The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
レーン・チャプリンスキー
Profile
レーン・チャプリンスキー
Lane Czaplinski

2017年6月、コロンバス州オハイオにあるオハイオ州立大学付属ウェクスナー・センターの舞台芸術ディレクターに就任。1999年から2002年までBAMプログラム・マネージャー、2002年から2017年までシアトルのオン・ザ・ボード芸術監督。オン・ザ・ボードに在籍した15年の間に、新作委嘱やプロデュースを通して80作もの分野横断的な作品を発表するとともに、地元のアーティストの育成にも尽力。特に、2010年に開設したオンデマンドの舞台芸術専門チャンネル「オン・ザ・ボードTV」は画期的で、地元シアトルのスター・レジェ紙が「天才賞」を授与。ニューヨーク・タイムズ紙はチャプリンスキーに率いられたオン・ザ・ボードを「アメリカでもっとも素晴らしい現代舞台芸術劇場のひとつ」と称した。
オハイオ州立大学附属ウェクスナー芸術センター
Wexner Center for the Arts: WCA

https://www.wexarts.org/
BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)
Brooklyn Academy of Music: BAM

1861年創立。全米で最も歴史のある舞台芸術センターのひとつであり、演劇、舞踊、音楽、オペラ、映画の各ジャンルの最先端の作品を上演。古くはエンリコ・カルーソからアルトゥーロ・トスカニーニやイサドラ・ダンカンに始まり、ピナ・バウシュ、マース・カニンガム、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラス、ロバート・ウィルソンらがまだ「若手」だったころに取り上げ、彼らを大きくして世に送り出したことから、アーティストの重要なキャリアステップの場として君臨している。現在、2,100席のオペラ劇場から300席の小劇場まで3つの劇場を有し、新作を中心としたインターナショナルなプログラムを上演。1981年から毎年秋に開催している「BAMネクストウェーブフェスティバル」では、新進のアーティストから中堅〜大物までの新作を中心に上演する。
https://www.bam.org/
http://levyarchive.bam.org/
Performing Arts Japan(PAJ)
PAJは、国際交流基金の助成金事業の名称で、北米(米国・カナダ)または欧州に本拠を置く舞台芸術団体(フェスティバル、劇場、プレゼンター等)を対象に、[1]日本の優れた舞台芸術作品のツアーを支援するもの、[2]日本人と北米人(あるいは日本人とヨーロッパ人)との新作作りのためのコラボレーションを支援するものの2種類がある。
オン・ザ・ボード
On the Boards(OtB)

現代の舞台芸術作品の委嘱、海外からの招聘も積極的に行うなど先鋭的な作品を紹介することで知られる。1978年にダンス、演劇、音楽、パフォーマンス、文学などジャンルを横断したアーティストによる現代パフォーミングアーツの団体としてスタート。98年にシアトル市民に長く親しまれた旧クイーン・アン・ホールの建物に移転し、「オン・ザ・ボード/ベンケ現代演劇センター」と改称。300席のメリル・ライト・メインステージとフレキシブルに使える約80席のスタジオ・シアターの2つの劇場を有し、年間約40のプログラムを上演している。これまで、ローリー・アンダーソン、ビル・T・ジョーンズ、ウースター・グループ、ローザス、ロメオ・カステルッチ、ヤン・ファーブル、ジョン・ジャスパース等の国際的なアーティストや、日本からは山海塾、ダムタイプ、チェルフィッチュ、庭劇団ペニノなどが公演を行っている。また、米北西部で活動するアーティストの育成に力を入れ、彼らを対象に「NWニュー・ワーク・フェスティバル」、「パフォーマンス・ラボ」といった制作途中の作品を公に問うための機会を提供している。
https://www.ontheboards.org/
ウェクスナー芸術センターの舞台芸術プログラム
同センターのミッションは、「美術展・上映会・舞台公演等を通じて、新人・重鎮にかかわらずアーティストの画期的なアイディアを実験し、そこで多様な観客が文化的体験をすることから芸術への理解を高めること」とある。これに沿って舞台芸術プログラムでは、国際的なアーティストやカンパニーによる演劇、コンテンポラリーダンス、音楽のほかジャンル横断的かつ革新的なラインナップで年間約20の舞台芸術作品を主催・上演している。また上演と同時に作品に関連したワークショップやディスカッション、マスターコースなど学生・教職員とのインタラクティブな機会を積極的に設けている。また、芸術界にイノベーションを起こし、突出した作品を世に送り出したアーティストを顕彰するウェクスナー賞(The Wexner Prize)を創設。
オン・ザ・ボードTV
On The Boards TV

