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西原鶴真
西原鶴真(にしはら・かくしん)
薩摩琵琶鶴田流演奏家、1971年東京生まれ。17歳で薩摩琵琶奏者の鶴田錦史に入門。錦史の死後は中村鶴城に師事する。1997年の独演会以後、国内外で演奏会を開く。2015年には造形作品展「ババロアチョモランマ」を開催。16年にフランスでバンド「KINTSUGI」を結成するなど海外での演奏活動も多い。 2020年6月13日からYouTubeで「鶴真TV」を配信。自身の音楽やアート作品を公開し、薩摩琵琶の魅力を伝えている。
https://www.kakushin.net/
https://www.facebook.com/kakushin.nishihara

YouTube公式チャンネル
「西原鶴真TV」
https://www.youtube.com/user/8848longshoter


琵琶
リュート型弦楽器。起源はイラン、アラビアにあるといわれ、7〜8世紀に中国経由で伝えられた。宮廷や寺社の儀式音楽・雅楽で用いられたほか、盲目の僧が琵琶を弾きながら経を唱えたり娯楽的な物語を語ったりして民衆にも広がった。特に平家物語を弾き語る「平曲」は人気があった。琵琶を用いた音楽は15世紀に生まれた薩摩琵琶、明治時代(19世紀)に創始された筑前琵琶など。楽器は少しずつ違いはあるが、基本的には棹と胴が滑らかに接続し、胴はナスのように下膨れで、糸巻きが後方に折れ曲がり、4弦。鶴田流では5弦(2本の弦が同じ音程の複弦になったもの)の鶴田式を使用。
*1 鶴田錦史(つるた・きんし、1911〜95年)
薩摩琵琶演奏家、作曲家。北海道滝川市生まれ。幼い頃より兄の影響で琵琶を始め、7歳で東京に出て小峰元水に入門。錦心流薩摩琵琶を習得し、10代で演奏活動と弟子の養成を始めるが、一時期実業家に転身し成功する。1955年演奏家として再デビュー。1964年に小林正樹監督の映画「怪談」で「壇ノ浦」を自作自演したのを機に作曲家武満徹と知り合い、67年武満作曲の「ノヴェンバー・ステップス」の演奏で国際的評価を得た。表現力豊かな琵琶楽を求めて楽器の改良や奏法の革新に熱心に取り組んだ。
西原鶴真
KINTSUGI南フランス公演(2015年)
MYSTIC RHYTHM
MYSTIC RHYTHM
Photo: herve dulongcourty
MYSTIC RHYTHM
山口情報芸術センター[YCAM]sound tectonics #24「MYSTIC RHYTHM」
(2020年9月9日/オンライン配信)
MYSTIC RHYTHM
MYSTIC RHYTHM
*2 リカちゃん人形
日本の玩具メーカー・タカラトミーが販売する着せ替え人形。米国のバービーやタミーを参考に日本の少女に身近に感じられるようなファッションドールとして開発された。1967年に発売され、現在も人気がある。
*3 『義経(よしつね)』
村上元三作詞・鶴田錦史作曲。平安末期の武将源義経(みなもとのよしつね)の逃避行を描く。海に出ると平家の怨霊が現れる。吉野山に逃れて愛妾静御前と別れ、弁慶ら主従わずか12人で東国を目指して逃れゆくまでを弾き語る。
*4 『平家物語』
鎌倉時代前期に書かれた軍記物語。作者、成立年不詳。平家と源氏の二大勢力の動乱を素材に平家の興亡を中心に描く。「平曲」として僧形の琵琶法師によって語られ、人々に愛好された。後世の芸能、美術に大きな影響を与え、能、歌舞伎、文学などの題材となった。
Artist Interview
2020.11.11
音楽
 Satsuma Biwa Performer Kakushin Nishihara Traditional classics coexisting with contemporary noise  
古典とノイズが共存する薩摩琵琶奏者の西原鶴真  
西原鶴真(1971年生まれ)は日本の伝統楽器・薩摩琵琶の演奏家。琵琶は7〜8世紀に中国から渡来し、広まる過程で楽器の構造や演奏法が開発された。その内、15世紀末に薩摩(現在の鹿児島県)で武士の士気高揚のために改良されたと伝えられているのが薩摩琵琶だ。17歳の頃、バンド活動をしていた鶴真は、薩摩琵琶の第一人者である鶴田錦史(1911〜95)と運命的に出会う。伝統を継いだ古典の演奏や西洋楽器との共演だけでなく、全身をタトゥーで装うという出で立ちで、ノイズやエレクトロニカを取り入れたアバンギャルドな表現にも挑む。コラージュ・アーティストとしてビスクドールなどを素材にした造形作品も発表する型破りな演奏家が目指すものとは?
聞き手:奈良部和美[ジャーナリスト]

