The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
鈴木忠志
鈴木忠志
SCOT
https://www.scot-suzukicompany.com/
シアター・オリンピックス
鈴木忠志、テオドロス・テルゾプロス、ロバート・ウィルソン、ユーリ・リュビーモフ、ハイナー・ミュラーら、世界各国で活躍する演出家・劇作家が国際委員会を組織し、1993年にギリシアのデルフォイにおいて創設された舞台芸術の祭典。国境を越えた芸術家同士の共同作業によって企画されることを特徴とし、舞台芸術作品の上演のほか、教育プログラムも実施。これまで、1995年:ギリシア(デルフォイ、アテネ、エピダウロス)、1999年:日本(静岡)、2001年:ロシア(モスクワ)、2006年:トルコ(イスタンブール)、2010年:韓国(ソウル)、2014年:中国(北京)、2016年:ポーランド(ヴロツワフ)、2018年:インド(ニューデリーなど)で開催。
第9回シアター・オリンピックスは日本・ロシア共同開催。日本開催(芸術監督:鈴木忠志)の会期は2019年8月23日〜9月23日で、利賀会場(富山県利賀芸術公園)、黒部会場(宇奈月国際会館「セレネ」、前沢ガーデン野外ステージ)で30作品(約16カ国)を上演。ロシア開催(芸術監督:ヴァレリー・フォーキン)はプーチン大統領のイニシアティブによる「ロシアにおける演劇年」の一環として実施。9月から11月までサンクトペテルブルクの国立アレクサンドリンスキー劇場を主会場に第9回シアター・オリンピックス(約30カ国の作品と国内15団体の作品を予定)が開催されるほか、1月のウラジオストックから11月のカリーニングラードまでロシア各都市を演劇でつなぐ「シアターマラソン」が行われる。
https://www.theatre-oly.org/
SCOT『リア王』(2009年)
リア王
富山県利賀芸術公園
交流人口の拡大を目指し、1973年に村に残された合掌造りの家屋5棟を移築した「利賀合掌文化村」を整備。76年、その中の2棟を借り受け、鈴木忠志が劇場「利賀山房」を開場。82年に財団法人国際舞台芸術研究所を設立し、野外劇場を新たに建設して第1回利賀フェスティバルを開催。以来、周辺整備や芸術公園の整備を行い、94年に利賀合掌文化村を富山県利賀芸術公園として県立化。
http://www.togapk.net/
利賀山房
利賀山房
野外劇場
野外劇場
富山県利賀芸術公園マップ
利賀芸術公園マップ
TOGAアジア・アーツ・センター
富山県利賀芸術公園のめぐまれた演劇創造環境を活かし、様々な分野で成長著しいアジアにおける舞台芸術の拠点とすることを目指して、「創造と教育」をテーマにアジアを中心とした事業をするため、鈴木忠志が代表となって2012年に設立。主な活動内容は、国際劇団インターナショナルSCOTの公演、国際的な教育プログラム【スズキ・トレーニング・メソッド訓練プログラム、アジア国際演劇キャンプ(中国国立中央戯劇学院、韓国中央大学、ベトナム国立ハノイ演劇・映画大学等との連携による教育プログラム)】、国際共同制作作品の滞在制作および発表、子どもたちを対象とした事業、各種会議など。こうした舞台芸術による地域再生を支援するため、2013年には富山県知事、南砺市長、富山県の経済人が参画した官民一体の「TOGAアジア・アーツ・センター支援委員会」が発足。
