The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
木村龍之介
木村龍之介(きむら・りゅうのすけ)
第11回公演『タイタス・アンドロニカス』
(2017年8月14日〜20日/吉祥寺シアター)
タイタス・アンドロニカス
タイタス・アンドロニカス
タイタス・アンドロニカス
カクシンハン 特別リーディング公演「ハムレット ×SHIBUYA 〜ヒカリよ、俺たちの復讐は穢れたか〜」
(2019年5月22日〜26日/ギャラリー LE DECO 4)
ハムレット ×SHIBUYA
第12回公演『ハムレット』
(2018年4月14日〜22日/池袋シアターグリーン BIG TREE THEATER)
ハムレット
第13回ロングラン公演「薔薇戦争」
(2019年7月25日〜8月12日/シアター風姿花伝)
薔薇戦争
薔薇戦争
薔薇戦争
YouTubeカクシンハン チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UClCgJa4Ng0syQ1fEHUMmIzQ
第10回公演『マクベス』
(2017年1月26日~29日/東京芸術劇場シアターウエスト)
Artist Interview
2020.3.6
演劇
Ryunosuke Kimura’s new approach  Envisioning a fictional city, Shakespeare Tokyo  
架空の街「シェイクスピア東京」に見立てる木村龍之介の新たなアプローチ  
シェイクスピア劇の連続上演で注目を集める若手劇団カクシンハン。劇団を旗揚げしてから5年目の2016年に、東京の小劇場、シアター風姿花伝で『ヘンリー六世(三部作)』と『リチャード三世』を “薔薇戦争四部作”として同時期に上演。1カ月に及ぶロングラン公演を成功させ、一躍脚光を浴びる。若い役者がエネルギッシュに走り回る疾走感溢れるステージ、ポップカルチャーや日用品を用いる現代的な演出により、“新しいシェイクスピア”として幅広い層から支持を集めている。蜷川幸雄演出による『マクベス』が原点というカクシンハン主宰者・演出家の木村龍之介に、「シェイクスピア東京」と名付けた新たなアプローチについて聞いた。
聞き手:田中伸子

──まずはご自身のバックグラウンドからお話しいただけますか。生い立ち、シェイクスピアと出会うまでの経歴など教えてください。
 大分県玖珠(くす)町という湯布院の近くの田舎町で父と母が出会い、1983年7月11日に僕が生まれました。その両親の恋愛が、まさにロミオとジュリエットなんです。二人は結婚を許されず、駆け落ちして僕を生んだのですが、父親が良家のお坊ちゃんだったので玖珠に戻され、結局二人は別れました。その後、僕は母方について大阪、シンガポール、宝塚といくつかの場所を転々としながら育ちました。
 その後、母は結婚しましたが、引っ越しはその後も続きました。母は子どもの名前を(夏目)漱石にするか、(芥川)龍之介にするかで悩むぐらいの文学好きで、自分でも書くことをずっと続けていました。今でも毎日、ネットにポストドラマ的なものを書いています。
 そんな物好きな母のもとで、僕は「音楽で世界を変えるぞ!」と息巻きながら、中学・高校とバンドをやっていました。そちらにすっかりのめり込んでいたので勉強は全くできませんでした。高校は体操でオリンピック選手を輩出している大阪の清風高校でしたが、その体育会系の校風に全く馴染めなくて、学校にはほとんど行きませんでした。唯一好きだった数学をやるか、音楽をやるか、将来を
 漠然と考えながら、自分で作曲して、好きだった田村隆一の詩をガンガンのロックにのせて演奏したりしていました。そんな状態ですから、当然大学へも行けませんでした。
 高校を卒業して、しばらく働いていたのですが、やはり大学に行きたいと思うようになりました。お金がないこともあり、本当に籠って勉強しました。その時は宝塚市に住んでいたのですが、家と図書館の往復だけでひたすら勉強し、東京大学文科三類に入学しました。遮二無二勉強したので、模試も受験もほぼトップの成績でした。入学してからもバンドを続けていたのですが、そこでようやく、自分は下手だと気づいた(笑)。自分に音楽の道はない、と。その落胆に加え、折角入った大学が全く面白くなかった。それで、もっと社会を知りたいと思い、いろいろなアルバイトをやりました。それと時間があったので、とにかく本を読み漁りました。
 そんな時に、フランス現代思想の授業でドゥルーズ/ガタリを取り上げていて、面白そうだったので本を探しに図書館へ行きました。今でも鮮明に覚えているのですが、その時に本棚にあったシェイクスピアの『マクベス』が、目に飛び込んできたんです。それで読んでみたら、魔女は出てくるし、人は狂うし、挙げ句の果てにバーナムの森が動くって何!と、一気に引き込まれました。それで、帰り道にTSUTAYAに寄って『マクベス』の映像作品を探して見つけたのが、森の代わりに桜が動く、蜷川幸雄が演出した舞台『NINAGAWAマクベス』のビデオでした。そしたら舞台が仏壇になっていて、「えっ、仏壇?」と。そこから僕の演劇人生が始まったという感じです。

