただいていますが、当時はそれ以上のことはありませんでした。小㞍さんと一緒につくったデュエットの『Breakaway』をアムステルダムで踊ったのを向井山さんが見てくださり、公演後に「NDTを退団するなら一緒に何かやりましょう」と。それが『HOME』に繋がりました。クリエーションの過程では行き詰まった時期もありましたが、向井山さんの演出を100%受け入れてその世界観に飛び込む決心をしたら、生まれてきたものは「ああ、愛しい」と思えるものでした。向井山さんとの仕事は『雅歌』(*6)も同じで本当に面白いのですが、毎回ブレイクスルーが必要ですごく大変。でもそれは面白い作品をつくるには必要なことだと思います。自分では絶対つくれない作品なのですごくありがたかったし、価値観も変わりました。

──向井山さんは女性性を作品のテーマにしているアーティストです。彼女と関わって変化した部分はありますか。
 すごくあると思います。多分私は自分の女性性を否定していたところがあって、以前は女性らしさというのがあまり好きじゃなかった。でも、自分の中で女性性も男性性も肯定できるようになった気がします。『HOME』のとき、向井山さんに「色っぽく、女っぽくやって」と言われてやったら、「全然色っぽくない」って(笑)。そこを出すために、自分の中でそれを見つけざるを得なかった。この女性性は、その後、媒体としての身体と自分の中の多面性をテーマにOptoで発表したソロ『media』の中の重要な一片になりました。この作品では総ニットのボディタイツの衣裳を着ましたが、体のラインが見えるので視覚的にも女性というものを隠せない。多分、数年前の自分ならつくらなかった作品です。

──パフォーマーとしてのインプットがクリエーションに生かされているのですね。2018年のDance New Airで発表した作品『enchaîne』(*7)(フランス語で「連鎖、繋がり」の意)は、建築家の田根剛さん、ファッションデザイナーの廣川玉枝さんとのコラボレーションでした。時間と場所を越えた「縁」をテーマにした美しい作品でした。
 田根さんは16年ぐらい前、彼がまだロンドンに住んでいた頃からNDTの公演をよく観に来ていて、いつか一緒に何かできたらと話していました。会場の国際文化会館は、3人の建築家が共同設計した建物なので、建築の視点を入れる意味でも田根さんにお願いしたいと思いました。廣川さんは『HOME』を見てくださって、知り合いました。廣川さんのスキン・シリーズ(無縫製でつくるニット・ファッション)がダンスにぴったりだと思い、衣裳で使わせていただきました。国際文化会館は第二次大戦後に文化で国と国が繋がる願いを込めて建てられました。私はダンスにはそれを可能にする力があると思っているので、そうした繋がりについての作品をつくりたいと思いました。
 作品を準備している頃、ちょうどスウェーデンでエック版の『Juliet and Romeo』、ベルリンでラルビのオペラや『PLUTO』に出演していたので、いろいろなダンサーに「あなたについて教えて?」とインタビューしました。示唆したわけでもないのに、それぞれの出自についていろいろな話が出てきました。家族が難民だったとか、フィリピンの戦争の話とか。現在・過去・未来があって、私たちは今を生きているけれど、“今”暮らしている下にはいろいろなことがある。私はダンスでさまざまな場所を旅して大切な人達と知り合うことができたけど、過去の人たち、私たちお互いの先祖は、戦争という目的のためにいろんな国に行き、お互いに殺し合っていたかもしれない。国を超えて他の国へ行くという部分では同じなのに、境遇が全く違う。かといって全てがマイナスな訳ではなく、全ての事が複雑に繋がって、今目の前にこのダンサーが存在する。そういう残酷だけど不思議な話をたくさん聞きました。それで、1つの現象は1つの視点で見るべきではないということをダンスに込めたいと思いました。
 『enchaîne』はダンサーのインタビュービデオをランダムに配置したインスタレーションが30分、ダンスが30分という作品にしました。田根さんと廣川さんは不織布でコクーンのような何かに覆われた世界のイメージ、赤い輪ゴムを繋げて1つずつの個が繋がる縁のイメージをつくってくださいました。私以外の2人のダンサーは初顔合わせだったので、あらかじめ共有していたタイムラインや心情の流れから現場に入って動きをつくり上げていきました。会場入りから本番まで3日間しかなかったのですが、みんなが持つアイデアで私を引き揚げてくれて、「縁」というものに最後まで助けられた作品だったと感じています。いつかブラッシュアップして再演したいと思っています。