俳優訓練法スズキ・トレーニング・メソッド
「舞台俳優の基本は呼吸と下半身の集中力を養うことから始まる」という鈴木忠志の考え方により、日常生活のなかで退化させてしまったこうした身体感覚を活性化し、舞台俳優としての身体をコントロールできるようにするための訓練法。第2回利賀フェスティバル(1983年)から鈴木がこのメソッドによって俳優を訓練する「国際演劇夏季大学」をスタート。毎年、利賀村に各国の俳優が集まるようになる。カリフォルニア大学、ジュリアード音楽院、コロンビア大学などの教育機関や世界の劇団で学ばれている。「かつてアメリカの俳優訓練法の主流であったスタニスラフスキー・システムはリアリズム演劇のための方法であり、60年代以降の演劇には対応できなくなっている。スズキ・トレーニング・メソッドはこれに代わり、今アメリカで最も重要な俳優訓練法として多くの人に学ばれている」と評価されている。 スズキ・メソッド
スズキ・メソッド
SCOT『ディオニュソス』
ディオニュソス
プランバナン公演(2018年)
ディオニュソス
北京公演(古北水鎮、2015年)
SCOT『トロイアの女』(2014年)
トロイアの女
SCOT『世界の果てからこんにちは』(2015年)
世界の果てからこんにちは
Presenter Interview
2019.3.15
Alkantara Festival, and its aim to build a new type of artist community 
演劇で世界のあり方を問う鈴木忠志とシアター・オリンピックス 
1976年、鈴木忠志と早稲田小劇場(現・SCOT)が富山県利賀村(現・南砺市利賀村)に本拠地を移してから40年余り。山奥の過疎村に残された合掌づくりの農家に演劇的インスピレーションを得て、劇場「利賀山房」を開いたのをきっかけに、今やここは4つの劇場・訓練施設、2つの野外劇場、スタジオ、何棟もの宿泊施設(計200人収容)などが集積した国際的な舞台芸術の拠点として再生した。当時、約1,500人だった村の人口こそ500人を切るほどに激減したが、利賀村一帯の交流人口は年間20万人を超え、各国の演劇を学ぶ人々が滞在し、昨年夏のSCOTサマー・シーズン(2週間にわたってSCOT作品の連続公演などを展開)には国内外から延べ7,000人がこの地を訪れた。
その利賀村とサンクトペテルブルクの国立劇場を主会場に、日本とロシアの共同開催として行われるのが「第9回シアター・オリンピックス」(日本開催:2019年8月23日〜9月23日)だ。言うまでもなく、鈴木はスズキ・トレーニング・メソッドで世界的に知られる演出家であるだけでなく、1982年に日本初の世界演劇祭「利賀フェスティバル」を立ち上げてから、「シアター・オリンピックス」(93年創設)、日中韓共同による「BeSeTo演劇祭」(94年創設)など、芸術家が主導する演劇祭を構想・実現してきたアクティビスト。利賀村の存在とは? 演劇祭によって芸術家が連帯する意義とは? 演劇で世界のあり方と人間を問い続ける鈴木に、改めてインタビューを行った。
聞き手:内野 儀