──そこから一気に演劇青年に転向したわけですが、大学で英米文学を専攻しながらどのように演劇と関わっていったのですか。
 小劇場をできる限り多く観ようと思って劇場に通いました。もちろん蜷川さんの舞台は不可欠ですが、そのほかでは唐十郎さんの唐組が好きでした。今よりもっと猥雑な感じでしたね。あとは新国立劇場の作品を全部観てやろうと、通い詰めました。その中で岡田利規さんが演出したドイツの劇作家デーア・ローアーの『タトゥー』が面白かったです。オペラや歌舞伎もよく観に行きました。
 そのうちに、演出をやりたいと思うようになったのですが、大学の演劇サークルではじめるには出遅れていて、演出をやらせてもらえないのは明らかでした。それに演劇サークルの雰囲気もあわないと感じて、すぐに演出をやらせてもらえそうだったESS(English Study Society)に入り、英語劇の『マクベス』を演出しました。

──在学中に蜷川さんの稽古場に参加したこともあったそうですね。
 蜷川さんの現場を見たいと思い、その時に募集していたスタッフに応募して、さいたま芸術劇場の蜷川さんのところに行きました。快く受け入れてくださり、再演の『タイタス・アンドロ二カス』と野田秀樹の戯曲を演出する『白夜の女騎士(ワルキューレ)』の2本を同時進行で稽古している現場を見学しました。蜷川さんの側でノート片手に現場を見学するという素晴らしい経験を3カ月弱ぐらいさせてもらいました。ある時、蜷川さんから「お前、東大だろう?演出やりたいのか?」と聞かれて、「はい」と答えたら、「演出やるなら3つの事を守れ」と。「まず大学を卒業しろ。俺は学歴がなくて、どれだけ苦労してることか」、2つ目に「自分のカンパニーを持て。自分のビジョンを体現出来る場所を持たないとダメだぞ」と。そして最後に「海外へ行け」と言われました。僕はこのままここに居続けたら大学も卒業できないし、カンパニーも持てないので、蜷川さんにスタッフをやめることを伝えて納得していただきました。短い間でしたが、蜷川さんの現場で稽古を見させてもらえただけで十分でした。今でも、蜷川さんから得たものは大きかったと思っています。

──そこからどのような経緯で、劇団カクシンハン を立ち上げることになったのですか。
 蜷川さんの現場で、シェイクスピア劇の名優である吉田鋼太郎さんが演じているのを観て、出口典雄さん主宰で吉田さんも所属していた老舗劇団シェイクスピア・シアターをのぞきに行ったら、「お前、出ろ」と言われ、役者としてシェイクスピア劇に出演しました。そこで3年間ぐらい、役者をやっていました。旅公演にも出ましたし、俳優座劇場にも立ちました。その間、蜷川さんの言いつけを守り、大学にも通いました。実は僕、大学に10年在籍していたんです。まず8年行って、1回追放され、そのあと再入学制度を使って2年通って卒業しました。
 もちろん、ずっと自分でシェイクスピア劇をやりたいと思っていたのですが、カンパニーを立ち上げるところまで踏み出せず、文学座の研究所をのぞいたりしながらフラフラしていました。その時、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。あの光景を見て、今こそ自分の想像力、クリエイティビティー、イマジネーションを信じなくてどうするんだと強く思いました。そこでそれまでの生活を切り替え、自分のカンパニーを立ち上げるべく、まずは演劇ワークショップを週3回ぐらい、勝手にやり始めました。それから戯曲も書いて、それを2012年の5月にカクシンハン 旗揚げ公演として上演しました。オリジナルの『ハムレット×SHIBUYA』という作品です。これは翻訳されてArden Shakespeareから出版されます。