さいたまダンス・ラボラトリでの創作

──2018年からは、NDT時代の仲間でOptoのメンバーでもある小㞍健太さんと一緒に、彩の国さいたま芸術劇場で若手ダンサーを約2週間指導して作品をつくる「さいたまダンス・ラボラトリ」に携わっていらっしゃいます。最終日に成果として発表したオリジナル作品『Jardin Féerique』について教えてください。第1回の2018年に発表された作品『solos』は、個と集団の対比が印象的でした。

 『solos』は、24人のダンサーをどうしようかと考え、大きな枠組みを決めず、個と集団の関係性や対照する様子から作品を引き出していきました。2019年は、音楽だけ最初から決まっていました。ダンスラボが始まる2週間くらい前、ラルビのオペラでの指揮者が振った『Le Jardin Féerique』をEASTMANの同僚が聴かせてくれて、直感的にこれを使おうと決めていました。ずっと聞いているうちに情景が生まれて、イメージがはっきりしてきた。でも4分という短い録音だったので、曲の前に違うシーンをつくろうと思いました。

──『Le Jardin Féerique』(妖精の庭)は、モーリス・ラヴェルが「マザー・グース」を題材にして作曲した『マ・メール・ロワ』の第5曲です。どんな情景が浮かんだのですか。
 空港にいたときに、同僚から「これ良いから聴いて」とYouTubeのメッセージが届きました。空港の雑踏の中で再生すると美しい音楽しか聞こえなくなった。周りではそれぞれの人がそれぞれのことをしていて、怒っている人、気分の悪い人、イライラした人もいる。その中で音楽を聴いていると、それが全部情報として入ってくるけど、音楽に支配されている私にはすべてが美しいと感じられた。マイナスなものも含めて、生きてないと経験できないことだから。そういうイメージですが、これをダンサーに伝えても漠然としすぎて理解しづらいだろうと思いました。それに最初に心情的なことを言ってしまうと、そこに引っ張られた動きしか出てこないと思い、前に言った「リボンの動き」のように言葉に何の心情も入っていないタスクを渡し、ピュアな動きをつくることからはじめました。

──受講生はダンススタイルも技量も年齢も異なるので、それぞれが出した動きも多様だったと思います。作品にするためにどのような調整をするのでしょうか。
 みんながつくった動きはなるべく捨てないようにはします。私色に大きくに変えますが、動きはほぼ使う。すごく短い子もいるので、じゃあこの子のリボンの動きとこの子のアップダウンの短い動きを足して二人でエクスチェンジして1つのフレーズにするとか。こうしていくと最終的にデュオになるなど変化する。このエクスチェンジは『solos』でもやりましたし、パイトが作品をつくるときにもよくやります。これがすごくプラクティカルな動きのつくり方だと思っています。

──その後はどのようなプロセスで作品として構成していくのですか。
 まず、ダンサーが動きに意図的に心情を入れてきた場合は排除してもらいます。つくってきてくれた動きを見て、このアップダウンの動きは例えば息ができないとか、何かにもがいたりしているシーンに使えるなと思ったり、このリボンは風だなあと思ったり、このリボンはネットリしてるな…とか。そこに心情を読み取るのではなく、あくまで動きの性質として見極めます。作品の後半、『Le Jardin Féerique』の曲を使うシーンは私の中にものすごく強いイメージがあったので、ダンサーの動きを見た瞬間に、これはここのパートに合うというのがわかるので、そこに向けて質感を変えていくという感じでした。

──質感を変える時にはどんな言葉で指示をするのですか。
 いつも違いますが、後半の曲パートではあまり心情的な示唆はしませんでした。「もっと捻って」とか「もっとネットリ」とか、あくまで動きの性質などに対する指示です。曲のシーンは空港での人々のイメージが強くて、公共の場のためあまり心情を表立って見せている訳でもなけど、動きの質感の違いはものすごくある。あるいはどれだけ悲しい表情をしていても、音楽のフィルターを通すと、それは動きとしてしか入っていない。純粋に質感を変えるために、心情的指示よりもイメージ的な指示をしました。
 ただ、前半の演劇的なパートでは心情の示唆をしました。心情の示唆と、その心情をちゃんと離れたお客さんに見せるために、どの角度で、どのタイミングで、どのリアクションの大きさで動くかをすごくしつこくやりました。