──私は大学院生の頃にはじめて利賀村に来させていただいたということもあり、こうして対面してお話しするとなると、いささか緊張します(笑)。82年に行われた第1回利賀フェスティバルのときには、アメリカのロバート・ウィルソンなどの通訳もさせていただきましたし、思い出がたくさんあります。今年は日本とロシアの共同開催として第9回シアター・オリンピックスが開催されます。99年に、当時、鈴木さんが芸術総監督を務められていた静岡県舞台芸術センターで第2回が開催されてから、早いものでもう20年になります。今回、鈴木さんが本拠地にしている利賀村が主会場となるという意味で、歴史的な意味のある開催だと思います。芸術祭もいろいろありますが、芸術家が連帯して開催されるシアター・オリンピックスは、他とは一線を画したものだと思います。
 利賀村だけを会場にする予定だったが、ぜひロシアでもやりたいということで、今回はシアター・オリンピックスとして初めて2国共同開催になった。2国共同開催というと日本とロシアの文化交流だと思われるかもしれないが、そうではない。世界各国から集まったシアター・オリンピックスの国際委員が企画する世界演劇祭を両国で開催するということだ。
 片や人口が500人を切るような利賀村の劇場、片や人口535万人のサンクトペテルブルクにある宮殿のようなアレクサンドリンスキー国立劇場という、これだけチガウところが一緒にやるのが面白いし、集まった芸術家たちにそれでも仲良くできる精神があるのがとてもいい。いい仕事をして、社会的にも認知されている芸術家は、こういう規模の大小、観客の数などの見える枠、見える区別を飛び越えて連帯できる。それが演劇や芸術家のすごいところだ。シアター・オリンピックスは、民族や国家の境界、壁、差別を乗り越えられることを示すシンボルになる。
 2600年前にできたギリシア悲劇をみればわかるように、異民族に対してどういう態度をとるべきか、犯罪をどう考えるべきか、集団はどういうルールで維持していくべきかなど、個人や一地域、一民族を越えた普遍的な問題を、演劇はいつも考えてきた。だからギリシア悲劇やシェイクスピアのような演劇が、国を越えた人類の共有財産になったと私は思っている。グローバリゼーションという言葉があるにも関わらず、政治や経済はこうした世界の共有財産を新しくつくっていくという指向がなくなっている。そういう分断した状況に橋を架けて、新しい共存のルールを見つけようじゃないかというのが、今回のシアター・オリンピックスのテーマ「Creating Bridges(橋を架ける)」だ。こういう価値観、こういう生き方、こういう精神が人間には共有されるべきだというような、共存のルールについて考えてみたいと思っている。
 私が監督する日本側のプログラムは30パフォーマンス(16カ国)で、利賀村が主会場だが、TOGAアジア・アーツ・センター支援委員会委員長の𠮷田忠裕さん(YKK取締役)の工場もある黒部市の野外劇場や宇奈月温泉のホールでもやる。オープニングは『リア王』で、ドイツ、ロシア、アメリカ、中国、韓国の俳優が出演している。テオドロス・テルゾプロスが上演する『トロイアの女』にもいろいろな国の俳優が出演する。芸術家にも国籍はあるが、スポーツのように国を代表して競争するわけではない。民族、国境を越えて、人間は共通だという普遍性を追求するのが芸術の役割だと思っている。