──ちなみにワークショップはどのように進めていったのですか。
 ワークショップは同年代の人たち2〜3人と始めました。例えば、今の主要メンバーの一人、真以美さんはその時からの仲間です。ワークショップをすれば興味のある人が集まって来るかなぐらいの気持ちでした。僕にも演劇ワークショップの知識がなかったので、手探り状態でした。シェイクスピア劇の1シーンをみんなでつくったり、ただプールに泳ぎに行ったり(笑)。
 自分としては、ピーター・ブルックの実験的な作品づくりのスタイルや、サイモン・マクバーニー率いるコンプリシテのディバイシング(devising 集団で工夫を凝らしながら創造するプロセスのこと)の方法論を参考にしながらワークショップを実践しているつもりでした。カクシンハンの主要メンバーである河内大和さんも、第2回公演が終わった後のワークショップで出会い、意気投合して一緒にやろうということになりました。

──オリジナル戯曲の『ハムレット×SHIBUYA』はどのような内容だったのですか。
 『ハムレット×SHIBUYA』は、ハムレットの物語が渋谷の交差点で展開するというものです。渋谷の交差点を見ていると、僕にはあそこがハムレット劇の舞台であるエルシノア城に見えてきたんです。人々が行き交い、さまざまな情報が流れ、政治的な街頭演説もあるあの交差点の下には死者たちが無数にいて、土地の叙情・都市の思想・欲望詰まっている。そこでは殺人もある。それをエルシノア城のようなパブリックの空間として捉え、渋谷の交差点上ですべてが起こる、都会のテロリズムとハムレットの話をリンクさせたような話にしました。

──その後はオリジナルではなく、シェイクスピア劇の上演にシフトします。それはどうしてですか。
 河内さんとの出会いがきっかけになりました。彼と作品を創ることで、この肉体があれば脚色しなくてもシェイクスピア劇がやれるのではないかと思いました。それで、2013年の第3回公演では、30代で肉体的に冴え渡っている河内さんにあえて老人のリア王を演じてもらい、演出の力によって成立するシェイクスピア劇に挑戦しました。そこからはシェイクスピア一本です。
 河内さんの『リア王』では、松岡和子さんの翻訳をベースにテキレジ、つまり多少のカットや台詞の語尾や現代語への変更をしつつ上演しました。シェイクスピア劇の上演で一番留意しているのが、戯曲の「言葉の力」です。例えば、リア王に「老衰している体」という台詞がありますが、鍛え抜いた肉体を持つ河内さんのリアリティでその台詞を発すると、演劇的にこれほど面白い“見立て”はないのではないかと思っています。