──前半は、怒りん坊とか怖がり屋とか、受講生それぞれのキャラクターが活かされていたのが印象的でした。役はどうやって決めたのでしょうか。
 曲を使う後半のパートを最初につくったのですが、そこで使わなかった動きがあって。その動き、振付を一つ一つ見て、これは猫っぽいなとか、これは眠い人に使えるなとか。そうして、ここにはこういう人がいてこういう心情でこういう動きをするというのをランダムに割り振っていきました。受講生のキャラクターに合ってるからやらせたというのではありません。

──受講生はどのように受け止めていたのでしょう。
 みんな『Le Jardin Féerique』の曲のパートをつくっていたときには、よくわからずにやっていたと思います。ただ綺麗な音楽に乗って踊るという気持ちだったかもしれません。でも、私はそんなつもりは全くなくて、逆にその音楽を壊して欲しいと思っていました。それで前半の演劇的なパートができて、全体を繋げる時に、曲のパートについて話しました。ここはあり得ないユートピアで、あなたたちは空気とか動物とか植物とか、あるいは人間でも平等な立場ではない、それぞれ全く違うものが一緒に存在していて、それぞれが同じ空間で踊っていると、あらゆる妖精がいる庭なんだと‥‥。
 1日目の発表を見た時には、もうひと言何か必要だなと感じて、終わった後に「綺麗なものを綺麗に踊っても美しくはない。物事が清濁混合しているように、一見綺麗なだけの曲の中に、多分色んな凶暴性や醜さがあって、その部分を見せてほしい。荒く、野生のように、本能のように動いてください」と伝えました。そうしたらそれが2日目、最終日の上演で実現していたと思います。

──これまで名だたる振付家と仕事を行い、幅広いジャンルで活躍されてきました。今、湯浅さんはダンスをどのように捉えていますか。
 パフォーマーとして出演する舞台では、喋ったり歌ったり、自分の得手でないことも指示されるのことがあり、そうなると「一体どこまでがダンスなのかな?」と思います。確かに、ダンスでは“心情を出す”ことを求められることもあります。その心情を出す動きを振付と考えれば、表情も振付のひとつですし、泣くとか怒るとかも感情の動きの切り替えひとつでできるなら、演技もダンスなんじゃないかと。
 最近、キリアンが世界的権威のあるフランスのアカデミー・デ・ボザール(芸術アカデミー)に初めて出来た振付部門のメンバーにめでたく就任されたのですが、「やっと、一番古いであろうアートフォームであるダンスが認められて僕はとてもうれしい」とスピーチしました。「Life is movement, movement is dance, dance is life.」と言っていて、その概念がすごくしっくりきました。それを聞いて、より「ダンス」という枠は想像以上に広いのではないかと思いました。私の作品でも、もしかしたら次は喋ってもらうかもしれないし、演劇的な要素、音楽的な要素、その他の要素が混じって単に「ダンス」と呼ぶのが難しいかもしれない。それなら、もう枠組みにとらわれず、やりたいと思ったことをやってしまおうと思っています。

──今後は?
 1月、2月に横浜と愛知で、オーストラリア拠点のアーティスト、スー・ヒーリー作品”On View: Panorama”に出演し、また、3月には「XHIASMA Project #002」(*8)として廣川玉枝さん、遠藤豊さんと再びタッグを組み、音楽にworld’s end girlfriendを迎えての新作 『transient X』を神戸のKIITOと、渋谷スクランブルスクエアで発表します。transientは、束の間、無常、または自己を超えて他に作用を及ぼす、という意味を含んでいて、Xは人と人が交わる交差点ということと、X=関係、時間、身体と多様に置き換えられるようにと名付けています。まだクリエーションは始まっていませんが、『enchaîne』の延長にある作品になるのではと思っています。
 
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