The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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アンジェラ・コンケ
アンジェラ・コンケ
Angela Conquet

ダンスハウス
Dancehouse

https://www.dancehouse.com.au
Dancehouse
*1 矢野英征(1943-1988)
東京生まれ、1973年よりパリを拠点として「Ma Danse Rituel Théâtre」を設立(後にGroupe Maと改称)。ダンスと演劇、音楽を融合させ、内的感覚や感情を提示する作品は、フランスのヌーヴェル・ダンスに大きな影響を与えた。1986年、ブザンソン・フランシュ・コンテ国立振付センターのディレクターに就任。作品に『ジェオ・コレグラフィ』(1979)、『鷹の井戸』(1983)、『サロメ』(1986)など。
*2 芸術の新領域(Nouveau territoire de l’art)
廃工場等の広い敷地を利用し、ジャンルを問わずアーティストに制作と生活の場を提供し、施設を地域住民に開放し、既存の文化政策の枠組に存在しなかったアートの実践の場を作り出す試み。そうした施設のひとつ、マルセイユの「フリッシュ・ラ・ベル・ドゥ・メ Friche la Belle de Mai」を1990年から率いていたファブリス・レクストレ Fabrice Lextraitが、各地に見られるようになったこれらの新しいタイプのアートセンターを2002年にこの名で総称し、国の支援を得て全国に展開することとなった。
*3 ダンス・マッシヴ Dance Massive
メルボルンで隔年3月に約2週間にわたって開催されているコンテンポラリーダンスのフェスティバル。ダンスハウス、アーツ・ハウス、モルトハウス・シアターの3館とメルボルンを州都とするビクトリア州のダンス協会Ausdance Victoriaが連携して立ち上げ。ベテランから若手まで多様なオーストラリアのコンテンポラリーダンスをプログラム。
https://dancemassive.com.au/
*4 Aerowaves(アエロウェーブ)
1996年に、ロンドンの劇場ザ・プレイスの当時のディレクター、ジョン・アシュフォードが設立した欧州の若手振付家の発掘・支援を目的とするコンテンポラリーダンス専門のネットワーク組織。2019年現在で欧州33カ国の劇場・フェスティバル・専門家が提携団体となっている。
https://aerowaves.org
Presenter Interview
2019.7.30
The new realms being explored by Dancehouse Australia’s only dance-specific arts center 
オーストラリア唯一の専門施設ダンスハウスの試み 
2018年には、ルーシー・ゲリン、バンガラ・ダンス・シアターが初来日を果たし、注目を集めるオーストラリアの現代ダンス。なかでもシドニーに次ぐ第2の都市、メルボルンは、1992年に誕生したオーストラリア唯一のダンス専門施設であるダンスハウス Dancehouseを有する“コンテンポラリーダンスの首都”だ。年間を通した作品の上演、振付家の創作支援に加えて、2年に1度のフェスティバル「ダンス・マッシヴ」や振付コンペティション「キアー・コレオグラフィック・アワード」の開催、雑誌「ダンスハウス・ダイアリー」の発行など総合的なダンス環境の整備を行っている。このダンスハウスで2011年からディレクターを務めるのが、アンジェラ・コンケ氏だ。パリのアートセンターでダンス担当として活動した後、メルボルンに移り、ダンスハウスの活動をさらにダイナミックに展開している。あまり知られていないオーストラリアのコンテンポラリーダンス事情についてインタビューした。
聞き手:岡見さえ

パリのアートセンターからメルボルンヘ

──まず、現職に就くまでのことを教えていただけますか。前職はパリのアートセンターだそうですが、フランス出身ですか。

 私はルーマニア人で、ハンガリー国境近くの町の出身です。そのため幼い頃から二つの文化の間を生き、さまざまな場所に根があるような感覚がありました。通訳・翻訳者を目指して高校で英語とフランス語を学び、ヨーロッパの奨学金で会議通訳になるためにフランスで勉強し、会議通訳になりました。

