The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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市原佐都子
市原佐都子(いちはら・さとこ)
Photo: Mizuki Sato

「Q」
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*1 ジェニーはタカラトミー(旧タカラ)が1986年から発売している着せ替え人形のキャラクター(幼児向け着せ替え人形のリカちゃんのお姉さん格)。ジェニーのフレンドのティモテは、金髪ロングヘアーのキャビンアテンダントという設定。
*2 岡崎京子は1963年生まれのカリスマ女流漫画家。80年代から90年代の時代の空気を掴み、生きづらさを反映した切実なセリフで、背伸びする女子のバイブルとなった「東京ガールズブラボー」「pink」「リバーズ・エッジ」「ヘルタースケルター」などを発表。
*3 ガラケー
ガラパゴスケイタイの略。スマートフォンの前の古い携帯電話端末の通称。
『バッコスの信女 ─ホルスタインの雌』
夫に支配された日常生活に安住している専業主婦。独身のとき、「家畜人工授精師」をしていた女はネットで購入したヒトの精子を軽い気持ちでウシの子宮に注入。上半身がヒト、下半身が「精液も出せる大きなクリトリス」をもつホルスタインという獣人を産み出し、母になっていた。3歳で母に捨てられた獣人は、ヒトとウシのハーフとして、変態に身体を売って暮らし‥‥。

(2019年10月11日〜14日/愛知県芸術劇場小ホール)
Photo: Shun Sato
バッコスの信女
バッコスの信女
バッコスの信女
バッコスの信女
*4 相模原障がい者施設殺傷事件
2016年7月26日未明に知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で発生した大量殺人事件。元施設職員の男が施設に侵入し、「障がい者は死んだ方がいい」と19人を刺殺し、入所者・職員26人に重軽傷を負わせた事件。犯人が確信犯としての言動を繰り返し、社会を震撼させた。
*5 #KuToo(クートゥ−)運動
日本の職場で女性がハイヒールおよびパンプスの着用を義務づけられていることに抗議する運動。「#MeToo運動」を文字って、「靴」と「苦痛」を掛けたハッシュタグが登場し、抗議運動として広がった。
*6 額田大志
1992年生まれ。作曲家、演出家。東京藝術大学在学中にブレイクビーツとミニマルミュージックによる8人組バンド「東京塩麹」を結成。また、2016年に演劇カンパニー「ヌトミック」を結成し、『それからの街』で第16回AAF戯曲大賞受賞。舞台音楽も数多く手掛ける。
Artist Interview
2020.5.8
演劇
Satoko Ichihara’s Reality Judged by a Unique Physiological Sensibility  
生理感覚を信じる市原佐都子のリアル  
2000年以降、多彩な作家を輩出してきた桜美林大学出身の市原佐都子(1988年生まれ)。卒業制作をベースにしたデビュー作『虫』(2011年)でいきなりAAF戯曲賞を受賞し、新しい感性の作家として注目を集める。あいちトリエンナーレ2019で発表した『バッコスの信女―ホルスタインの雌』では、ギリシャ悲劇を下敷きに、夫に支配されている主婦が、「家畜人工授精師」をしていた独身のときに人工受精でヒトとウシの半獣半人=デュオニソスを産みだしていた世界を描き、第64回岸田國士戯曲賞を受賞した。生理感覚を信じるという市原のリアルの源泉に迫るロングインタビュー。
聞き手:野村政之[演劇制作者・ドラマトゥルク]

──まずは生い立ちからお話しください。大阪生まれだそうですね。
 生まれは大阪ですが、3歳から18歳まで北九州市で暮らしていました。父はサラリーマンで、母は専業主婦、姉が2人います。

──どのような子ども時代を過ごしましたか。習い事をしていましたか。
 クラシックバレエを3歳から12歳まで習っていました。踊るのが好きで、バレエに憧れていましたが、自分が完璧なバレリーナになれないこともわかっていた。身長が高くて、他の人に合わせようとして姿勢が悪くなり、コンプレックスで性格もおとなしくなった。発表会の前はバレエのために学校の友達と遊べず、そういうのも嫌で、気分を変えたくて中学ではバスケットボール部に入りました。部活の同期のメンバーが面白い子たちばかりで、おかげで性格がすごく明るくなりました(笑)。