音楽と薩摩琵琶との出会い


──楽器の演奏を始めたのはいくつですか。

 小学3年生ぐらいの頃から、近所のお兄さんにクラシックギターを習っていました。人前がすごく苦手で、人に見られるとカーッと恥ずかしくなってしまう。今思うと、楽器だと喋らなくていいからできた気がします。
 中学生になってから、親に安いエレキギターを買ってもらい、ロックにどっぷりハマりました。学校には馴染めませんでしたが、周りに音楽好きの素敵な大人がいて、ドアーズ、ローリング・ストーンズ、セックス・ピストルズ、ジャニス・ジョプリンなどを薦めてくれて、王道のロックやパンク、リズム&ブルースのレコードをたくさん聴きました。幼馴染みや近所のお兄さんたちを集めたバンドをつくり、区民センターでパンクのライブをしたのですが、爆音で出入り禁止になった(笑)。中学1年生の時で、多分それが初ライブだと思います。

──バンド活動で自信がつきましたか。
 緊張症は変わらなかった。パンクだからファッションで武装できたというか、何とか人前に立ってる状態でした。言葉にならない何かを表現したくて、その手段が音楽でした。近所のバンドメンバーから抜け出して、大人ともやるようになりました。みんな年上で、ボーカルの私が14、15歳の女の子という感じです。ピストルズのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)が大好きで、真似て、ちょんちょん跳ねて歌ったりしていました。

──鶴真さんのホームページによると、琵琶と出合ったのは17歳ですね。
 17歳になるかならないかぐらいの時でした。父が毎月買っていた「流行通信」という雑誌を読んでいたら、アジアのインテリア特集で楽器のウードが飾ってあった。それを琵琶と勘違いしたんです。すごく格好良かった。フォルムが珍しいし、弾いてる人も少ないから目立つんじゃないか、やってみたい!と思いました。電話帳で琵琶店を調べて、都内に1軒だけ、今も虎ノ門にある石田琵琶店を見つけました。連絡して、琵琶を教えてくれる人を紹介してほしいとお願いしました。
 そうしたら、どうしてなのかわかりませんが、一番大御所の鶴田錦史(*1)さんを紹介してくださった。鶴田先生がどんな方なのか全く知らない状態で、先生のマンションを訪ねました。先輩たちがズラッと廊下に正座して稽古を待っている中に、裸足でズカズカ入っていきました。「変なのが来た!」って騒ぎになったようですが、先生の前に通された。先生は三つ揃えのスーツでオールバックにサングラスをかけてバシッとされていて、格好良くて、オーラがとてつもなかった。先生にどうして琵琶に興味をもったのかと訊ねられたので、「形です」「カッコイイ」と答えました。音は聞いたことがあるのかと言われて「ないです」と答えたら、大爆笑されました。他の流派だったら、多分そこで追い返されたでしょうけど、鶴田先生は本当にアバンギャルドな方なので‥‥。

──私もお目にかかったことがありますが、錦史さんはかえって喜ばれたのではないですか。
 いろんなお弟子さんに「こんなのが来たのよ」ってお稽古の度に話されていたようです。
 音を聞いたことがないんじゃどうしようもないから、「これを聞きなさい」と先生の作品集のカセットテープを渡されました。とりあえずこれを聞いて、音も格好良かったらもう一度いらっしゃいと言っていただいて。帰ってすぐに聴いたら、もう本当にガーンと世界がひっくり返ったような衝撃を受けました。特に琵琶歌の独特さ、とても人間が出しているとは思えない声で、古い音楽ですがとても新しいものとして受け取りました。ピストルズなんてもんじゃない、格好良すぎる。すぐに弟子入りしたいと母に相談しましたが、もちろん反対されました(笑)。父も反対でしたが、やると言ったらやる質なので、先生のところに行って教えてくださいとお願いしました。それが16歳の終わり頃です。
 右も左もわからないまま弟子入りし、礼儀作法もできないのになぜかすごく気に入っていただいて、可愛がってくださいました。先生が亡くなるまでの5年間、修業させていただきました。もちろんバンドはすべてやめました。若いながらも琵琶は生半可な気持ちではできないと感じていました。琵琶一筋、集中してやるしかないと、1日8時間稽古するぐらい没頭しました。先生に褒められることが何より嬉しくて、与えられた課題は次までに絶対クリアしようとしました。
 でも先生は次に会うと言うことが変わる。「えっ?どういうこと?」。何時間も練習した正解を渡しても、それが正解ではなくなっている。でも先生の言うことには素直に耳を傾けていました。先生の優しさと寛大さに傾倒していたので、言われたことを素直に練習しました。今では、琵琶の世界に正解は沢山あることがわかっているので、その時の不思議な体験がすごくためになっています。