──そこからどのようにしてダンスの仕事に就いたのですか。
 文化分野で働きたいと思うようになり、国際文化マネージメントの修士号を取得しました。そしてパリのシドニー・ロション Sidonie Rochonという振付家のダンス・カンパニーで働き始めました。ロションは矢野英征(*1)と仕事をし、多大な影響を受けた振付家です。その頃から私は日本に興味を持つようになりました。
 その後、パリの「マン・ドゥーヴル Mains d’Œuvres(https://www.mainsdoeuvres.org)」というインディペンデントのアートセンターで7年間、ダンスのプロジェクトを担当しました。この施設は“芸術の新領域”(*2)と呼ばれる新たな試みのパイオニアで、アーティストがレジデンスを行い、アートと日常、地域の人々を結びつける場です。私の仕事は、あまり発表の場を持たない、新しい才能を発掘することでした。そこから2011年にメルボルンに移りました。

──どのような経緯で、何年の任期で就任されたのですか。
 公募で採用されました。契約は4年間。更新可能で、今は2回目の任期の2年目です。任期4年は、健全なシステムだと思います。一定の期間で、運営のヴィジョンを見直す必要がありますし、プロジェクトの結果が見えてくるには最低4年は必要でしょうから。実際に、今、3、4年をかけて行ったことの結果が見え始めています。

──なぜメルボルンに移ろうと考えたのですか。オーストラリアのダンスに興味があったのですか。
 国際的な仕事が好きで、フランスでもアーティストの移動を支援するヨーロッパのネットワークで仕事をしていましたし、単純に別の場所での仕事を経験してみたかった。それにヨーロッパにいるとヨーロッパ的思考に固まってしまう気がして、周縁に身を置いて世界を見つめたいと思いました。だからそこから離れた地で、異なるコンテキストで働くチャレンジを自分に課しました。アボリジニ文化にも関心があり、オーストラリアには世界や身体をめぐる西欧とは対極の思考がある確信もありました。
 パリにいた頃からルーシー・ゲリン Lucy Guerin、ラッセル・デュマ Russel Dumasといったオーストラリアの有名な振付家は知っていましたし、マン・ドゥーヴルで若いダンサーを受け入れたこともありました。表面的ですが多少の知識はあり、個人的にとても興味を惹かれていました。当時のフランスではコンセプチュアルなダンスに焦点が当たっていて、ダンスにムーヴメントがなかった。でもオーストラリアでは、ダンスは非常にフィジカルでムーヴメントに満ちていて、レファレンスも私には未知のものでした。好奇心からメルボルンに来て、驚くべき広がりに出会ったのです。

──具体的にどんなことを学びましたか。
 たくさんのことを学びました。どれほど私たちが、厳しい言葉を使えば、西欧的思考に”植民地化”されているかに気がついた。それまでの自分のダンスのレファレンスはすべてジル・ドゥルーズなど男性、白人のものだったことに気付き、文化の多様性を全く違う観点から扱えるようになりました。私たちは皆、平等な立場にいて、多様性とは他者との差異において語るものではないのです。オーストラリア人の哲学者であるエリザべス・グロス Elizabeth Groszの身体フェミニズムなど、女性のフェミニズム思想も学びました。クィア・カルチャーも学びました。そしてアボリジニの思想からは、ヒエラルキーに依らずに世界を考察する方法を学びました。私たちは大きな円環、生態系の中にいて、そのなかで個人の重要性は後退する…。アジアの思想に近いかもしれません。こうしたすべてがダンスの中に、ダンスによって翻訳されているのを目撃した経験は、私を大きく変えました。


ダンスハウスとダンス・マッシヴ

──ダンスハウスについて、歴史とミッションを教えてください。

 ダンスハウスは、メルボルンで唯一のダンスに特化した組織で、1年を通してダンンス公演を行っています。建物は、1887年に建てられたヴィクトリア様式の美しい歴史的建造物で、地域の文化遺産にもなっています。27年前に、アーティストたちが建物を所有するメルボルン市から使用許可を受けて、アーティストの仕事とシェアの場にしました。それ以来、ダンスハウスはキュレーターシップの場というより、むしろアーティストによるアーティストのための場として、ダンサーのトレーニング、作品制作、作品発表を支援し、パブリック・プログラムや出版を通してダンスについて考え、発展させる活動を行なってきました。加えて、観客の啓発も私たちの仕事です。つまりダンサーの援助、芸術としてのダンスの言論、そして観客の啓発という3つの仕事が軸になっています。