──TOGAアジア・アーツ・センター支援委員会についてご紹介いただけますか。
 芸術家には思いがあっても、金も力もない(笑)。応援してくれる人たちがいないとできない。利賀のこれからのことを考えて、ここをアジアの舞台芸術の創造と教育の拠点にするための「TOGAアジア・アーツ・センター」をつくったら、富山県知事や南砺市長、𠮷田さんのような経済人などが集まって、応援しようと言っていただいた。今回のシアター・オリンピックスもその応援があるからできる。支援委員会には、利賀の活動を官民が一緒に支えることをやっていただけて、とてもありがたく思っている。創価学会には利賀村にもっていた土地を舞台芸術を支援するために無償で寄付していただいて、そこに新しい宿泊施設をつくった。こういう理想でこういうことをやりたいというと、このレベルで理解してくれる人たちがいることを日本の若い演劇人はもっと信じるべきだと思う。

──シアター・オリンピックスが創設されたのは1993年、四半世紀前です。演劇のあり方や世界情勢は今と異なっていたと思います。
 我々がシアター・オリンピックスを創設したのには2つの側面があった。ひとつは、1990年代に入り、世界的に活躍していた演劇人の活動がやりにくくなっていたこと。当初は世界から認められた演劇人がいて、そういう芸術家は人々に精神的なプライドを与える仕事をしている、知的にも、美的にも、伝統的にも社会の財産だという認識がみんなにあった。だから芸術家は、考え方や立場が異なる人からも尊敬されていたし、みんなの財産として支えていこうという社会的コンセンサスもあった。ところが、グローバリゼーションによって、そういう精神的なことよりも経済による国家の安定の方が大事だという風潮になり、演劇人の活動がやりにくくなった。それで、もっと芸術家同士が連帯して、こうした世界的な状況に対処しようじゃないかと話し合った。
 もうひとつは、当時の世界情勢。1989年にアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を宣言し、90年には東西ドイツが統一するなど、世界が平和に向かう機運があった。しかし、実際は、多民族国家のユーゴスラビアで内戦がはじまるなど、民族紛争、地域紛争が盛んになる。冷戦時代は、共産主義的な成り立ちをする国と資本主義的な経済を中心にした国の対立はあったが、それぞれがイデオロギーや価値観で結束していたから、問題はあってもある程度のまとまりがあった。その秩序が崩れて、かえって紛争が増えてしまった。今のEUの混乱と似ている。当時、ギリシアの演出家のテオドロス(現シアター・オリンピックス国際委員長)が東京に来て、「冷戦が終わってヨーロッパが平和になると思ったらそうではない。民族浄化のようなとんでもないことになっていて、難民の数も凄い。政治的に不安定で、みんな傷ついていて希望もない。こういう時に芸術家として何もできないのは寂しい」と言う。それなら、芸術家として国や民族を越えて連帯しようじゃないかと。そういう国家の垣根を越えた恋愛みたいなことをやろうじゃないかと声を上げた。
 シアター・オリンピックスとは直接関係ないが、当時、サラエヴォの演劇人から私のところに電報が届いて、ぜひサラエヴォで演劇をやってほしい、軍用機で迎えに行くからと。戦争をやっている最中に演劇をやることが大事だという認識がすごい。ヨーロッパは歴史的に人間とは何か、国家とは何か、犯罪とは何か、といった人間が集団で生きていくときの諸問題について演劇で考えてきたという信念があるから、紛争中でも演劇を材料にしてこれからの世界の秩序がどうなるのかを考えようとしたんだ。スーザン・ソンタグは実際にやったが、私の方は途中で連絡が途絶えてしまって行けなかった。

──バックグラウンドも表現も異なるのに、芸術家はどうして連帯できるのでしょう。
 子どもにとっては生まれたところが故郷だが、大人になるにつれて家族を養い、やがて死んでいく場所が故郷になる。だが芸術家は、そもそもどこにもそういう安住できる場所はないと思っている人たちだ。故郷というのは自分が帰って行ける、安心できる場所ということだが、じゃあ芸術家にとってそういう場所はどこかというと、心の中じゃないかと。心と心が感動で結ばれた時に故郷ができるんだよなと、ちょっと寂しい思いをしながら、一生懸命に作品をつくり、いろんな人に見てもらう。まあ、だいたいは裏切られる(笑)。
 そういう芸術家は、金銭的な価値、民族、貴賤貧富、男女のような目に見えるものではなく、目に見えない人間としての何かの価値を信じているもの同士として連帯できるんだ。だから、そういう気持ちを多くの人にわかってもらいたいという思いが先にないと、シアター・オリンピックスのようなことは成り立たない。劇場があるから活動する、国の補助金があるからプランを考えるといったところから発想するわけではない。

──シアター・オリンピックスはギリシアからはじまり、徐々に規模が拡大しています。
 はじめはデルフォイのような人口が3000人しかいない、オイディプスが神託を受けたような古代ギリシアの聖地で精神的な結束を固めるためにやった。その後、国として経済的に応援したいというところがでてきて、だんだん規模が大きくなっていった。そうなるとどうしてもリーダーシップのあるところ、政治家や経済人と一緒にやることになるが、シアター・オリンピックスの初心を忘れなければいいのではないかと。「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月をみるかな」(傳一休禅師)でいい。
 でも今回、何人かの国際委員が、最初の精神にもどって利賀村のようなところでやり、芸術家同士の連帯を確かめ、何が問題か、世界は何を必要としているのかを考えたいと言った。利賀村には長年のSCOTの蓄積があるし、劇場は小さいし、宿泊施設もそれほどないから何万人もの観客に来てもらうことはできない。ちょっと小さいかもしれないが、芸術家同士が交流して、いろいろなことを考えるにはちょうどいい規模だと。