──趣味はありましたか。少女マンガに嵌まったりしなかったですか。
 「セーラームーン」が好きでした。後、人形は集めていましたね。ジェニーちゃん人形のシリーズに「ティモテ」(*1)という人形があり、その子がすごく好きでした。みんななぜか小学3年生ぐらいでお人形遊びを止めちゃいますが、私は止めるのが本当に辛かったのを覚えています。今思うと、性の目覚めみたいなことだったのかもしれませんが、人形の服を脱がせるのが好きでしたね。

──高校から演劇を始めたそうですが、どういう経緯だったのですか。
 中学3年生になって友達はみんな受験勉強をはじめたのですが、それに恐怖を感じました。成績がそんなに悪いわけではありませんが、自分はそういう受験のための勉強はしたくないと思い、AO入試で入れるバレエの授業がある高校を選びました。「舞台俳優になりたい」と面接では話しました。その高校では、午前中は一般的な教科の授業があり、午後からバレエ、日本舞踊、演劇の授業がありました。その演劇の授業を教えていたのが、劇団飛ぶ劇場の有門正太郎さんら地元の演劇人でした。それで北九州芸術劇場に興味を持つようになり、劇場が企画していたワークショップなどに参加するようになりました。

──2003年に開館した北九州芸術劇場は九州エリアの演劇の拠点劇場です。東京などから招聘した公演もいろいろ行われていたと思いますが、観ていましたか。
 観てました。ひとりで飛行機に乗って東京に観に行ったりもしていました。インターネットで調べて、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、長塚圭史さん、本谷有希子さんの公演を観に行きました。広島にも新幹線に乗って観劇に行っていました。今思うと積極的ですよね。あの頃が一番演劇が好きだったかもしれない(笑)。

──ミュージカルのような商業的なステージではなく、作家性のある小劇場系の公演、オルタナティブな公演を観ていたんですね。
 王道のものより、サブカルチャーのような舞台の方がカッコいいという意識があったのかもしれないです。クラスメイトの知らないものを知ってて、わかった気になってたみたいな感じ。カッコつけてたんだと思います。戯曲も読んでいました。みんなでやれる戯曲を探していて、平田オリザさんの『転校生』を見つけて読んだり。

──小説や漫画との出合いはいかがですか。
 高校1年生の時に、一緒に遊んでいた友達が出会い系サイトのようなもので男性と出会い、靴下を売って退学になり、友達が一気にクラスからいなくなりました。このとき、靴下を買っていた男性は何も罰を受けなかったと聞いて、学校や社会、そして男性への憎しみを持ちました。どうして友達だけが罰せられるのか? お金が欲しくて、お金になるものを売っただけでどうして退学になるのか? 買う男性は悪くないのか? と思いました。休み時間に一人でやることがなくなり、村上春樹さんの小説とかよく読んでいました。漫画は、岡崎京子さん(*2)が好きでした。少し上の世代の人々の間で流行ったものを読むのが好きでした。

──岡崎京子さんのどういうところに共感、共鳴しましたか。
 何でしょうね、高校生の時は大人のフリをしてたんじゃないかと思います。岡崎京子を「わかる」と言いたかったのだと思います。別に自分が病んでいたとは思いませんが、家に帰らないことも結構あったし、すごく遊んでいました。ほぼ女子しかいない不良高校だったので、みんな違う高校の男子と付き合ってたし。色んな事をお互い赤裸々に語り合うみたいな感じで…馬鹿な高校生でしたね。いろいろ知りたかったんだと思います。友達が退学してからは割と落ち着いた高校生活になりました。

──このプライベートの高校生ライフは、今の自分が書いてるものに影響していますか。
 そうですねえ…初期に書いたものは、割と影響していたんじゃないでしょうか。最近はそんなことはなくなったと思います。今思うと、危うい時期でした。自分でも思春期特有の一瞬の盛り上がりのようなものを感じていましたし、周りからもそういう目で見られているのを感じていました。一歩間違えたら捕まっていたかもしれないし、学校を辞めてたかもしれない。そういう少女特有の危うさみたいなものを、最初の頃の作品では書いていたと思います。
 前日どんなに遊んでも、「翌日学校に行けば大丈夫だ」という感覚──この「真面目に生きるフリをすればいい」「世界はひとつじゃない。いろいろあるから使い分ける」みたいな感覚は、今もあると思います。例えば、他人をみるときに「この人は今、わざとこういう風にしているんだろうな」という感じで見てましたし…、自分も「本当じゃない姿で人の前に出なくちゃいけない」と思っていました。だから、戯曲を書くようになって、「世の中で封印しなければいけない部分を描きたい」と思うところがありました。