──旗揚げしてたった5年目で、2016年に『ヘンリー六世(三部作)』と『リチャード三世』を “薔薇戦争四部作”として同時期に上演(2019年に再演)。小劇場で1カ月に及ぶロングラン公演を行い、エネルギッシュでポップカルチャーを上手く使った現代的な演出により注目を集めました。
 “新しいシェイクスピア”をやることを劇団のミッションとして当初から前面に打ち出していました。自分としては、今、東京で物事を考えている自分の想像力とシェイクスピアをクラッシュさせたいという思いがありました。我々の世代が影響を受けている消費文化とクラシックのシェイクスピアをぶつけることで、オリジナリティーが生まれるはずだと確信していました。今の日本の演劇界で、朗唱術だけでこれがシェイクスピア劇だとみせてもつまらない。その点を含め、じゃあ今の時代の生きたシェイクスピアとは何だろう?と、絶えず問い直しています。
 シェイクスピアのような普遍的な世界を取り上げるときによく考えるのは、その世界と「空」で繋がるのか、「地下」で繋がるのかということです。「空」で繋がるというのは、映像などの見た目、舞台効果などで繋がるということ。「地下」で繋がるといいうのは、戯曲を解釈することで、狂気とか憎しみとかフロイト的な潜在意識、村上春樹の言うところの「井戸」、そういう人間が抱えている深い意識の部分で繋がるということです。シェイクスピアを上演するためには「空」と「地下」の両方で繋がる必要があるのではないかと思っています。
 また、英語と日本語という壁もあります。例えば、シェイクスピアの言葉の音楽性に着目して台詞をラップでやる方法もありますし、僕もシーンによっては使います。でもただラップにすればいいかというと、そんなに単純ではない。呼吸(ブレス)の問題もありますし、もちろんそれで何を表現するのかということもある。そういう新しいシェイクスピアにアプローチするための課題が、徐々にわかりはじめてきました。
 それで、今年再演した『ヘンリー六世』『リチャード三世』では、この消費社会にあるものを使いながら俳優の身体と劇言語とを一回性の生命の発露として出会わせ、自己増殖的に物語や出来事が起こっていくことを目指しました。『ヘンリー六世』ではジャージを着て、そういう都市にすでに出回って消費されている小道具たちを媒介として挟むことで、自分たちの生きている世界とシェイクスピアの世界とが懐疑的に交わりながら、もうひとつの世界が夢として立ち上がるのではないか、そうすることで観客は異国の歴史劇を容認し、楽しめるのではないかと思いました。
 また、『マクベス』では、剣の代わりにパイプ椅子を振り回しています。剣の小道具や竹刀を振り回すよりも、パイプ椅子のような身近にあるものを使った方が見立てとしても効果的だと思ったからです。逆に言えば、どんなモノを使っても、役者が想像力を“うまく”使えば見立ては出来るという事です。例えば目の前の和菓子を手にしても、役者がリアリティーを持ってそれを王冠だと言えば、そうなるんです。つまり“役者力”を使えれば何でも出来る。だから優秀な俳優が必要で、その俳優を育てる事がとても大切です。僕たちには、シェイクスピアやチェーホフ、ギリシア悲劇、世阿弥などについて造詣が深く、それらを普遍的に語ることが出来て、観客たちが楽しめるように表現できる俳優が不可欠です。とても当たり前のことですが。

──2018年から「カクシンハン・スタジオ」という演劇研修所を運営していますよね。
 俳優を育てるのと同時にそのためのメソッドも開発しなくてはと考えて、スタジオをはじめました。期間は1年で、週3回(1回3時間)スタジオに集まって“役者力”を育て、磨きます。最後にスタジオ公演を行うので、公演前はほぼ毎日稽古になります。今2期生ですが、1期から続けている人もいますし、スタジオ生から抜擢して、本公演で大きな役を演じてもらったこともあります。
 スタジオのカリキュラムでは、主に僕がシェイクスピアをテキストに創作と稽古を実践的に行い、また呼吸やトレーニングなど基礎的な部分も指南します。河内さんや真以美さんに演技指導をしてもらうこともあります。また、ゲスト講師としてオペラ歌手や殺陣師、能楽師、松岡さんなどをお招きすることもあります。ワークショップでは、野口体操をベースにしたオリジナルの身体訓練をやります。また、世阿弥の『風姿花伝』は必ず読んでもらいます。2019年の中間発表では宮本研の『俳優についての逆説』をやりました。
 2020年2月のスタジオ修了公演ではシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』をやる予定です。この戯曲を選んだのは、今自分が生きている社会の政治や経済にきちんと関心をもち、文化にも通じている市民としての自覚と責任を持った俳優をつくり、自覚的にローマ市民を演じてもらいたいと思ったからです。発言することはちゃんと意見を持つことだと自覚し、アントニーやブルータスの演説について考える作業を今やっています。その上で、これはシェイクスピアの詩ですから、ちゃんとブレスをとって、一文で息を吐ききることや詩の多層的なイメージの把握など基礎を徹底しています。
 それから、日本語の文章を喋る際にはそれをポストドラマ的に音声化するというより、話し言葉として通じる日本語を重要視しています。例えば、「オレは」で助詞の「は」を殊更に強調するのは演劇的な意図として可能かもしれませんが、それはおかしいよと直します。
 ちなみに、カクシンハンの公演には本公演(年2〜3回)、スタジオ公演(年2回)、ポケット公演(年3〜4回)の3つがあります。スタジオ公演は研修生だけの公演、ポケット公演はどこにでももっていけるようにしたコンパクトな公演で、例えば『ロミオとジュリエット』を60分にして、男3人だけのオールメールで上演しています。