──鈴木さんは、1972年に早稲田小劇場がフランスのテアトル・デ・ナシオン(世界演劇祭)に招待されて以来、45年にわたって海外展開をしてきたパイオニアです。SCOTはこれまでに33カ国を訪れていますし、ジュリアード音楽院、中国国立中央戯劇学院などスズキ・トレーニング・メソッドで訓練している芸術学校もたくさんあります。
 私は日本を宣伝したくて外国に行ったのではない。じゃあどうして行ったのかというと、同じレベルで演劇や社会あるいは人間のことを考えている外国の専門家に見てもらいたかったからだ。もし、スタニスラフスキーが見てくれるなら彼に見てもらいたかったし、ジャン=ルイ・バローが招待してくれたから、彼に見てもらいたくてパリに行った。日本が好きな外国人に見てもらうために行ったのではなく、日本を背景にしているけど、普遍的な演劇の表現としてどうみるかという鑑賞眼をもった人がいるから乗り込んで行った。
 そういう国を越えて連帯できる人を見つけ出せるかが大事なんだけど、今は国から予算がでたから行く、知り合いに紹介してもらったから行くという傾向になり過ぎている。その上、「これが日本文化ですよ」という送り出し方をしている。芸術家として出すのではなく、日本人として、日本文化の宣伝として出してしまっている。客席に日本好きと日本人しかいないようではダメなんだ。

──現代のエキゾチシズムとして外国に行っているということですよね。お膳立てする方にも行く方にも、そういう問題意識がない。ただ、チェルフィッチュの岡田利規はそこに一石を投じようとしていて、ドイツのカンマーシュピールから作品制作を委嘱されたり、エキゾチシズムとして捉えられることに疑問をもっているので、タイの芸術家たちとのコラボレーション作品は、タイ語でパリ公演を行ったりもしています。もちろんそれは例外で、今の若い演劇人は内向きで、本当の意味で海外に打って出ることに興味のない人が多い印象があります。ところで、新しい海外展開としてアジアのことをご紹介ください。私はまだ訪ねていませんが、2015年には北京北方の古北水鎮に鈴木さんのための野外劇場「長城劇場」ができたそうですね。
 中国人の有名なデベロッパーが、万里の長城が借景できる北京市政府の土地に野外劇場と宿舎と稽古場をつくってくれた。そこで毎年4月にスズキ・トレーニング・メソッドの訓練を教えている。『カチカチ山』『ディオニュソス』の稽古も2〜3週間やっている。年間600万人も来る景勝地だが、ここを中国を代表する国際的な場所にしたいから鈴木さんの好きにしてもらっていいと言われている。デベロッパーとして文化を戦略的に使おうとしているんだが、テーマパークではなく、芸術じゃなきゃダメだ、その芸術家が中国人でなくても日本人のスズキでもいいと言うのが面白い。

──テキストは中国語ですか?
 そうだ。みんな誤解しているが、その国の言語に翻訳された段階では、ギリシア悲劇であろうがシェイクスピアであろうが、その国の演劇だ。言語というのは伝統もあるし、日常的にも話されているものだから身体と結びついていて、中国語に翻訳された段階で中国人のものになる。