2人の師匠からの教えで導かれた境地

──錦史さんはお弟子さんの力量に合わせて譜を変えて教えていたと、聞いたことがあります。

 そうですね。初心者なので最初は簡単な手で教えてくださり、段々難しくしていったのだと思います。私はギターをやっていたので、「やっぱり手は良いね」と褒めてくださいましたが、歌は2年間やりませんでした。先生の作品集を聞いた時の衝撃が強すぎて、「自分にこんな声は出せないから絶対無理です、琵琶だけ教えてください」とお願いしました。琵琶は弾き語りですが弾くだけの曲もあるので、とりあえずそれで琵琶を弾く稽古をしました。
 2年もすると曲も尽きるので、そろそろ歌をやらないかと先生に言われたのですが、どうしてもやりたくなくて、稽古に通うのを止めてしまった。そうしたら、先生から毎日のように家に電話があり、母に「あの子はどんなアメを与えたら帰って来るのか」と(笑)。母から「気の毒だからそろそろ戻ってあげなさい」と言われて、『金剛石』という教訓歌みたいな短い弾き語りの古典曲を渋々習い始めました。先生は褒め上手なので、「すごいね!」「琵琶向きの声だね」とか、おだてられながら練習しました。
 習い始めて1年後には琵琶の演奏で初舞台に立ちました。『不倒』を弾き、すごく上手くいきました。先輩からも注目され、師匠も褒めてくださいました。ところが、2回目の舞台で大失敗したんです。照明が強すぎて途中で弦が緩んでしまった。弾き語りの場合は歌いながらチューニングできますが、弾くだけだったのでどうすることもできない。それで、弾くのを途中でやめて、楽器のチューニングを直し、最後まで演奏しました。でももう悔しくて悔しくて、トイレに駆け込んで1時間ぐらい号泣しました。母や先輩たちがオロオロするなか、先生は車椅子で悠然とトイレまで来られて、泣き顔の私に「あんたはエライ!」と褒めてくださった。本番であんなことになったら普通はパニックになるのに、冷静にチューニングし直して最後まで弾き切るなんてできない。そこは素晴らしかったと褒めてくださり、すごく救われました。泣いたのも悔しいから、向上心があるからで、可哀想でも何でもないのだと。その時の師匠の言葉は今でも心に響いてますし、一生忘れられません。
 何が成功で何が失敗なのか。弾き間違ったことが失敗ではない。精神の緊張が途切れることが失敗なのだと。それは今でも舞台に立つたびに思うことです。どんなアクシデントやハプニングが起きても、演奏家の気持ちが切れなければ失敗ではない。どこで演奏してもアクシデントはあるものです。その度にあの時のことを思い出します。巻き糸がほどけたり、スカばちをして気が動転しても、すました顔をしていればお客さんに気付かれない。先輩たちも「ちょっとアレンジ変えたな」と思うかもしれない。気持ちさえ切れなければ何でもOKだと思うと、すごく気が楽になりました。