──大学で本格的に演劇をやろうと思ったきっかけはありますか。
 やはり北九州芸術劇場での出会いが大きいです。能祖将夫さんがプロデューサーで、鐘下辰男さんが演出をしたリーディング公演に演出助手の助手みたいな役割で参加させてもらったことがあったのですが、俳優じゃなくても「プロの演出家に選んでもらった」というのがとても自信になりました。その後、泊篤志さん演出で『想稿・銀河鉄道の夜』(作:北村想)を上演したときに、カンパネルラをやらせてもらって、何か将来は「こっちなのかな」と漠然と思った気がします。それで能祖さんや鐘下さんが教員をされている桜美林大学に進みました。

──大学ではどなたの指導を受けましたか。
 ダンスは木佐貫邦子先生で、かなり真面目に授業を取っていました。それから演劇は坂口芳貞先生と高瀬久男先生(文学座の俳優と演出家)。二人とも亡くなってしまいました。何と言っても、私の中で大きな存在だったのは鐘下さんで、学校で行われるオーディションを受け、鐘下さんが演出する学生公演にたくさん出演しました。あの頃は、刺激の強い演出や激しい指導をカッコいいと思っていました。気が狂ったような役で、叫んだり、包丁を振り回したり、やったことない演技をやらせてもらいました。すごく楽しかったです。

──そういう学生時代を経て、4年生のときに初めて卒業制作として台本をつくります。「単位が足らなくて書いた」と聞いていますが、その作品が『虫虫Q』(2010年)です。Qは今の劇団名にもなっていますが、どういう意味ですか。LGBTQのQですか?
 いや、特に意味はありません。はじめて書くときに、最初から虫が出てくる作品にしたいと思っていたのですが、「虫」という漢字は使おうと決めていました。ラーメンのどんぶりに渦巻きのような模様があますが、そのように、文字というよりも形や記号のように見えたらいいなと思いました。「虫」という字は「Q」に似てなくもないし、それで『虫虫Q』にしました。「Q」の形も魅力的です。劇団名もどうやって決めればいいかわからなかったので、まあ、「Q」でいいかなと。

──最初に台本を書いたときは、何か参考にしましたか。どうやって書いたのでしょう。
 最初は演劇というよりパフォーマンスをつくろうと思い、一緒にやる人たちに集まってもらいました。今、パリで活動している竹中香子さん、マームとジプシーによく出演している吉田聡子さん、ロンドンで活動している大森美里さん、もうひとり今子育て中の人と、私を加えて5人。「踊ってください」と言ってはじめてみたものの、当然うまくいかない。それで、何か手がかりが必要だと思い、ガラケー(*3)で文章を書き始めました。
 最初とても長いモノローグを書いて、「こういう始まり方にします」と伝えた。そこからどういう展開にするかをみんなと相談しながら、即興でやってもらい、良い部分をもらってシーンにするといった作業をしました。

──なぜ「虫」がでてくる作品にしようと思ったのですか。
 全くわからない。「ふっと例えば蚊のような虫が来て、プツっと刺して飛んでいく」みたいなことが、面白いと思ったんでしょう。知らないものが突然自分の中に入ってきて、バッと出ていく。自分の血が違う生き物に入っていくというのはどういう感じなんだろうと。

──異なる種の虫との交流、交換がモチーフというのは、現在に至る原点のように思えます。
 一貫してる感じがありますよね。…おしっこやうんちが出るとか、汗が出るとかもずっと描いてます。液体が出ていく感じとか、その液体がどこから来てるのかとか…生命力を感じることが好きです。

──排泄も、汗が出ることも、生理現象ですよね。虫に血を吸われると痒くなるとか。
 私は幅広い興味や知識を持っている、いろんな事を知っているという類いの人間ではありません。今もそういう点ではあまり自信がない。自分が書けることがあるとしたら、その液体が出る感じとか、生理的な感覚とかなんじゃないか、そこには自信が持てるんじゃないかと。