──利賀村にはインドネシアからもスズキ・トレーニング・メソッドを学びに来ていて、2018年にはインドネシアと中国と日本の俳優が出演した3カ国語の『ディオニュソス』を上演しました。ジョグジャカルタの野外劇場でも上演されましたが、いかがでしたか?
 3カ国語でやったが、インドネシアではこんなことは初めてだったらしい。要するに同じ訓練をして、同じ考え方でやれば、インドネシアの俳優ともかなり面白いレベルでの共同作業ができる。だから、単にヨーロッパやアメリカから何かを学ぶというのではなく、共通の土俵をつくることが大事だ。民族、国境を越えて一緒にやれるようなルール、プリンシプルがあれば、さまざまな差異にとらわれないでかなりの仕事ができるという手応えを感じた。
 今まではどこかヨーロッパ演劇から学ぶという考えがアジアにはあったが、そうではなくて、みんなが一緒になってやれる“チガウドヒョウ”があるという考えに変わった。スポーツを考えればわかるが、ルールがあるから、サッカーも野球も相撲もいろんな国の人が一緒にできる。そういう意味で、ルールとそれを身につける訓練のシステムがきちんとあれば、みんな対等になる。どの国にもすごい能力があり、文化的なコンプレックスは不要だ。

──近ごろは演劇やダンスの国際共同制作がよく行われていますが、名ばかりの共同制作ではなく、共有できる原理があり、そこからはじめないと一時的なものにしかならないということですよね。
 たとえば、サッカーはいろんな国の選手がいても共同制作とは言わないし、共同チームとも言わない。国際共同制作をやることで日本の演劇が国際化するわけではない。

──誰もが共有できるような原理を探求すべきだ、そこについてしっかり思考すべきだということですか。
 そう、そこを目指さないとダメだ。今度『シラノ・ド・ベルジュラック』をロシア語と日本語でやるが、これまで私の舞台は、日本語と英語、日本語とドイツ語、中国語でもやっている。どうしてこういうことが可能になるかというと、演劇への考え方、訓練の考え方、スズキの考え方を共有しているから。このルールを共有するまでが大変だが、そこができれば同じ土俵でやれる。これが日本の演劇として面白いかどうかは別の問題。私の国籍は日本だが、日本の演劇をやっているつもりはなく、スズキのエンゲキをやっている。能、歌舞伎、宝塚、スズキと言っている(笑)。
 スズキのエンゲキのルールが国際化したのであって、単独の作品がうけた、うけないという話ではない。作品単位で捉えれば、中にはいいものもあるし、うまくいかないものもある。しかし、こういうルールでつくられている、こういう考え方の作品だというのが共有されているから、ロシアでも中国でも、照明、動き、発声とかですぐにスズキのエンゲキだとわかる。モスクワ芸術座でロシア人俳優でやったときに、「ロシア人がやってもやっぱりスズキだ」と言われたけど、それは誰がやってもサッカーをやっているとわかるのと同じで、スゴイことなんだ。

──スタニスラフスキーがそうだったように、スズキと名前が付いているけど、それはつまり「身体がその演劇を届けるべき相手に向かってきちんとコントロールされていて、セリフが届けるべき相手に向かってきちんと語られている」ということに他ならない。それがちゃんとした演技であり、鈴木忠志がそのためのメソッドをきちんとつくったことが特筆すべきことだと、私は思っています。
 そういう見方はある。だから利賀村には16カ国からプロの俳優が訓練に来ているし、とても役立つと言っている。みんな日本の演劇をやっているつもりはなくて、演劇の基本訓練として役立つからいろんな国で広まっている。知らないヤツもスズキ・トレーニング・メソッドを教えてる(笑)。