──プロの演奏家になる気になったのはその頃ですか。
 なかなかその気にならなくて。しばらく決められませんでした。師匠が亡くなった時もプロになろうとは思っていなかった。プロになるとか、有名になろうとかは一切なくて、純粋に先生に会いたい、褒められたいからやっていた。鶴田錦史が好きで続けていたんです。先生は入院されても、お見舞いに行くといつもベッドの上でバチを動かす真似をしたり、まだやりたいことが一杯あるとおっしゃっていました。私に、「お前をメインにして5人組の女の子が立って琵琶を弾くバンドをやりたい」と熱く語っていらっしゃいました。
 先生が亡くなる直前に琵琶を演奏する会があったのですが、楽屋にチューナーを忘れてしまうほど注意力散漫で投げやりな演奏をして、それを後に師匠になる兄弟子の中村鶴城さんに気付かれてしまった。琵琶をやめようと思っていたら、チューナーを拾ってくれた鶴城さんから連絡があり、「預かってるから取りに来ない?」と。お家にお邪魔したら、琵琶について情熱的に語られ、いい加減な演奏をするなんてどうなっているんだ、やめるなんてもったいないと言われて火が付いた。琵琶は師匠から弟子に伝えるという縦社会で習っているので、先輩と勝手に連絡を取り合うのはタブーでしたが、内緒で中村先生のところに通うようになりました。中村先生には琵琶を変えていきたいという理念があり、僕が教えたことがどう跳ね返ってくるか見たいと言われ、中村メソッドの実験台のような感じで秘密の稽古が始まりました。いよいよ鶴田先生が危ないという段階で、先輩たちが弟子をどう振り分けるかを話し合っていました。中村先生が私を教えるには鶴田先生に許しを請う必要があったので、二人で病院に行きました。そうしたら、それが一番良いと思うと言ってくださり、公認の弟子になりました。
 それまで優しかった中村先生が、弟子になってからものすごく厳しくなった。鶴田先生の下で5年間は愛情を注がれて可愛がられ、それからは歯を食いしばるような6年の修業。こんなに厳しい思いをすれば、世の中の大概のことは何でもないと思えるくらい厳しかった。鶴田先生が言わなかった躾けも最初からやり直しで、座布団に座ろうとすると「師匠が座れと言うまで座るな」と言われる。緊迫感漂うお稽古でした。その頃にはプロになろうと思っていたので、そのために絶対必要なスキル、精神を叩き込まれました。1回も褒められたことがない。稽古の時に何を試したか、何を感じたか毎日書きなさいと稽古ノートを書くように言われました。4冊のノートが残っていますが、それを見ると本当に涙が出ます。
 声が先生の言う通りにどうしても出なくて苦労しました。琵琶歌は重心を下に意識して腰から声を出します。鶴田先生は「腹から出せ」と言っていたのですが、中村先生は「腹から声は絶対出ない」と言う。理論立てて考える人で、身体がどういう状態で声が出るか図解で説明するような師匠でした。天才型の鶴田先生に対して秀才型の中村先生という感じで、私はお二人から両方のメソッドを叩き込まれました。でも説明されたからと言ってその通りにできるものでもない。ある時フッと腑に落ちる時がくるのですが、中村先生から独り立ちはしたもののなかなか思うようにはいきませんでした。良いときと悪いときの落差がすごくある。それだけ難しいんです。でも一度ストンと腑に落ちてしまえば、後は何も考えずに勝手に誰かに歌わされているような状態に入り込める。その時は身体が筒状になり、正座して地に着いている身体と天空の世界がバーンと繋がり、身体は空っぽな状態で誰かに何かをやらされている感じになるのがベストです。でも、本番の時にしかそういう状態にはならない。普段の稽古では本番ほどは声は出ません。

──それは本番の緊張感みたいなものですか。
 何なのか本当にわからなくて。多分、本番スイッチのようなものがどこかに存在しているのだと思いますが、それがどこにあるのか自分でもわからない。リハーサルのサウンドチェックで予め音合わせをしても、本番の音量が全く違うのでPAさんも困惑する。本番で他のものになってしまう瞬間があって‥‥。でもそれが良い状態なんです。

──琵琶歌ではどのような稽古、修業をするのですか。
 中村先生のメソッドでは、歌い込んだり弾き込んだりしないと自分のものにならないので、1曲に半年はかけないと理解することもできません。譜面は大まかなことしか書いてないので、先生の歌を耳で聞いて覚える。節回しとか、音程とか、カセットに録音してともかく耳で覚えます。2カ月で表面的には覚えて演奏できますが、身体が地と天空を繋ぐ筒状になるような歌い方や演奏には至らない。いくら腰に力を入れて歌えと言われても、どこをどうすればいいのか‥‥。もちろん今では理解しているので、私が教えるとしたら、背筋(はいきん)に力をグーッと入れ続けて、抜かない。1時間なら1時間ずっと力を入れっぱなし。お腹に力を入れて腹筋をグッと固くしている状態を背筋でやるように伝えます。

──座り方も演奏に影響しますか。
 ちょっと膝を開き気味で正座をする。椅子に座る場合は、腰をクッションにした、腰のバネを使った音がしますが、正座だと、自分の足の肉にお尻が乗っているのがクッションになります。女性は着物だから太ももがギュッと閉まって歌いづらいので、私は今は着物ではなく、膝を開けられるようなパンツやゆとりのある服にしています。腰のバネを使って沈み、この力と一緒に重心をグッと落とし、1回力を入れたらそれから抜かない。下半身が岩のように固くなれば上半身は自由なので、楽にして顔に力が一切入らない状態で歌うように稽古します。上半身を意識した瞬間に、どうしても重心が上がり、喉も閉まるので声が上ずる。腰に意識を向けたまま歌うと、自然に声が出ます。
 声が上がってくると口の中で無意識のうちにいろんなことが行われると思いますが、息は吐かないで歌います。多分、蝋燭の火が目の前にあっても揺るがない。私のオリジナル曲ではハーッと息を出し気味なささやき声も使いますし、マイクで息の音も拾いますが、琵琶歌の時は息してるのかな?って気付かないぐらいじゃないと。「ア」とか「ワー」とか開放音は力が入らないので自然に出やすいですが、「ギ」とか「イ」とかは力が入りやすくて汚い音になりやすい。力が入いりやすい言葉はちょっと吸い込み気味に歌ってあまり際立たせないなどの工夫をします。