──運営資金はどこから得ていますか。
 オーストラリア・カウンシルとヴィクトリア州から4年毎の助成金を得て活動しています。施設使用料は創設当時から免除されています。オーストラリアは賃料が高額なので本当に助かりますし、市の文化政策の先見性を感じます。3つのスタジオは一般にも貸し出していて、18時から23時までアマチュア向けのダンス、ヨガ、ボディワークなどさまざまなクラスが開校され、交流が生まれています。公演はほとんど満席で、チケット価格は学生が15A$、最も高いチケットでも25A$。メルボルンではコーヒーが5A$、ワイン1杯が高くて15A$ですから、興味があれば見に来やすい価格帯です。

──メルボルンのコンテンポラリーダンスの観客は、どのような層ですか。
「シドニーには資金、メルボルンには文化がある」としばしば言われるように、メルボルンはオーストラリアの文化都市です。ギャラリーや大学も多く、国内唯一のダンス課程を有するヴィクトリア・カレッジ・オブ・ジ・アーツもあります。ダンスの観客はそうした大学の教員や学生、ダンスの実践に関係している人たち、ダンスに興味のある人たちですが、フェスティバル「ダンス・マッシヴ」にはもっと幅広い層の人が来ます。

──隔年3月に開催されているダンス・マッシヴ(*3)は、オーストラリアのコンテンポラリーダンスのフェスティバルです。
 ダンス・マッシヴは2009年にスタートしました。ダンスハウス、現代ダンスと演劇を上演する「アーツ・ハウス Arts House(https://www.artshouse.com.au)」、主に演劇ですが多領域に開かれた活動をしている「モルトハウス Malthouse Theatre(https://malthousetheatre.com.au)」というメルボルンの3つの施設が共同で実施しています。非常に成功し、2019年で10周年を迎えます。6回目となる今回はとても充実していて、3月12日から24日までの12日間で28作品を上演します。プログラムは、3施設がそれぞれ準備し、ダンスハウスは旧アボッツフォード修道院、テニスコート、体育館等の常識にとらわれないスペースでの上演も試みています。
 非常に異なる3施設の性格から大きな力が生まれ、ダンス・マッシヴを見れば現代オーストラリアのダンスのかなり明確なヴィジョンを得られます。ダンスハウスは実験的アーティスト、モルトハウスは広い舞台があるのでチャンキー・ムーヴ Chunky Moveやルーシー・ゲリン Lucy Guerinなどの大規模な作品、アーツ・ハウスは、キャリア中盤のアーティストやアボリジニのアーティストの特集をしています。ダンスハウスでは、ニューヨーク・タイムスの舞踊批評家ロスリン・サルカス Rothlyn Sulcus のワークショップやディスカッションといったパブリック・プログラムも行います。
 資金面など苦労も多いですが、観客も集まり、アーティストのキャリアの上でも重要なので意義はあります。他の州や、国外のダンスのプロフェッショナルも集まり、オーストラリアの振付家を外国に紹介する機会にもなっています。

──コンケさんがダンスハウスのディレクターに就任してから取り組んでいる新たな企画はありますか。
 雑誌「ダンスハウス・ダイアリー」Dancehouse Diary(http://www.dancehousediary.com.au)の発行と、振付コンペティションです。ダンスハウス・ダイアリーは2012年に創刊したフリーマガジンで、ダンスと他の形態のアートや社会課題を接続することを目指し、これまでに10号発行しました。編集は、私とオーストラリアで身体哲学を研究しているフィリパ・ロスフィールド Philippa Rothfieldが担当し、毎号、ゲスト編集者を迎えています。
 この雑誌の企画は、パリからオーストラリアに来た私のフラストレーションから生まれました。フランスと異なり、オーストラリアのアーティストは、身体を社会の反映と考えていないのではないかと感じたのです。身体は極めて文化・社会的な存在であり、世界と合わさったものです。たとえば街の人の歩き方を見ても、オーストラリアと日本、フランスでは同じではありません。だからよく観察し、現象の背後に隠されたものを発見し、運動する身体を倫理学や政治学へ接続するのは重要なことです。雑誌は具体的なコンテキストから考察を進め、ダンス以外の分野の人にも興味を抱かせることができる。メルボルンは大学に国内唯一のダンスの専門課程があり、博士号の取得者も多く、高いレベルの研究が行われています。でも大学外の実践に結び付けるプラットフォームは、とても少ない。ダンスハウス・ダイアリーは学術誌ではありませんが、こうした研究の支援でもあります。フランスにもこうした雑誌は存在しないし、世界的にもユニークなプロジェクトです。