2010年開設。オン・ザ・ボードで上演された現代舞台芸術作品を映像化し、全編をオンデマンドで配信する舞台芸術専門のチャンネル。料金設定は1作品 5ドルからで、時間・場所を問わず世界中からアクセスできる。TVの視聴料収入の50パーセントはアーティストたちに還元される。舞台作品によっては歴史的な記録・アーカイブとしても意義がある。劇場が複数の専門の制作会社と契約し、撮影ごとにアーティストと協働。1公演あたり4〜5台のカメラを駆使して質の高いHD映像を製作。利用者には欧米の高等教育機関も多く、米国内ではプリンストン大学、イェール大学、オハイオ州立大学などと提携して学生・教職員が自由にアクセスできるようになっている。各地の劇場で行われる上映会や、舞台芸術フェスティバルのプログラムとしても活用されている。
デモンストレーション映像
https://vimeo.com/84074547
番組リスト
https://www.ontheboards.tv/performances
Presenter Interview
2020.3.3
The Wexner Center for the Arts New Direction in Search of Diverse Forms of Expression 
多様なジャンルの表現を追求するウェクスナー芸術センターの新展開 
現代美術、映像、舞台芸術などの他、ジャンル横断的な分野で革新的な表現を追求するパイオニアのオハイオ州立大学附属ウェクスナー芸術センター。2019年に新館長として現代美術のキュレーター、ジョアナ・バートンが就任。それに先立つ2017年に舞台芸術部門のディレクターに就任したのが、アメリカを代表する現代舞台芸術の拠点、オン・ザ・ボードを芸術監督として15年にわたって率いてきたレーン・チャプリンスキー(Lane Czaplinski)だ。彼の哲学と同センターの取り組みについてインタビューした。
聞き手:塩谷陽子[ジャパン・ソサエティー芸術監督]

──最初に経歴を教えてください。
 私はカンザスで育ち、カンザス大学で英文学を専攻しました。実は、大学ではバスケットボールをやっていて、学生のときにバスケットについての本を書いたんです。それをコーチが読んでくれた。そのコーチが、今ではバスケットボールの殿堂に名を連ねているロイ・ウィリアムズでした。彼に「将来何がしたいんだ?」と尋ねられたので、アートの世界で働きたいと答えました。「本を書いた→文学→アート」という連想だったのだと思いますが、コーチは私にジャッキー・ディビスを紹介してくれました。彼女は現在、ニューヨークのリンカーン・センターにある舞台芸術図書館のエグゼクティブ・ディレクターになっていますが、当時はカンザス大学付属の舞台芸術施設、リード・センター(Lied Center of Kansas)のエクゼクティブ・ディレクター兼アーティスティック・プロデューサーでした。おかしなことですが、あの頃の私には自分がリード・センターで見ていたすべての舞台公演のプログラムに「舞台芸術業界」という下支えがあるということに全く考えが及ばず、何か魔法のようにキャンパスに出現するぐらいに思っていたのです。でもジャッキーと話して、最初の5分間でどういうことなのかをすぐに理解しました。その後リード・センターで働くことになり、劇場の受付を振り出しに、助成金の申請書づくりを手伝うようになり、じきに申請書を書くまでになりました。なにせ文学専攻ですから書くのは得意でした(笑)。助成金の申請書を書く作業では、公演事業の企画書と同じ用語を使います。それはつまり、この経験が、私のプログラムをつくる仕事の骨組みになりました。
 1999年には、ハーベイ・リキテンシュタインを継いでBAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)のエグゼクティブ・プロデューサーになったジョー・メリロに誘われて、BAMのプログラム・マネージャーになりました。カンザス州フローレンス市から引っ越し、ブルックリンにアパートを借りて、BAMで働きはじめました。BAMは自分にとっていわば大学院のようなもので、ニューヨークという濾過機を通して国際的な舞台芸術の様相を見ることができましたし、また文化施設団体の運営やプログラムづくりの実地訓練になりました。

──日本のアーティストとの出会いは?
 リード・センターで見た山海塾が、日本の舞台作品を見た最初だと思います。アメリカの舞台芸術の世界で働く多くの人たちがそうですが、自分にとっても舞踏が日本への入り口でした。その頃、年配のプレゼンター仲間や先輩格の友人たちの多くが国際交流基金の助成金事業「PAJ (Performing Arts Japan)」の審査員をしていたので、二次情報ではありますが、彼らを通して日本のことをいろいろ知ったと記憶しています。そうして、例えばダムタイプのことも知り、2002年にオン・ザ・ボードに移籍した時に彼らを招聘しました。