──着ているものについての描写がありますが、パンツの生地は綿かシルクか毛かとか、ゴムの強さはどうだとか、生理的な感覚に繋がる書き振りになっています。見たものについての客観的な描写ではなく、犬にお尻を舐められるとか、生理的に捉えられる描写が多いです。
 それが私にとって実感の持てるものというか、信じられるものだからです。作品と実感を結び付けたくて、一番身近にある身体の感覚を語ることに執着しました。ただ、例えば「犬と人間がセックスする」という行為を具体的に見せたくて書いてはいません。「この台詞を俳優が発語し、聞いた観客にどんな経験をさせられるか」ということを大事にしています。もし台詞を聞いた観客に何か生理的な感覚が呼び起こされるなら、それこそ演劇的だと思います。最も、それだけでは結局行き詰まってしまうので、「何かもっと大きなものを捉えたい」という思いもあり、『バッコスの信女 ─ホルスタインの雌』ではギリシャ悲劇をモチーフにする試みをしました。

──最初の作品から現在まで、市原さんはタブー視されているもの、性欲とか、動物とのアブノーマルな関係など人が隠したい世界を取り上げる傾向があります。
 自分や他人が世の中に見せてる表の部分を描くことにあまり興味がない。家族や恋愛の話にしても、そもそも人はそこですごく演じているし、本当じゃないという気がする。自分も日常でやっているそういうことを、別に演劇でやらなくていいんじゃないかと‥‥。
 
──自分の中にある隠された生理的な感覚を解放したい?
 何かを自分の中に入れて、それが違う形になって排泄されて出ていく。新陳代謝ですね。自分が意図しないところで身体は勝手に働く。何か心理的には死にたいような辛いことがあっても、身体が勝手に新陳代謝していたら、自分の生命力を感じられるし、「私は簡単には死なないだろう」と自分のことを頼もしく思える。説得力のある表現にしたいと思い書いています。

──別の面からいうと、市原さんは「本当のことを語っている人にも薄っぺらい部分がある」というふうに、人を突き放して書いている感じもあります。その安っぽさも面白いと思います。
 相反する部分、両方あるのが人間だと思います。そういう前提だと、薄っぺらい部分も大胆にかけて面白くなります。薄っぺらい部分を書くときはある意味大胆に登場人物へ偏見を持ちます。わざと極端に描くことで説得力を持たせられることもあると思います。

──どういう書き方ですか。最初にプロットを決めて書き始めるのですか。
 最初は、即興ダンスや演奏のような感じで、バーッと感覚的に書いています。こうきたらこう、ああきたらこう、と連鎖みたいな感じで書いていく。全体が見えていてそれを描写しているというよりも、ああきたらこう、みたいな流れで瞬発的に思いついたことをどんどん続けていく感じ。調子が良いとタイピングしながらグルーヴ感がでてきます。だから踊りや演奏の即興に近いんじゃないかと思います。その後に整えていきます。必要な登場人物を考えたりプロットをつくります。

──ちなみに、自分の中で気に入っている作品は?
 『妖精の問題』(2017)が、グルーヴ感があり、気に入っています。基本は女性のひとり芝居で、落語、音楽、セミナーの3部構成です。1部は『ブス』という落語です。世の中から虐げられているマイノリティの喩えとして「ブス」という言葉をつかっています。作品の世界では、平均的な顔をしているのが「美人」。平均的でないのが「ブス」。なぜ大多数の人間が「美人」に惹かれるのかというと、顔は健康な子孫を残すため目印として進化したから。平均的な顔の「美人」に決定的な知性や健康の欠如はないとされている。劇中では「ブスは死ぬべきである」と政治家が主張します。でも、人と著しく顔が違うというのは著しく頭脳が発達している天才の可能性もある。「ブス」が「美人」に整形して、中身は天才のままで、最強の人類になる、という内容の落語です。
 2部『ゴキブリ』という歌です。ゴキブリがいっぱい出る家に住む貧困な夫婦がいます。ある日、夫が燻煙式の殺虫剤を焚いて駆除しようとする。そして、殺虫剤に対して鈍感な身体を持っている──ある意味障害のあるゴキブリが生き延びるという歌です。
 3部は『マングルト』というヨーグルトを女性器の常在菌でつくるセミナーです。菌を肯定することで人間の「生命」を肯定しようとしました。