──本公演の稽古で特徴的なつくり方をしているところはありますか。
 基本的には全ての台詞を役者に一度覚えてもらって、そこからカットしています。役も、とにかく最初は決めないでやってもらっています。と言うのも、自分の役の部分だけ台詞を覚えてその役だけをやろうなんて無理なんですよ。シェイクスピア戯曲は全部彼の詩ですから、まずシェイクスピアの言葉の渦を全て飲み込んで、シェイクスピアの脳内にダイブしないことにはできない。現代戯曲のように、私はこの役だからこの役について考えて演じますという態度では演じられない。ですから役者には「僕らはオーケストラ演奏をしていて、役者は楽器で、バイオリンとかフルートとか楽器としての役割はあるけど、全部の曲構成が頭に入ってないと演奏できないよ」と言っています。その上で、個と個の表現者としてのぶつかり合いやライブセッションの面白さを伝えています。

──テキレジはどのような考え方で行っていますか。
 フォークナー(William Faulkner)というアメリカの作家はヨクナパトーファ郡(Yoknapatawpha County)という架空の土地を設定して創作をしています。それと近いのですが、僕が勝手に名付けた架空の街「シェイクスピア東京」があり、そこでの出来事をうたった叙事詩がシェイクスピアの戯曲だと仮定して演出イメージを考えます。それを稽古の中でチェックしながらテキレジやキャスティング、演出プランを考える。それは目の間にいる俳優たち、この現代社会の中で生きている俳優たちの蓄積の発露がシェイクスピアと出会う瞬間を探す作業とも言えます。実は、僕の舞台はあくまでもこの「シェイクスピア東京」を出現させるものであり、シェイクスピアでもないし、東京でもない。カクシンハンの一連の作品は、すべてこの架空の街の出来事と解釈してもらえればと思います。
 その思いが一番表れているのが、最初にお話しした渋谷の交差点を舞台にした『ハムレット×SHIBUYA』かもしれません。東京の住人である僕たちはパイプ椅子のように無個性化しています。現代の消費文化を象徴するものとしてパイプ椅子をたくさん使い、そのフォーメーションを変えて様々なシチュエーションを表現しました。そこにニュースを挟み、私たちは死んだ人たちの上に成り立っているのに、どれだけ死者を無視し、彼らを踏みつけて生きているかを表現しました。死者を踏みつけている代表が王を毒殺したクローディアスで、対するハムレットは死者の声、つまり歴史の声を聞きながら現代を一生懸命生きている。
 僕は、秋葉原の無差別殺傷事件の犯人と、王となったクローディアスに謀られて毒を塗られた剣で試合をして死んでしまうハムレットにある種の類似点を感じます。犯行に使われたトラックはトロイの木馬かもしれない、とも考えます。そうなると、実は昔と今でそれほど物事は変わらないのではないか。それを変わらないよと言える、表現出来るのが文化の力だと思います。『ハムレット』は遠い異国のデンマーク王の話ではなく、「ハムレットって一体何者?」というところからアプローチし、社会から隔離され疎外感を持った男として定義し、上演しました。

──架空の街「シェイクスピア東京」に見立てる他に、演出として取り組んでいることはありますか。
 シェイクスピア劇は耳から入ってくる情報が大事だと思っています。ロミオとジュリエットで音楽をマーラーにするか、(あくまで例ですが)Mr.Childrenにするかでは印象が大きく異なります。耳(音)はシェイクスピア劇における情報量の大きな部分を担っているので、そこはすべて僕が決めています。どの音楽をどこで入れるか、ドラムや三味線などの楽器を使うとか。
 ちなみに美術は、乘峯雅寛さんにコンセプトを渡してお願いしています。今の悩みは予算がない中でどうしたら効果的に見せられるかということ。セットを仕込むと転換し続けなければならないので、基本、美術は何もないところからのスタートが多いです。ワンシチュエーションでどうするかなので、ここでも見立てをどう駆使するかが重要になります。「何でもない空間」は一種の能舞台ですから、心象風景にもなり、特定の部屋にも見える、そういった変幻自在になる空間を僕は大切にしています。
 また、作り物はつくらないことをルールにしています。何か必要な場合も、例えばローマの神殿や城の偽物をつくるのではなく、実際、今、東京にあるものを使って表現しています。そうすることによって、東京とのブリッジにもなります。「毒」と言った時に、小道具でつくった毒っぽい瓶を持つよりも、ラムネの瓶を持ったほうが想像力が俳優にも必要となり、想像的受難になり、そこに表現が生まれます。俳優には信じる力が試されているのです。実際にあるもので構成すると、それに対するイメージを観客がすでに持っているので、そこを逆手にとったり、逆に誇張したり、利用したりできます。よほど予算をかけて別空間をつくれるのなら別ですが、そうでない限り、あるものを使う方が情報量が多いし、操作が出来るので演出として使い勝手が良い。今は小劇場で公演をしいていますが、中・大劇場で行う場合はまた違ったアプローチでの演出も考えています。