──コンペティションについても教えてください。
 オーストラリアではダンスの支援は9割がバレエに向かうのですが、現代ダンスに非常に理解のあるthe Keir Foundationから支援を受けることができ、「キアー・コレオグラフィック・アワード」Keir Choreographic Award(http://dancehouse.com.au/performance/performancedetails.php?id=264)という振付賞を創設しました。審査員は国際的な振付家やプログラム・ディレクターで、ビデオ審査を通過したファイナリスト8名が、20分の新作を創作して賞を競います。2014年から2年に1度、ダンス・マッシヴと交互に3回開催し、次回は2020年3月です。コンペティション形式がメディアや一般の観客の関心を惹きつけ、チケットはいつも売り切れる人気です。オーストラリアでダンスのツアーは稀ですが、シドニーでも上演できるように、元鉄道車両工場を活用した大規模な複合文化施設のキャリッジワークス Carriageworks(https://carriageworks.com.au)とパートナーシップを組みました。

──審査はどのように行われるのですか。
 参加資格は、オーストラリアのアーティストであること。外国人でも居住していれば応募可能です。応募するときに5分のビデオを提出してもらいますが、踊っているものではなくアイデアをプレゼンするものです。その審査を通ったファイナリストがダンスハウスのサポートを受け、実際に作品を制作します。出演するダンサーは5人までで、スタジオを100時間使用でき、テクニカルなサポートも得られます。こうして完成した20分の作品を本選で競います。2018年の審査員は6人で、振付家が外国からメグ・スチュワート、イスマエル・ヒューストン・ジョーンズ、エステル・サラモン、国内からルーシー・ゲリン、そしてベルギーと香港のプログラム・ディレクターでした。1人はオーストラリアの振付家を入れています。また、デボラ・ヘイ、メグ・スチュワートといった大家も必ず入れたいと思っています。厳格な実践、キャリアを長く続ける方法など、学ぶことが多くありますから。期間中には審査員によるパブリック・プログラムも開催できるようになり、アワードは全体で約10日間のフェスティバル的なイベントに発展しました。

──予選がダンスの実演ではなくアイデアのプレゼンテーションというのが面白いですね。日本では、特に若手で客観的な視点が弱く、個人の主観的な感覚を発展させた結果、観客にとって理解の難しい作品が生まれることがあります。このアワードの選考方式だと、こうしたリスクを避けることができます。
 オーストラリアでも同じ傾向です。若いアーティストが自作について語れるようになるのを目指した結果、この方式になりました。作品のインスピレーションをどこからどのように得たのかを、協働する人だけではなく、観客にも言葉で伝えられることは重要です。アーティストは自らの思考の方法論を持ち、それを使いこなせなければいけないのですが、オーストラリアに来たときにそうした批評的なアプローチが欠けていると感じました。アーティストが他に対して自分を位置付ける方法、レフェランスを構造化する方法に批評性が欠如し、フィードバックも感覚的で、自分の行為に対する批判的考察も非常に少なかった。それでダンス批評に力を入れる必要を感じ、ダンスハウスでアーティストや批評家、ドラマツルグを招いて、説明ではなく批評的にダンスを見るためのワークショップも開催しました。