──弱い人も強い人も、ブスも美人も、基本的に優劣、勝ち負けはないというのが市原さんの世界観ですか。
 私自身がそういう世界観を持っているのではなく、現在の社会が危ない状態に進んでいることを感じて、その危なさを徹底的に描いたうえで、逆の視点があることを作品で示したいと創作しました。実はこの作品をつくったきっかけは、相模原障がい者施設殺傷事件(*4)です。大変痛ましい事件だと思いますし、言葉にしづらいことですが、自分の中にも犯人と似た優生思想があると感じました。そこから、違う視点を持たなければいけない。できるだけ偽善的でない方法で、そして自分の信じられる方法で、あらゆる人間の「生命」を肯定する試みとして創作しました。

──その前年に発表した『毛美子不毛話』で、市原さんは初めて岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされました。
 合皮のパンプスを履いているOLが、本革のパンプスを探して路地裏を彷徨う話ですが、今思い返すと、あの頃はまだ書きたいことが漠然としていたと思います。偶然ですが、その後に起きた「#KuToo運動」(*5)に似ているところがありますよね。

──書き始めた当初は、自身の生理的な部分がモチベーションになっていたのが、この頃から差別などの社会的・倫理的な問題にも興味が広がっていった?
 もっと自分の作品が人や社会に影響力を持つにはどうすればいいのか考え始めた時期でした。生理的なことだけを書いても「なんかすごかったね」とか、「ところどころ共感した」とお客さんに曖昧なことを受け取ってもらうだけで終わってしまう。そういう作品が好きだという人もいますが、私はこのままでは良くないと思いました。

──2017年に『毛美子不毛話』でソウル公演を行うなど、海外公演や海外の舞台人との交流機会も増えていきました。市原さんの創作に何か影響がありましたか。
 それは影響されていると思います。『毛美子不毛話』はソウル・マージナル・フェスティバルで上演しましたが、本番の途中、機材トラブルで字幕がストップしてしまいました。上演を止めて、観客に「字幕なしでも観ますか?」と聞いたら、「観ます!」と。台詞の意味がわからないのに、舞台上の雰囲気から何か感じ取って、笑ったり、拍手したりしてくれました。トラブルで意気消沈していましたが、あのとき温かい観客に本当に救われました。それまで、私は「ヒューマニズムみたいなものは絶対信じない」感じの、拗ねた人間だったのに、私も人のために何かできる人になりたいと初めて思った。自分が変わっていくきっかけになった体験でした。この時のフェスティバル・ディレクターがCreative・VaQi主宰のイ・キョンソン君で、その後も企画に誘ってくれました。

──2018年12月にソウルの南山アートセンターで上演された韓国・日本・香港3カ国共同制作による『私とセーラームーンの地下鉄旅行』ですね。
 創作では、お互いの国のことをたくさん話しました。みんなそれぞれの国で社会運動を経験していて、共感しあっているのですが、私は全く社会運動の話に参加できなかった。例えば東日本大震災や原発のことについて聞かれても、彼らのように自分がその問題へ真正面から関わったという話ができない。2011年は、私が桜美林大学を卒業した年で、学生でなくなったと同時に震災のせいで世の中が滅茶苦茶になりました。社会の変化を強く感じていたし、そのことに傷ついていましたが、“そこに取り合っちゃいけないんだ”と必死で平気なフリをした。
 あの頃、SNSやメディアで様々な人が様々な意見を言ってましたが、すべてが信じられなかった。「私は本当のことを知ることはできない」と感じた。本当のことを知らせてもらえないのだから、「関わったら負けだ」と思った。そういう態度で傷ついている自分の身を守ったのだと思います。その後の作品で、自分の生理的な感覚に執着したのも、その不信感から、信じられるものを求めた結果だと思います。
 彼らに対して日本社会の話がうまくできなかったことをきっかけに、「自分ってそういうふうに生きてきたんだなあ」と振り向くことになりました。長らくそういう姿勢を取っていたことにさえ気付いていなかったところから、やっと脱して、「なぜ、自分が世の中に対して正面から向き合えないのか?」を考え始めました。