──口腔内の響きはどうなってるのですか。
 あまり口を大きく開ける感じではありません。口の中で自然と響きが加えられるのですが、そこが個人差に繋がってくるように思います。腰、背筋でできた音が身体を通り、それぞれの口から出る。もちろん口の大きさも違うし、そこで何が行われているのかには本当に個人差があって、自分の好きな響きに変えていく。口を通らないと音は出ないので、そのときに自分が好きな感じにいくらでも声色を変えられる。上級者のテクニックかもしれませんが、それがあって初めて完成されるのだと思います。  琵琶はビビリ音で、全部の弦にさわりが付きます。鶴田流の薩摩琵琶はフレット(柱、駒)が5つで弦が5本あり、接点すべてにさわりが付く。演奏者の好みで、派手な音が好きだったらビビリ音をいっぱい加えたり、柔らかい音が好きだったらさわりの加減で調整する。駒の幅は1センチぐらいあり、ギターのように駒の真上から弦を押さえて1点でべったり触れるようにすると、さわりが無い綺麗なギターのような音になります。駒は木でできているので、自分で削って弦との隙間を調整し、弦を押さえた時に駒のどのあたりでどのように触れさせるのかを調整し、自分の好きな音をつくります。ですから琵琶奏者それぞれで違う音がします。それは、自分の声に合わせた音でもあると思います。くぐもった声の人もいるし、ビビリ音の声の人もいる。私は鼻声なので、あまり派手な音は好きではないし、ビリビリした音も好きじゃない。自分でつくる声と琵琶の音が段々一致してくる──弾き語りの重要さはその辺にあると思います。誰の琵琶で歌うよりも、自分で音をつくった琵琶のほうが自分の歌には合うと、演奏家はみんな思っています。


コラボレーションとオリジナル

──今では薩摩琵琶の演奏活動をしながら前衛的なバンド活動などもなさっています。古典を新解釈したものやオリジナル曲もあり、演出もユニークです。コロナの影響によりオンライン配信された山口情報芸術センター(YCAM)でのソロ・パフォーマンス『YOSHITUNE MANGA』を視聴しましたが、アバンギャルドな映像をバックに、薩摩琵琶の古典を琵琶と実験的なノイズ音楽で表現されていました。冒頭と最後は古典の弾き語りで、途中は琵琶を横に寝かせて音具にしたり、リカちゃん人形(*2)をテルミンのような電子楽器にしつらえたノイズミュージックで、音楽とヴィジュアルが相まった不思議な世界が展開していました。

 バンドは、ラジオ・フランスの30周年記念で招待されたのがきっかけです。知り合いだったチェリストのギャスパー・クラウスがセッティングしてくれて、ギタリストを加えた3人で「KINTSUGI」というバンドを組みました。フランスに行ってはじめて「愛」をテーマにすることがわかり、琵琶歌でやれそうなものがあるか考えました。ほとんどが戦記もので、人が死んだり悲しむ歌なのですが、『義経』(*3)なら義経が静御前と別れるシーンがあると思いつきました。これから女人禁制の山に落ち延びていく、君とは来世で会おうと酒を酌み交わします。ギャスパーも賛成してくれたので、これをアレンジすることにしました。
 1曲20分弱を1時間ぐらいの演目にするために、チェロ、ギター、琵琶でいろいろアレンジし、ノイズも入れようと。曲の内容を理解しないと入り込めないので、義経はどういう人物かなどの勉強会をやりました。それから場面や感情に合わせてフレーズをつくり、アイデアを出し合いながら1時間の作品にしました。私が歌い終わった後に長いフリーセッションがあり、義経が落ち延びて亡くなるまでの悲しい人生を曲だけで表現しました。これが成功して、KINTSUGIのツアーを3〜4年続けています。パリからパン屋と薬局しかないような田舎町までフランス国内をかなり回りました。ノイズが鳴った時の熱狂もすごいですし、手の角度を変えると音の出るリカちゃん人形をたくさんぶら下げているのですが、みんな興味津々で楽しかったです。