──批評がアーティストと観客に果たす、創造的な役割に注目されているのですね。
 私自身、たくさんの批評を読んでダンスの見方をつくり上げました。批評が理解を磨いてくれたのです。初めてグザヴィエ・ル・ロワを見たとき、何も理解できなかった。でも彼の仕事をめぐる論争をたくさん読み、数年後に理解することができました。この経験を、オーストリアでも共有したいと思いました。
 以前、グザヴィエ・ル・ロワの『Self Unfinished』をダンスハウスで紹介したことがあるのですが、上演にあたって基盤づくりが重要だと思いました。そこでフランスのコンセプチュアル・ダンスについてディスカッションやワークショプ、映像上映を含むパブリック・プログラムを行い、観客を別の視点に導き、地域のコンテキストと接続することを試みました。公演に訪れるアーティストと現地のコンテキストとの対話をつくり出すのは、私たちプログラム・ディレクターの仕事です。この一連のプログラムは非常に成功しました。ディスカッションに建築家や都市計画者などメルボルンの人々を招いたことで考え方も広がりました。
 こうした基盤づくりがなければ、オーストラリアのアーティストたちはあまり理解しないまま表面的にル・ロワのスタイルを取り入れたでしょう。社会では常に即時性が求められ、それがダンスにも悪影響を及ぼしています。目を凝らし、感じる必要があるのに、目に見えないものは軽視されがちで、作品に向き合うことすら難しい。コンセプチュアルで抽象的な仕事は流行には乗りづらいですが、表面的なレベルに留まるのではなく、作品を理解してもらうことに責任をもたなければいけません。

──日本でも、地理的条件から欧米のダンスの実践が個人レベルの伝達に留まり、ダンスが広い視野で歴史的連続性において捉えられづらいことがあります。
 オーストラリアでも同じです。有名な振付家、ルーシー・ゲリン Lucy Guerin、フィリップ・アダムス Phillip Adamsらは、80年代に学んだNYで非常に影響を受けましたし、ラッセル・デュマ Russell Dumasはトリシャ・ブラウンと協働したので80〜90年代にはポストモダンダンスの影響が顕著でした。オーストラリアのダンス教育では、一つのテクニックを教え、複数のスタイルを教えないようです。豊富な奨学金で若手は留学しますが、一人の振付家の元で学び、その流れで自分の仕事を発展させています。フォーサイス系、ゲリン系やアダムス系、コンタクト・インプロヴィゼーション系、クィア・カルチャーの影響を受けた振付家‥‥。有名振付家の公演後に、似たスタイルの作品が多く生まれることもあります。近年では大型の装置やたくさんのオブジェを使うのがトレンドで、衣装に過剰な関心を示すナルシスティックな作品も見られます。そのために、身体性が後退してしまっているのですが、いつも身体にとどまっていて欲しいと思います。
 ですから、既存のものを取り入れることに満足せず、どうやって自分の興味を見つけるか、どうやって方法論を探すかをダンサーに教えるのも、ダンスハウスのプログラムの役目です。


コンテンポラリーダンス・シーン

──注目している振付家はいますか。また、ダンスハウスで特に支援しているアーティストがいれば教えてください。

今回のダンス・マッシヴでは、オーストラリアの3つの代表的傾向を取り上げます。ラッセル・デュマ Russell Dumas、ヘレン・スカイ Helen Skyとミリアム・グルフィンク Myriam Gourfinkとのマルチメディア・コラボレーション、そしてジル・オール Jill Orr。オールはボディ・アート・パフォーマンスよりで、気候アクティビストのパイオニアの一人です。オーストラリアが保護せず、海上で亡くなったボートピープルについての非常に政治的な作品を発表します。
 ロザリンド・クリスプ Rosalind Crisp、サンドラ・パーカー Sandra Parkerは中堅で知名度もかなりありますが、最新のヒップスターやクィア・アーティストを探しているプレゼンターやプログラム・ディレクターの関心からは外れがちです。オーストラリアでは40歳を過ぎると公的助成への応募もできませんが、この年代は非常に素晴らしい仕事を続けていることが多い。ダンスハウスは、まずこうしたアーティストを支援しています。
 また、スペクタクルでなくとも、コンセプトでもダンスでも身体と思想を芯に据えた振付家による実践の厳密さがある作品に惹かれます。こうした探求をする若手も、ダンス・マッシヴで紹介しています。作品の発表を始めたばかりのシオバン・マッケンナ Siobhan McKennaは、叫びや身体に内在する音の探求を行っています。私たちが慣れ親しんだ探究とは異なりますが、魅力的です。他にも、ナナ・ビィロス・アバフィ Nana Bilus Abaffyというパフォーマンス作家は、ギリシャ悲劇を学び、ルネサンス期の絵画を装置や身体で再現し、美のカノンと身体のリアルを考察する非常に面白い作品をつくっています。何年もギリシャ悲劇を学んだことが、彼女の探求に深みを加えています。
 簡単ではありませんが、長期間の支援も意識しています。アトランタ・イック Atlanta Ekeについてはキャリアの初期から支援し、今は有名になりました。今回のダンス・マッシヴでは、テニスコートで作品を発表します。テニスボールがずっと彼女を追いかけて来て、ぶつかる。フェミニズムの影響があり、非常に大胆で、毎回予想を越えた作品をつくるアーティストです。