──韓国はセウォル号事件があり、朴槿恵前大統領が自身に批判的な文化人を排除するためのブラックリストを作成した事件があった。香港は雨傘革命があって、それぞれアーティストとして何かの行動をしていました。日本人としてそれに相当するものが、震災や原発問題だったかもしれないのに、そういうふうには自分はコミットしてこなかった。
 そうですね。「本当にそのことにそんなにみんなに興味があるの?」と疑っちゃうくらい、彼らは正面から向き合っていました。それぞれその問題と「戦った」経験がある。催涙ガスを受けて目に後遺症があり、「政府は最悪だ」ということを言葉にする。私とは全然違うなあと思いました。

──その後に発表したのが、第64回岸田國士戯曲賞を受賞した『バッコスの信女 ─ホルスタインの雌』です。
 ギリシャ悲劇をやろうと決めたのはもっと前ですが、あいちトリエンナーレで発表できる機会をいただけることになり、自分のキャリア的にもチャンスだと思いました。今までより格段に多くの観客に来てもらえるだろうし、気合いが入っていました。あいちトリエンナーレのテーマが「情の時代」で、そのコンセプト文からもかなりインスパイアされました。「情」という漢字にはいろいろな意味があります。「情」に振り回されるのも人間だし、「情」によって救われるのも人間。その「情」を飼い慣らさなければいけない。

──ギリシャ悲劇から『バッコスの信女』を選んだのはなぜですか。
 『バッコスの信女』を選んだのは、何よりデュオニュソスに惹かれたからです。私がこれまでの作品創作で培ってきたこと、異種の交尾や交配など、得意としてきたモチーフを使えるだろうと、デュオニュソスに出会った瞬間に感じました。ギリシャ劇の形式を使ったのは音楽劇をつくりたかったからです。『毛美子不毛話』と『妖精の問題』で額田大志さん(*6)と共同作業をしていたこともあり、音楽の効果を使いたいと思いました。

──デュオニュソスは神と人間の間に生まれたとされていますが、それを『バッコスの信女 ─ホルスタインの雌』では、半人半獣(ウシとヒトの間の子)に置き換えています。半人半獣やケンタウロスといったモチーフは、市原さんの初期の作品にもありました。
 未知のものと遭遇するというのはすごく強烈な体験のはずです。例えば人間同士の恋愛といった関係よりも、人間とは異なった種の動物との交わりを描くほうが人間をより深く捉えることができるのではないか、という思いがあります。

──人間同士だと別の色々なことが絡んでくるけど、オスとメスならそこを斟酌しなくてすむ。人間中心のヒューマニズムから解放されるということですよね。ちなみにどうしてウシだったのですか。
 家畜人工授精師という仕事に以前から興味を持っていました。そしてデュオニュソスが神と人間のハイブリッドであることから、家畜人工授精師が人間と牛のハイブリッドをつくるという物話を思いつきました。
 私の作品に割と通底していますが、「人間中心的な世界って変じゃない?」ということを描いている。舞台の上では「平等に」人間も含めたすべての生き物を人間が演じます。しかし、それぞれの生き物の置かれている立場は平等ではない。舞台上ですべての生き物を人間が演じることで、実際の生き物たちの置かれている不平等さや、人間の奇妙さが強調されます。

──『バッコスの信女 ─ホルスタインの雌』の出演者は女性だけでした。女性の作家として注目されることも多いです・「女性」と言われることは活動に影響していますか。
 古代ギリシャ劇の出演者は男性のみででしたが、今回はその図を反対にして出演者を女性のみにしました。最初は思い付きでしたが、結果的に、今までで一番創作がスムーズでした。ジェンダーの差から生まれる緊張はどうしてもあります。女性だけでのびのびと自由なパワーが稽古場に溢れていました。
 男性中心的な日本社会で女性は「女性」であることに対して憤りを覚える経験をせざるを得ないでしょう。しかし、私が劇作を始めたときには「女性」のことを描くという企みはありませんでした。自分の身体感覚について書くと、どうしても私の身体が女性なので、女性にフォーカスすることになってしまいます。「女性の作家」と言われて注目されるようになり、「女性」を付けられることで「女性」を意識させられました。「女性」をテーマにしたフェスティバルや企画にも呼ばれてきました。
 日本の演劇の社会も男性中心的な社会です。最近は女性の作家も増えてきましたが、まだまだ男性の作家のほうが多いし、権力あるポジションに就いているのも男性が多い。私は結果的に女性にフォーカスした作品を創作しているので、「女性」を使って男性中心的な社会で「認められている」というように見られてしまう部分もあります。「認められる」という行為自体が男性的なものですし、認めてくれる社会も男性中心的に成り立っています。私には認められたいという欲求がありますが、同時に、女性としての憤りもあります。簡単な答えを出すことはできませんが、「女性」にフォーカスすることは以前よりも確信的になってきています。