──どう届けるかのメソッドとともに、鈴木さんは世界の見方をギリシア悲劇、チェーホフなど西洋の戯曲の構成劇として提示されてきました。もうひとつ、日本の小説や歌謡曲などを題材に、日本人という大雑把なカテゴリーより、むしろ「私的」な領域を徹底的に探っていくという方向の演劇もつくられています。最近は演出ノートや日々の作業についてブログで積極的に発信されていますし、詳細な解説付きの上演台本も出版されています。
 我々の頃は、面白いとなったら別のジャンルからいろんな人が見に来ていた。たとえば、大岡昇平、ドナルド・キーン、加藤周一、吉本隆明、磯崎新、大江健三郎もそうだけど、そうなると必然的に彼らのことを勉強するし、喫茶店で話もする。『トロイアの女』を岩波ホールで初演したときには市川猿之助が来て、メネラオスを演じた観世寿夫に「ああいう演技はどうすればできるのか?」と質問したらしい。『劇的なるものをめぐってII』を見た坂東玉三郎からは、鶴屋南北を演じるのに白石加代子のセリフまわしを参考にしたいと言われて、録音を送ったこともある。
 そういう異なった芸術関係の人たちが出会う座みたいなところで勉強した教養の中から、演劇へのいろいろな見方が生まれてくる。今の日本の若い演劇人は、そういう場を通過していない。新国立劇場に演劇研修所ができたが、海外から俳優指導者や演出家を招く程度では仕方がない。まず日本の文学、哲学、美学、音楽、社会学、経済学、舞台芸術、古典芸能などの理解が必要なんだ。

──そういう意味でも、今、鈴木さんが自分の創作について発信されていることは重要だと思いますし、利賀村のシアター・オリンピックスという場も重要性を増していると思います。利賀フェスティバル時代から、フェスティバル期間中には、鈴木さんの関与しないところにみんな勝手に集まっては、夢を語るだけでなく、よからぬ話をたくさんしていました(笑)。
 そういうのがいいんだ。多様性をもった人たちが集まって、会話ができる場を演劇は提供できる。同じものを見ていればそれを元にした議論ができる。そうすると自分の感受性を訂正させられることがあるんだ。我々には知識人が集まったサロンのようなものがあったから、同じものを見て議論すると、私の視野はまだ狭いなとか、勉強が足りないなとか、自己客観化しながら成長できた。そういう場が足りないかもしれない。

──日本の若い演劇人には自己承認のために演劇をやっているという傾向が見られます。観客もそれを求めているから、自分を否定しかねない強い身体、強い演劇、強い言葉に出会うと暴力的に感じてしまう。
 そういうところはある。吉祥寺シアターで若い演劇人のための演劇教室をやったが、みんな頭はいいけど元気がない。我々の頃は野蛮だから、大勢集まって掘建小屋を立てて、やりたいことをやった。そういう変なことを面白がる人がいたけど、今は変なことをやる人も、面白がる人も少ない。

──「SCOTサマー・シーズン2018」に伺い、最終日に鈴木さんが一般の観客から質問を受けるトークをはじめて拝見し、驚きました。私だったらキレてしまうかもしれない、ある意味失礼な若い人たちの質問に対し、丁重に対話を重ねていかれますよね? そういうやりとりを通じて、彼ら/彼女らの既存の枠組みが揺さぶられている感じがしました。2013年のSCOTサマー・シーズンから観劇料金制度を廃止し、金額を観客の自由にまかせる「ご随意に」という仕組みに変えてから、SCOTを見たことがない人、演劇を見たことがない人、利賀村に来たことがない人、特に若い人やアジアのお客さんがとても増えているように感じます。野外劇場で花火を使う人気演目の『世界の果てからこんにちは』は若い人の間で“セカコン”と呼ばれています。
 ここに来るまでに交通費がたくさんかかるんだし、我々の活動に触れたい、興味があるという人たちが自由に接することができるように公開することにした。「ご随意に」にしたからあれだけ自由に来られる。いろいろ難しい問題はあるが、やっている。防衛大を辞めてSCOTに入りたいというヤツもでてきたり、だんだん面白くなってきた。
 利賀村のこれからのことを質問されるが、施設も拡大しているし、アジアの学生を集めた学校をやろうと思っている。シンガポール国立大学、北京の国立中央戯劇学院が毎年、利賀村に学生を送って来ている。演劇学校といってもゼロから教えるのではなく、基礎がある学生を集めてやりたい。スズキ・トレーニング・メソッドの訓練をして、演劇をつくり、批評し合う。それから経済学者なんかもアジアから呼んで、世の中を見る視点も一緒に考えたい。
 演劇祭もそうだが、国境を越えた芸術家の同志をつくることが大事なんだ。「私はこういうことを考えていて、こういう風に戦っている」というメッセージをもってないと、同志もつくれない。学校ではそこをきちんとやりたいと思っている。