──琵琶を本来の演奏方法ではなく、音具として使う発想はどこからきたのですか。
 最初はギターのエフェクターを使っていろいろな音を出していたのですが段々物足りなくなって‥‥。先輩のミュージシャンが貸してくれた機材を琵琶と繋いでいるのですが、宇宙音的な音がしたり、指でなぞるとその分だけ音程が変わっていくような面白い効果があります。弦の下端を止める覆手(ふくじゅ)の奥に隠月(いんげつ)という孔があり、そこにマイクを付けて音を拾っています。その音にエフェクトをかける。そのための機材がどんどん増えて、ノイズのバリエーションも増えました。パソコン1台あれば何でもやれますが、私は(音をつくる)ガジェットの存在がとても重要だと思っています。ガジェットはめちゃくちゃアナログで、それが琵琶ととても相性がいいんです。だからどんどん機材が増えて、機材の要塞に囲まれて演奏している感じです(笑)。

──ガジェットを通じて音を出すほうが琵琶と合うのはなぜですか。
 琵琶も超アナログじゃないですか。弦も絹糸だし。ナイロンの糸もありますが、味気ない。絹はより糸なので、湿度によって音が変わったりするから厄介で、ものすごくわがままな猫を飼ってる感じで全く言うことを聞かない。ライトがちょっと当たっただけでチューニングが狂うし、こっちが合わせていくしかない。弦の張り具合も難しい。そんな厄介なことを省こうとナイロンを使う人もいます。湿度に一切影響されないので屋外でも演奏できるし。私がそうしないのは、現代の社会に全くそぐわない厄介なところが魅力だと思っているからです。手間が掛かるし、時間も掛かる。だからこそ価値がある。
 琵琶は「間」の世界であり、「拍」じゃない。一定のメトロノームみたいなリズムではなく、「間」という曖昧で、伸びたり縮んだりするもので表現するので、奏者によっていくらでも伸ばしていいし、縮めたって構わない。一音が鳴ってから次の音が鳴るまで4時間あってもいい。奏者がずっと緊張を持っていれば、それってもう曲なんです。演奏が明日まで続こうが、気力があればオッケーという世界だと思います。そんな世界にお気軽でお手軽なものは合わない。
 琵琶の良さは雑味です。わざとさわりをかける。ヨーロッパの人にとっては汚い音に聞こえるみたいで、フランス人は中音域が大嫌いです。私が思いきり声を出すと邦楽独特の強い中音域になるので、フランスで公演したときにPAの人が勝手に音を変えていたほどです。フランスでライブをした時、風邪を引いて半分ぐらいの声しか出なかったのですが、絶賛されました。PAの人も「今日は本当に良かった、やりやすかった」と(笑)。50%ぐらいの力でやるとフランス人にはちょうど良いのだと思いました。文化の違いですよね。

──鶴真さんが琵琶に魅力を感じたのは、間とか曖昧な部分とか雑味とか、欧米の音楽とは違うものがあったからですか。
 子どもの頃からある反骨精神(笑)に合致したんじゃないでしょうか。正直、毎日やめたいと思いながら三十数年続けている感じです。飽きっぽい性格なので、思いどおりにいくものだと多分3日で飽きてしまう。琵琶に飽きないのは、手こずるというか、いまだに上手くいかない時は全く上手くいかないし、上手くいく時といかない時の波がものすごく激しい。そうして翻弄されるのが面白いんだと思います。

──琵琶歌には物語があります。物語の解釈は奏者によって様々だと思いますが、師匠から教えられることはあるのですか。
 『平家物語』(*4)を読むとか、最初のうちは本を読んだり歴史を勉強したりしますが、私は歴史が苦手で。でもみんな私が詳しいと思っていて、感動したとか泣いたとか言われても、こっちは別に物語について何とも思っていなくてすべて技術で成り立たせている。悲しい時はどんな声色だろうかとか、どのぐらいの音でどうやれば悲しく聞こえるだろうかとか。でも感情的にやると琵琶はストイックな世界なのでかっこ悪くなる。
 このストイックさについては、師匠からまず、客席を見てはいけないと教えられます。客を見てしまうと我が出てしまう。しかし、目を瞑ると悦に入ってしまう、自分に酔ってしまう。仏様の半眼、半覚半睡で自分を殺すのが琵琶楽だと教わります。琵琶歌では、俯瞰で物語のストーリーテラーになりますが、突然登場人物になるところもある。自分が突然義経になってセリフを吐く。演奏、ナレーション、役者の3役をこなさなければならないので、感情が入りすぎることに気を付けるように言われます。でもその物語が好きだと入り込んでしまい、義経になり切ってしまう人もいますが、私は一切ないです。
 ではどうやって感情を表現するのか。私が義経になって何か言ったり、弁慶になって勧進帳の場面を演じている時はもちろん絵は浮かんでいます。でも、どういうふうに演じ、どんな声で、どんなボリュームで出すか、泣きの声はどのぐらい出したらいいかと、技術的に考えているので、自分が泣いてしまうことはありません。だから直ぐナレーションに戻れる。感情的になって歌いながら首を振る人がいますが、それを直すのは大変です。稽古をするときには鏡の前でやり、自分の身体がどうなっているか、琵琶が倒れ過ぎていないかなど、フォルムの美しさから入って、眉間に皺が寄っていないか、顔に力が入っていないかをチェックします。冷静さを保ちながら狂気を演じる。物語を語る時はそこが一番面白いんです。

