国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

An Overview 解説

2010.6.9

Latest Trends by Genre:
Contemporary Dance
コンテンポラリーダンスの最新動向 坪池栄子(文化科学研究所)

舞踏と一線を画したコンテンポラリーダンスの興隆
 日本のダンスシーン(日本舞踊、民俗舞踊を除く)は、クラシックバレエ、モダンダンス、土方巽を創始者として1959年に生まれ、海外で高い評価を得ている舞踏(Butoh)、既存のメソッドと一線を画し、アーティスト個々人がオリジナルな身体表現を追求しているコンテンポラリーダンスの4つの流れによって構成されている。

 舞踏は、世界最高齢の舞踏家である大野一雄がほとんど踊れなくなっている他は、パリ市立劇場で毎年新作を発表し、世界ツアーを行なっている 天児牛大 率いる山海塾(『時のなかの時─とき』で2006年度朝日舞台芸術賞大賞受賞)、今年35周年を迎えた 大駱駝艦 、即興ダンサーとしてだけでなく、振付家としても活躍し、海外公演も多い笠井叡など、今も第一世代を中心にシーンがつくられている。

 第二世代としては、長野県でジャンルを越えた「ダンス白州」を主宰している田中泯(2005年度朝日舞台芸術賞受賞)、個人での活動を行なう傍ら、89年にダンスカンパニー枇杷系を設立し、若いダンサーを育ててきた山田せつ子(現・京都造形大学教授)、舞踏手として高く評価されている室伏鴻などが目に付くものの、舞踏のジャンル全体で見ると、新しい才能が次々に台頭するといった状況ではなくなっている。

 それに変わる動きとしてでてきたのが、コンテンポラリーダンスの興隆である。舞踏によって開拓された身体表現の可能性を新展開し、ポスト舞踏の才能として注目された 勅使川原三郎 が、86年にバニョレ国際振付家賞を受賞。ヨーロッパで成功したのをきっかけに、コンテンポラリーダンスに注目が集まる。

 加えて、80年代半ばから、バブル経済下の円高により、それまで経費的に難しいとされてきた舞台芸術の招聘が盛んに行われるようなる。ピナ・バウシュを筆頭に、当時、世界をリードしていたヨーロッパのヌーベルダンスが、オペラやミュージカルと並んで招聘され、マスコミでも話題となる。こうした来日公演により、これまで日本には存在しなかったコンテンポラリーダンスの観客層が開拓され、現在のブームへと繋がっていく。

 バブル経済崩壊後も、海外の有名カンパニーの招聘に意欲的に取り組んでいる彩の国さいたま芸術劇場を筆頭に、神奈川県民文化ホール、びわ湖ホールなどの公立劇場も新たな担い手として加わり、フレデリック・フォーサイス、イリ・キリアン、フィリップ・ドゥクフレなど世界の一流アーティストの作品が見られる環境が続いている。

 こうした世界のコンテンポラリーダンスの刺激も加わり、90年代には、勅使川原に次いでバニョレ国際振付家賞新人賞を受賞した 伊藤キム のカンパニーや、独特の美意識に彩られたパフォーマンスによりNYタイムズのダンス・オブ・ザ・イヤーを受賞し、世界に活動の場を広げている H・アール・カオス 、ダンスという枠に捕われない自由な発想とユーモアが信条の イデビアン・クルー 、マイムを新展開した水と油(2006年2月で活動休止)、学生服姿の男ばかりの踊りとコントでエンタテイメントとして大成功を収めている コンドルズ など、シアトリカルなパフォーマンスで人気を集めるカンパニーが登場する。

 2000年代に入ると、公的な支援や民間企業の支援もあって同時多発的に始まったフェスティバルや賞を通じて、60年代生まれ、70年代生まれの新世代アーティストが次々に台頭。多彩な個性を競い合い、80年代の演劇界に見られた小劇場演劇ブームに相応する活況となっている。
ダンススポットの誕生
 新世代アーティストが台頭した背景には、コンテンポラリーダンスの人材発掘と育成に尽力し続けたアートスペースの存在がある。80年代はじめには、舞踏集団が自分たちで運営していた稽古場兼劇場(土方巽のアスベスト館、大駱駝艦の豊玉伽藍など)を除くと、ダンス公演を企画していたのは渋谷の小劇場のジァンジァンぐらいだった。その後、いくつかの民間企業がアートによるイメージアップを図り、芸術を支援する目的でホールをオープンし、コンテンポラリーダンスのプログラムを行なうようになる(SPIRAL HALL、パークタワーホール、アサヒビールホールなど)。