──ラストのシーンについてお伺いしたいのですが、ペンテウスにあたる「主婦」が格闘の末、獣人=デュオニュソスの性器を切りとってしまいます。
 はい、家に持ち帰って、焼肉にして食べます。それは「情の時代」のコンセプトにも関係していて、「何かと白黒ハッキリさせたい世の中だけど、そんなに分けられるものではない」ということを言いたかったので、色んな受け取り方ができる終わり方にしました。

──確かに決着がついたようなつかないような、まだ反転しそうな予感で終わります。その無理に決着をつけない感じが、人の関係性に対して極めて淡泊だから、展開がどんどんひっくり返っていくんじゃないかと思わせる。
 誰かが勝つか負けるという価値観で受けとられない方が良いと‥‥。食べられるということは負けたように見えるかもしれないけど、獣人は母(主婦)と一体になりたいと思っていたわけで、夢が叶ったとも言える。また、性器を取られて生殖に対する葛藤から解放されたかもしれない。一方で、食べるということは人間が勝ったように見えますが、主婦は何も変わらず、ずっと同じように暮らしていくことになる。それは、もちろん家やお金のない人から見れば幸せなことです。しかし、家父長制や消費社会の中でただ老いて死んでいくという罪を、自分本位に生きてきた主婦が無自覚に背負っているとも受け取れる。

──今までのお話を伺って、この作品が市原さんのこれまでの経験のひとつの集大成になっているのだと感じました。これからの活動について考えていることがありますか。
 偽善的に聞こえるかもしれませんが、自分がしてもらったように、人に何かできるようになりたいです。既に劇作や上演のコンクールの審査員を務める機会をいただいているのですが、そういった場面で才能のある人を正当に評価できるようになりたい。海外での創作も積極的にやっていきたいです。去年は自分がアジア人であるということを意識させられる場面が何度かありました。複雑な思いもしましたが、それが新たな創作の原動力にもなっています。ヨーロッパだけでなく、近年は東南アジアで開催されたトークイベントなどにも参加させてもらい、東南アジアの演劇関係者とも出会うことができました。これからアジアで場所やコネクションをつくろうとしている彼らの活動にも刺激を受けます。

──次回作のイメージはありますか。
 今は『蝶々夫人』を出発点として、日本人・アジア人女性に対するオリエンタリズムや、またその逆のオクシデンタリズムについて考えています。『蝶々夫人』は100年余り前に書かれた偏見に満ち溢れたメロドラマですが、でも、それは現代でも根本的に変わっていないと思います。あの物語は白人男性の視点から日本人女性を描いていますが、その視点をひっくり返し、日本人女性側から白人男性について描きたいと思っています。

──アジアの女性が感じている違和感を『蝶々夫人』を使って表現するということですね。
 六本木で飲んだとき、外国人のことが好きな黒髪ロングヘアーの女の人が沢山いました。六本木のような街がアジアにはいっぱいあります。そういう現代の「蝶々さん」も白人男性の顔の見分けがそんなについていなくて、ただ「白人」ということに惹かれているように見える。つまり、差別し合っている。そして差別を拒否せずに、相手の求める姿を演じ合うことで、苦しんだり楽しんだりしている。それは、多かれ少なかれ人間関係全般に言えることかもしれませんが。

──その作品の発表はいつ頃になりそうですか。
 シアターコモンズ’20のリーディング・パフォーマンスで『蝶々夫人』に取り組みました。自分の中では、あの企画をこれから続く創作のワーク・イン・プログレスのように捉えています。2021年にチューリッヒの劇場との共同制作の予定があり、そこでこの作品を発表したいです。
 
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