──物語についての解釈、演出、音楽的にどう表現するかなどの指導をされることはないのですか。例えば、シェイクスピアならば『ロミオとジュリエット』のどこに着目するか、どう解釈するかで全然違う話に相手には伝わります。
 そうですね、大体こういう話だと内容や心情については教わります。でも突拍子もない解釈でやったら、面白いかもしれないけど、古典をそこまでは逸脱させることはしません。「古典は宇宙」と言われています。琵琶の良さは古典を聞いてもらえばわかる。古典を1曲やれば琵琶の良さをすべてわかってもらえる状態にしておきたい。エグい演出とか突拍子もないものは、オリジナルの創作でやればいいと思っています。
 琵琶自体の価値、鶴田先生から教わった琵琶の持つ完璧な美しさは崩したくありません。先生がつくり上げた世界観をその状態で伝承したい。それは先生を真似るところから始まりますが、物真似してもしょうがない。時間をかけて自分の解釈で仕上げると、歌詞が同じでも、弾く間が違えば全く違う作品になりますし、声の抑揚によって曲の雰囲気も全く変わります。技術面で如何ようにもできる。
 でも感情は、人が殺されたら悲しいとか、別れの時は寂しい思いをするとか、落ち延びていく哀れな感じとかは、人間の多数決の感情として演じます。その一線を越えたら侮蔑している感じになる。琵琶や琵琶楽を侮蔑したくないので、そこは外れないようにしています。でも、義経はそんなに静御前のことを愛していなかったのではないかとか、解釈はいろいろあると思います。けれど大勢の人が求めるものはそこではない。普通の人だったらこうなるというのを物語に当てはめて演じるんです。
 だからこそ自分のオリジナルになると、普通の感情なんてどうでもいいと振り切っちゃう。人類なんか滅亡しろみたいな(笑)。その場の気持ちでやったり、どんな音と音を合わせようと自由だし、音やノイズは如何ようにもできる。

──琵琶を寝かせて演奏するのは鶴真さんが初めてですか。
 どうなんでしょう。そもそも琵琶奏者でノイズやエレクトロニカをやっているのは私だけですから。横にして弾くのもたまたまで、琵琶が重いとか、機材をいじるのに邪魔だとか。横にしたら箏のように弾けるかなと考えたりしますが、深い意味はありません。
 ノイズだけの曲については、垂れ流しではなく起承転結を考えるようにしています。ノイズ系のミュージシャンは爆音が過ぎたり、すごく長くて際限がない人もいますが、自分には合わない。冷蔵庫のモーターの音とか、換気扇の回る音とか、遠くで聞こえる赤ちゃんの泣き声とか、静かなノイズが好きです。そういうのも全部音楽だと思っていて、そういう音が琵琶と合います。舞台でやる時は何の音も聞こえない、客席も静まり返っていますが、生活音みたいな音があると、その音とセッションしてることになる。虫の音、風の音、雷の音とのセッション‥‥。小音ノイズにこだわりがあって、オリジナル作品ではやっていますが、舞台に出るとボリュームを上げられちゃうので爆音になっちゃう(笑)。600匹のゴキブリがガサガサしている音は、音だけ聞くと小川がさらさら流れている音に聞こえます。自然の音は美しいです。
 音については気持ち良さの順列みたいなものがあって。今はこの音は嫌だとか、始まったばかりでこの音は使いたくないとか、自分の中のルールがある。ここではこの音しか有り得ないという状態を絶対見つけ出す。そこは完璧にやりたいと思っています。大概の人には意味がないからわけがわからない(笑)。解釈って人それぞれだから楽しんでくれればいいのに、みんな難しく解釈しようとする。不思議な音の世界、いろんな音が出て来る感じに身を委ねて自分を解放し、面白い体験をしてもらえればと思っています。

──これから琵琶をどういう方向に持っていきたいと思っていますか。
 メチャクチャ最先端なものにしたいと思っています。ITの技術のように琵琶は今の世の中の最先端で、コンピュータなんてもう古いみたいな感覚に持っていけないかなと。このままでは奏者も増えませんし、琵琶は廃れていくしかありません。でもなぜか、私に大きな作曲の依頼があるなど、最近ちょっと琵琶に風が吹いてきたような感触があります。私自身は引き籠もりで、ほとんど外に出ないで家の掃除などをしながらオブジェをつくったり、音楽をしたりしているので、コロナになっても基本的に生活は変わっていません。でも、コロナで今までの感覚と生活があまりにも変わってきたから、みんなの危機感や死に直面している感じが琵琶の世界とリンクし、琵琶の音を求める人がでてきているような気がします。