 特に、90年代後半から、不況で都心に生まれた空きビルなどの遊休スペースが次々と新しいアートスポットに生まれ変わるが、その中で登場してきたのが、現在のムーブメントの震源地となっているダンススポットの数々である。10分の小作品を集めたフェスティバルや観客が公演後に価格を決めるユニークな企画を多数行なっている「セッションハウス」。日替わりでダンサーが競演する企画などを行なっている「die pratze」。横浜市立の小劇場を市民ボランティアが運営し(2004年に運営団体としてNPO法人STスポット横浜を設立)、気鋭のアーティストがキュレーターとして新人のオーディションから作品づくりまでサポートする企画を行ない、新進アーティストを多数輩出してきた横浜の小劇場「STスポット」。関西のコンテンポラリーダンサーの登竜門であり、拠点になってきた大阪の「Theater DB(NPO法人DANCE BOXが運営していたが、劇場は2007年に閉鎖)」など。いずれもダンスの理解者であるプロデューサーが責任者となり、互いに連携しながらアーティストの育成を行なっている。

 また、公立劇場やホールを有する公立美術館の中にも新国立劇場、伊丹アイホール、世田谷パブリックシアター、横浜赤レンガ倉庫、愛知県芸術情報センター、山口芸術文化センター、金沢21世紀美術館、高知県立美術館など、新たにダンスの拠点として名乗りを上げるところが生まれ、自主事業を企画して継続的な支援を行なっているのもシーンを支える大きな要素となっている。

 特に、新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)は、ヨーロッパで振付家としてのキャリアを積んで日本にもどってきた 金森穣 を舞踊部門の芸術監督に迎え、2004年に日本ではじめてと言っていい本格的な劇場付属のコンテンポラリーカンパニー「Noism」を設立し、金森の意欲的な創作活動によって毎年新作が話題をさらっている。日本の公立劇場のひとつのモデルとして今後の動向が注目される。
民間支援と新世代プロデューサーの活躍
 90年代には民間企業が社会貢献活動の一環としてアートに対する支援を行なうようになった。その中で価値の定まらない新しい創造活動への支援を打ち出し、コンテンポラリーダンスを積極的に支援したのが、 アサヒビール 、キリンビール、 トヨタ自動車 、セゾン文化財団などである。

 特に、トヨタ自動車が、「次代の振付家の発掘」を目的に、世田谷パブリックシアターとの協力で2001年にスタートした「トヨタコレオグラフィーアワード」は、新進アーティストの登竜門として定着し、大賞として、砂連尾理+寺田みさこ(2002年)、 黒田育世 (2003年)、 東野祥子 (2004年)、隅地茉歩(2005年)、白井剛(2006年)といったアーティストを世に送り出してきた。また、キリンビールが協賛し、横浜市芸術文化振興財団が主催している公演・ショーケース・ワークショップなどを併せた総合フェスティバル「横浜ダンスコレクションR」のコンペティション部門も広くアジアから振付家を公募し、新進振付家の登竜門となっている。

 コンテンポラリーダンスの活況を支えているもう一つの要素が、新世代のプロデューサー・制作者の活躍である。集団単位で活動し、集団のリーダーがプロデューサーを兼ねていた舞踏に対し、コンテンポラリーダンスでは、集団から独立したプロデューサー・制作者が制作会社を設立し、民間や公共から支援を受けながらダンスフェスティバルなど様々な企画を実現する体制に大きく変わってきた。

 また、日本ではまだ活動が始まったばかりのNPO法人もこの領域において大きな役割を果たすようになっている。特に、アーティストなどを会員として2001年に設立された 「NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク」 の存在は特筆に値する。

 アーティストの情報発信やチケット販売などを行なっているほか、NPO法人設立準備中の2000年から複数組のアーティストのショーケースを全国巡演する「踊りに行くぜ!!」(開催地のアーティストも育成目的で参加)をスタート。当初4都市8アーティスト(組)での実施が、2007年には21都市49アーティスト(組)となり、活動が飛躍的に拡大。開催地の主催団体には、公立・民間劇場はもちろん、公立美術館、自治体、ダンス系のNPO、美術系のNPO、まちづくり系のNPO、地元劇団といった、ダンスの文脈に留まらない幅広い担い手が名乗りを上げており、それだけをみても、この8年間におけるコンテンポラリーダンスの社会的な広がりを伺わせる。

 また、アーティストを小中学校に派遣しているNPO法人芸術家と子どもたちの活動や、コンテンポラリーダンスのアーティストを公立文化施設に派遣して公演とアウトリーチを行なう財団法人地域創造の事業などもあり、「誰でもがダンスに触れられる社会環境づくり」が進展したことがここ10年の最大のムーブメントと言えるのではないだろうか。

 こうした新しい時代となり、アーティスト側の意識も大きく変わってきた。これまで横の繋がりを嫌っていたアーティストたちが社会との関りを真剣に考えるようになり、学校でのアウトリーチが職業になるアーティストも少ないながら生まれている。また、こうした活動をきっかけに地域との草の根交流がはじまり、地域に滞在しながら市民と作品を創作するアーティストも表れるなど、社会とコンテンポラリーダンスの新たな関係を踏まえた創造活動の模索もはじまっている。こうした環境が日本でどのように定着するかは、まだ、不透明だが、コンテンポラリーダンスの開放性が新しい時代のシンボルになるような予感がする。