──これだけ分断している時代に、芸術家が連帯することがどれほど力になるのでしょう。
 それはわからない。だけど、面白いことは起こる。シアター・オリンピックスでサルディニアから招いた『マクベス』を上演するんだけど、そうしたら州政府がサルディニア料理のシェフも一緒に派遣するから利賀村でみなさんに食べてもらえと。もし東京が会場だったら、こんな人間的なことは起きない。利賀村というのはそういうイメージを掻立てる、面白い関係が生まれるところなんだ。

──私が解説するのも変ですが、利賀村というのは何が起きるかわからないアナーキーの空間なんだと思います。たとえ電気が消えても、夜が真っ暗でも、利賀村なら許される。利賀フェスティバルの頃は、私が若かったこともあるかもしれませんが、利賀村という閉ざされた空間が祝祭空間に変わるところが面白かった。でも今、利賀村は世界に連なるアナーキーな場所になり、いろいろな学びがあって、演劇人も若い観客もそれぞれがいろんなことを持ち帰る。まさに「ご随意に」の空間なんだと思いました。そこからはじまる連帯が楽しみです。今日は、本当に長時間ありがとうございました。
シアター・オリンピックスの意義

 情報伝達システムが全世界的に整備されるようになったために、世界各国の人々は自国以外の文化をも身近に感じ、知ることができるようになりました。あらゆる物事を、その現場で経験し、人間が共存して生きていく時の知恵を養ってきた時代と比較すると、その現場に立ち会うこともなく、物事を知り理解できるというこの変化は、まったく新しい環境が人間を取り囲んでいるのだといってよいと思います。この世界的に共通する環境を成り立たせるために、人類は非動物性エネルギー<石油、電気、原子力>の力を利用してきました。この傾向は今後ますます拡大し、人類の未来の共存のために必要で不可欠なこととなりつつあります。
 しかしながら、この便利で素早く人間を結びつける非動物性エネルギーの力に頼りすぎることは、たいへん危険な一面をもっています。それは人間の個人個人の身体のなかにある動物性エネルギーの豊かな可能性を忘れさせたり、衰弱させてしまうからです。人類の文化はこの動物性エネルギーの洗練した使い方によって花を開き、果実を実らせてきました。たとえば舞台芸術、演劇やダンスやオペラなどは映画やテレビと違って、まったくこの動物性エネルギーの使い方の素晴しさによって人類の財産になっているのです。これはスポーツも同じです。舞台芸術やスポーツはそれが行われるその場に立ち会い、人間をよりよく理解し愛する基礎を作り上げるものです。ですから、非動物性エネルギーを駆使した情報伝達のシステムがどんなに拡大し、生活を維持していくために不可欠なものになろうとも、舞台芸術やスポーツのもっている価値を忘れたり、ないがしろにすることは、人間が人間の存在理由を否定することになりかねません。むろん、動物性エネルギーを鍛錬し、洗練して使い、それを皆で楽しむ楽しみ方は民族や地域によって違います。しかし、それぞれの民族や地域はその楽しみ方の違いによって、その文化的な個性と存在理由を主張しているといってもいいのです。非動物性エネルギーの使用量が増大し、生活の仕方が画一的になりつつある今こそ、舞台芸術のような文化的な事業を通して、民族や地域の共通性と違いを同時に知ることは、人類の未来への共存のために大きな貢献をすることになります。
 舞台芸術が力強く存在することは、21世紀を生きる人間にはげましを与えることになると、われわれシアター・オリンピックス国際委員は確信しています。

芸術監督 鈴木忠志
 
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