──自然回帰のような感じなのでしょうか。ところで鶴真さんは頭、顔、手足に模様を描かれていますが、タトゥーですか? 
 全部タトゥーです。肌が出てる所しか入れていないので、普通とは逆ですね(笑)。7年前ぐらい前から入れ始めました。最初に入れたのは顎です。その時は欧米の文化に傾倒していて、欧米では7割の人がタトゥーをしていますし、アーティストが斬新なデザインのタトゥーをしているのを格好良いと思いました。ある彫り師の方が日本古来のタトゥー文化を消したくないとモデルを探していて、私が顎にタトゥーを入れているのを見て彫らせて欲しいと。足と右手が縄文トライバルという、縄文土器のような文様、左手はアイヌの柄です。私は縄文にもアイヌにも思い入れはないですが、彫り師さんにとっては意味がありますから(笑)。
 タトゥーに対する偏見がなくなればいいと思います。日本では入れている人が少ないので目立つから、頭の先から足の先までジロジロ見られます。慣れましたけど嫌ですね。海外はタトゥーが入っていようがいまいが関係なく、見てくれます。2年前に60年の歴史を持つ現代音楽フェスティバル「WARSAW AUTUMN」に薩摩琵琶の演奏者としては初めて招待されました。オーケストラとの共演で、私の演奏から始まるのですが、琵琶をバーンと鳴らして静寂を破ると、お客さんは微動だにせず集中し、終わったらスタンディングオベーションが鳴り止みませんでした。楽屋にディレクターが来て、これほど会場が熱狂したのは初めてだと喜んでくださいました。

──鶴真さんがネットで配信している「鶴真TV」を拝見しました。鶴真さんがとても琵琶を愛していて、一人でも多くの人に琵琶の音楽を広めたいと真摯に思っているのが伝わってきます。錦史さんがやりたいと言われていた琵琶バンドを実現するつもりはありませんか。
 もし弟子がいて一緒にノイズをやれれば面白いと思いますが、なかなかいない。自分のことを棚に上げて言いづらいですが、琵琶楽は歌と演奏があってこそなので、弟子には両方ちゃんとやって欲しいと思っています。歌だけちょっとかじりたいとか、琵琶だけちょっと取り入れたいという中途半端な気持ちでは受けられません。
 琵琶に限らず、自分に共感してくれる人は地球上探してもいないんじゃないかと思い始めています。私は音楽家ではなく、どちらかというと活動家のようにありたいのかもしれません。ベジタリアンとか、環境とか、搾取する者とされる者の関係を常に考えて生きていますが、考えていない人、避けて通る人がほとんどです。叩かれるし矢面に立たされるけど、やらなきゃいられない質なので真面目に向き合っています。子どもの自殺、低所得者問題…問題が山盛りで全部に向き合わなくちゃいけないのに、身体は一つしかないし、人生いつまであるかわからない。人間は嫌いだけど、理屈に合わないことに苦しむ人を見ると、なんか違うと思う。だから、琵琶を入り口に私を知ってもらって、私の発言が百人に一人にでも刺さればいいと思っています。
 私がやっていることはもしかしたら10年後、20年後に誰かが面白いと言ってくれるかもしれない。その頃に私はもう引退しているかもしれないし、他のことをやっているかもしれないけど、それでいいと思ってます。

──お話を聞いていると、「慈悲」というのだと思いますが、琵琶の持っている世界観、自然を慈しんだり、人を慈しんだりする慈悲の世界観に、琵琶をやればやるほど自ずと引き込まれるのでしょうか。
 そうですね、死者を弔うといったような、元々琵琶が背負ってきた世界があるんです。琵琶という楽器は、あのボディで何百年も生きて、いろんな人の手に渡り継がれて、お坊さんが使って霊を鎮めてきたような歴史を背負っている。今の私はそれを音楽だけで言うことに限界を感じていて、活動家としてどう向き合うかを模索しているような気がします。
 古典は古典として伝承しつつ、古典の技法を使って作曲する。今、自分の琵琶の発声と西洋発声(コーラス)と琵琶の音、それにノイズとかいろいろ、すべてを合わせた集大成のような曲を作っていますが、これは琵琶の新しい展開として位置付けるものではありません。こういう曲や琵琶が全く入っていないノイズのオリジナル曲、鶴真テレビで活動家としての問題に向き合っていくということなんだと思います。
 
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