──オーストラリア先住民(アボリジニ)の文化は、ダンス界にどのような影響を与えていますか。
 オーストラリアのアート界は非常に白人的で、先住民もアジア系、インド系のマイノリティも特に優遇されていません。徐々に可視化されてはいますが、メルボルンで先住民芸術を特集する「ファーストネイション・フェスティバル」がはじめて開催されたのは、昨年です。でも先住民の文化は音楽とダンスに根差し、伝統的なものも、コンテンポラリーなものも非常に興味深い。エキゾチシズムを避け、文化的プロトコルに従ってこうしたアーティストたちの立場を理解し、彼らが何者なのか、どんな仕事をしているか、メッセージは何なのか、謙虚に理解しなければいけません。彼らのメッセージは、私たち白人にはいつも耳に心地よくはありませんが、受け入れ、彼らの場所をつくらなければならない。
 ダンス・マッシヴでも、先住民のアーティストを紹介しています。振付としては完全でないかもしれませんが、多様で、非常に面白い作品があります。たとえばS.J.ノーマン S.J.Normanというアーティストは、観客の目の前で植民地時代に先住民が白人のためにつくらされていた料理を準備しますが、その中には彼女の血が入っていると言う。観客はそれを食べるのか、食べないのか問われます。白人が先住民を毒殺した歴史の暗示も含まれている、非常に強い政治的メッセージを持つ作品です。先住民のスカリフィケーション(身体装飾)に関する作品もあります。美的な作品ではないし、会場で泣き崩れる観客もいた。でも植民地の歴史を理解し、共に先へ進むためには、こうしたアーティストの上演も重要です。

──近年の日本のアート界では、地域の伝統をリサーチして新作を制作する流れがあり、コンテンポラリーダンスの振付家も伝統舞踊を学んだり、民俗芸能とコラボレーションを行うことがあります。オーストラリアで類似の傾向はありますか。
 コンテンポラリーダンスやその他のジャンルのアーティストが先住民のコミュニティを訪れ、創造的コラボレーションを行うことはあります。でもそれは、彼らの伝統を学び、受け継ぐこととは違います。白人が先住民のダンスを学ぶことは、不可能ですから。先住民の芸術はすべて口伝で、言語もダンスも部族ごとに異なり、コミュニティの中だけで伝達されます。さらに彼らのコミュニティは非常に細分化されていて、言語も文化も若者たちが学ばないので消滅するものが多い。だから緊急の課題は、彼らの間での伝達を正しい態度で支援することだと考えています。


課題

──ダンスハウスで7年間仕事をして、オーストラリア特有の難しさはありますか。

 ダンスのツアーができないことです。そもそもオーストラリアは国土が広大で、たとえばメルボルンからはパースに行くより、日本に行く方が交通費も安価です。ツアーができないことは、ダンサーの仕事や制作に大きな影響を与えています。
 国内にホールはあってもダンスを専門にしているところはダンスハウスだけです。シドニーにクリティカル・パス Critical Path(http://criticalpath.org.au)という振付発展センターがありますが、リサーチとレジデンスの施設で作品上演は行いません。パースにあるストラット・ダンス STRUT Dance(https://www.strutdance.org.au)も、地域の劇場と共同制作を行うこともありますが、リサーチとレジデンスの施設です。どちらもダンスの重要拠点ですが、上演設備はありません。
 シドニーはダンス以上にクィア・アートや演劇系のパフォーマンスが有名ですが、中心街にあるキャリッジワークスでは大規模なダンス作品や国際的な振付家の上演を行うことがあります。キャリッジワークスの中には実験的なパフォーマンス・スペース Performance Space(http://performancespace.com.au/plan-your-trip-2/)があり、オーストラリアとアジア太平洋地域の作品を紹介するフェスティバル「ライヴ・ワークス」の中でダンスを取り上げることはあります。シドニー、メルボルン、ブリスベン、パース、アデレードなどのフェスティバルで有名な振付家のカンパニーが招かれることもありますが、独占契約を結ぶためツアーをすることはありません。いずれにしてもインディペンデントなアーティストが取り上げられるのは難しい。ダンス専門の施設がない場所では、観客がダンス公演に足を運び、さらに作品を理解し評価できるようにする啓発の仕事が不可欠ですが、それは簡単ではありませんから、娯楽的な作品が選ばれてしまうのです。