──カクシンハンでは映像を使うことも多いです。
 便利だから使っているというのが一番の理由です。僕たちがいつも眺めているスマホのように、どんどん画像が出てくるようにすれば、若い観客はその舞台空間を自分たちの世界だと感じやすい。ただ、断っておきますが、僕が見せたいのはあくまでも俳優の肉体。そしてシェイクスピアの戯曲です。もちろん想像力を損なうような映像の使い方はしません。映像は肉体を際立たせるための照明や音響の効果と同じものだと捉えています。本当に必要なのは、ピーター・ブルックが言うところの「肉体」と「空間」。そして「戯曲」と「観客」です。そこで強いものができて初めて他のもの、映像などが活きてくると思っています。

──俳優に求めていることがありますか。
 シェイクスピアを演じる上で俳優は、シェイクスピアの台詞を日常会話で喋っているような存在になるのが理想です。タイプライターのように次々とシェイクスピアの台詞が出てこないと、さまざまな関係性や役の心理にまで及びませんから。台詞を朗唱しようと思った途端に言葉のリアリティーを失ってしまいます。なので、まずは完全に戯曲を覚えろ、というスタンスです。シェイクスピアが作品の前提として持っていた世界の見取り図や精神の景色に、俳優は危険を承知で立ち向かわなければなりません

──海外進出にも興味があるとお聞きしましたが、今後の展望は?
 東京でつくったシェイクスピア、「シェイクスピア東京」のコンセプトをもっと尖らせて、僕たちの作品として海外に持って行きたいと思っています。そして、海外の俳優とのコラボレーションもしてみたい。都市は均一化し、東京、ロンドン、ニューヨークなど、繋がる部分も多い。そういう意味で、海外の俳優と僕という日本人の演出家で作品を立ち上げてみたいです。シェイクスピアだったらそれも可能だと思います。世界のあちこちにいるシェイクスピアをよく知っている人たちと舞台をつくってみたい。海外公演は未定ですが、『ハムレット×SHIBUYA』の英訳が決まっていて、アーデン・シェイクスピア社(Arden Shakespeare)が発行する現代の日本のシェイクスピア劇を紹介する戯曲集に収録されます。
 シェイクスピア以外では、今とても能に興味があり、能の今春流の山井綱雄さんとのコラボレーションを企画しています。また、2020年8月には、カナダ人作家のマルク・ブシャール(Michel Marc Bouchard)さんの『Tom at the Farm』の日本初演を演出することになっていますが、それを能舞台でできればと考えています。2020年5月には500席近い紀伊国屋サザンシアターで『夏の夜の夢』(『ナツノヨノ夢』)をやります。この規模の劇場でどうやるかが課題です。こういう取り組みを経て、2021年にはニューヨークやベルリンなどでの海外公演をぜひ実現したいと思っています。
 シェイクスピアやギリシャ悲劇のような世界に通じる文化遺産を元にして、現代の文脈で観客と繋がることができれば、演劇の凄さをもっと認識してもらえると確信しています。今の時代、どうやっても、「僕(個人)」の表現になってしまう。シェイクスピアを掲げて走った方が、演劇で「僕たち」という共通認識を描けるし、カクシンハンが成長して強くなるにはそれが最適だと考えています。ただ、僕たちははシェイクスピアをやる集団ではなく、もっと先をつくりたい。シェイクスピアのように400年後の世界に通じるような何かを演劇でやれたら最高だなと思っています。
 
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