──そうした環境を改善するための、地域や国の行政の後押しはあるのでしょうか。
 ダンスを紹介する取り組みはまだ不十分ですから、もっと力を入れる必要があります。フランスでは政治の主導で文化の地方分散とネットワーク化が実現しましたが、オーストラリアには国レベルの文化政策はなく、方針も政権によって完全に異なります。数年前には、新しく就任した文化大臣が、突然インディペンデントなアーティストへの助成金の半分を文化省から別の基金に移し、バレエ支援に充てるという出来事がありました。影響は甚大で、そのときはとても大変でした。優れたアーティストもいるし、人々のダンスへの関心もある。でもオーストラリアでの最善の方法がまだ見つかっていないのです。コンテンポラリーダンスへの国の投資は、今以上に必要だと考えています。地域間の循環、あらゆる啓発のための基金も必要でしょう。さらに、こうしたパブリック・プログラムを支える人材も育成しなければいけません。ダンス専門のプログラムディレクターも多くありません。

──国際共同制作はどのような状況ですか。
 ヨーロッパは、この方法で成功しているのですからもっと推進するべきだと考えています。共同制作を行い、その作品をツアーさせることは、時間をかければ可能でしょう。すでに大規模な国際フェスティバルでは例がありますが、対象は大きなカンパニーで、私の働くインディペンデントなフィールドでは極めて稀です。
 国際的なコラボレーションのパートナーも、常に探しています。オーストラリアからはアジアをツアーさせる方が明らかに簡単ですが、まずはヨーロッパへの扉を開くために、ヨーロッパを中心としたダンスのネットワーク「Aerowave」(*4)との連携を試みました。もっとオーストラリアのアーティストを、国際的ネットワークに載せる努力が必要です。現在、国外でも成功しているアーティストは、個人的にヨーロッパの国と連携しているのです。

──今回お話を伺い、随所に日本に似た状況を感じました。今回はセゾン文化財団の招きで1カ月間のリサーチプログラムのために来日されていますが、興味を引くアーティストはいましたか。
 来日は2014年から3回目ですが長期滞在は初めてで、日本のコンテキストとダンスがどのように社会を反映しているかを理解することに役立ちました。以前から、現代の振付家が伝統をどのように取り入れているかに関心がありました。時間・空間概念が直線的なヨーロッパでは、伝統と現代の対話はありませんから。笠井叡には感銘を受けました。彼のダンスは舞踏だけれどコンテンポラリー。日々、舞踏を再創造していると感じました。『花粉革命』で、伝統がパンク的コンテキストに再生されているのも非常に面白かった。京都の余越保子も興味深いです。勅使川原三郎の大ファンですし、佐東利穂子のソロも勅使川原の影響を超えて彼女が見えました。若手では三東瑠璃に興味があります。若いのにとてもソリッドな探求をしています。チェルフィッチュもすごく気に入りました。振付作品ではないけれど、振り付けられた動き続ける身体が巧みにテキストを翻訳し、私たちが機械的な日常を生き、どれほど動物化しているのかを見せています。テキストも上手くて、オーストラリアで上演しても同じ反応が得られるでしょう。政治的な問題を含んでいるのもいいと思いました。
 社会に良い意味でコントラストがあり、伝統とテクノロジーの摩擦の間に非常に面白いものが生まれている。そしてこの端境に身体が場所を得るとき、伝統的な形態が介入していると感じました。日本のアーティストは、世界に対して語る言葉をたくさん持っていると思います。

──長時間どうもありがとうございました。
 
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