──1999年から2002年までプログラム・マネージャーをされたBAMは、1861年に設立された全米で最も歴史のある舞台芸術センターのひとつです。現在、2,100席のオペラ劇場から300席の小劇場まで3つの劇場があり、演劇、舞踊、オペラ、音楽、さらに映画まで最先端の作品をプログラムしています。プログラム・マネージャーのときにプログラムしたものはありますか?
 その頃の私にはプログラムの決定権など全くありませんでした。よく冗談で言っていたのは、ジョーが私に観に行くように指示したアーティストはBAMのプログラムにはならないって(笑)。アーティスト連中も私が観に来るのならBAMに行けないのだなと悟っていて、私は不幸の運び屋みたいでした(笑)。私はまだ30歳そこそこで、BAMのような施設で働いた経験は皆無でしたし、ジョーはエクゼクティブ・プロデューサーになったばかりだったので、当然といえば当然ですが‥‥。音楽とか映画とか、テクノロジーに寄ったプロジェクトとか、それぞれの専門分野を扱う同僚のキュレーターたちと協働するようなことはしていましたが、もっぱら事務管理的な仕事でした。アーティストのマネージャーやプロダクション・チームと詳細をつめるとかね。でもBAMでの経歴がなければ、次のオン・ザ・ボードの芸術監督にはなれなかったでしょうから、必要なキャリアだったと思っています。
 2001.9.11に同時多発テロが起き、その後、多くの芸術文化団体が資金調達に窮し、スタッフを減らす事態になりました。BAMも同様で、私のポジションも危うくなっていたときに、前任のマーク・マーフィーが辞めたオン・ザ・ボードで芸術監督の求人がありました。多くの人たちが応募することを勧めてくれて、2002年から15年間、オン・ザ・ボードに勤めることになりました。

──オン・ザ・ボードの芸術監督に応募した決め手は何ですか。オン・ザ・ボードのあるシアトルはニューヨークから遠く離れた、カナダのバンクーバーに隣接する当時は人口60万に満たない都市で、スターバックスの創業地でもありアマゾンも近隣でスタートした、米国の中でもユニークな文化をもっています。
 一番の決め手は、芸術監督として自分で自分の組織のためのプログラムができるということです。また、地元のアーティストたちが地元のコミュニティーのために設立した団体だという点にも惹かれました。しかし一方では、地元のアーティストとともに歩みながら、同時に他の土地のアーティストをも招聘し紹介するという体制を敷くのは、難しいことでもありました。マークが辞めて私が着任するまで、1年半かそれ以上の空白があったのですが、その間のオン・ザ・ボードはあまり良い状況ではありませんでした。基礎のしっかりした古い家なのに、ちゃんとしたメンテナンスがされていないような状況でした。手を入れなければならないことはたくさんありましたが、しっかりした基盤と使命があり、しかもシアトルは進取の気性のある土地柄。コンテンポラリーの分野では、自分がやりたいことをなんでも実現できそうな予感がありました。実際、その通りでした。オン・ザ・ボードでプログラムの限界を感じたことは、一度もありませんでした。

──米国では国外のコンテンポラリー・アーティストを招聘・主催するプレゼンターは非常に限られています。チャプリンスキーさんが芸術監督として率いていた頃のオン・ザ・ボードはその代表で、ニューヨーク・タイムズ紙が「アメリカでもっとも素晴らしい現代舞台芸術劇場のひとつ」と称したほどです。そして、2017年に舞台芸術部門のディレクターとして移籍されたオハイオ州立大学附属ウェクスナー芸術センターも、現代芸術をインキュベートする数少ないプレゼンターとして知られています。
 なぜみんなもっと勇気をもってプログラムをつくらないのか、不思議です。自分にとって現代ものをやる劇場で働くということは、未知のアーティストや主流にのっとったものではない表現形態、あるいはチャレンジングな発想などに巡り合うことです。劇場は、会話をしなくても、同じ空間・同じ場所・同じ時間を共有することで人と人が結びつくことのできる素晴らしい場所です。多くの人々が、チャレンジングな(難解な)ものに対する探究心や好奇心を持っていると信じています。なので、BAMで働くにしろオン・ザ・ボードにしろ今いるウェクスナー芸術センターにしろ、できる限り自分から遠くにあるものを見て、グローバルな展望を持たなければいけないと感じています。今日のような政治的な様相、米国だけでなく世界の政治的な様相が断絶に向かっているときだからこそ特にです。私たちは他の文化や他の国との交流をつくリだすことができるのですから。

──「チャレンジングな(難解な・挑戦的な)」とはどのようなことを意味していますか。
 いわば「ヘンテコ」なものということでしょうか。私の役割は、観客に対しておそらくは彼らの知識にはないものを提供することであり、それはおよそ主流ではなく、いわば「ヘンテコ」な舞台芸術を上演することにあると思っています。私にとっては「ヘンテコ」「難解」でなくても、観客にとってはおそらくは難解であろうと思われるもの――例えば「難解な文学」と言えば、それは娯楽的ではなくて、簡単に読めたりはしないものを指すでしょう。難解な舞台芸術も同様で、退屈だったり、長たらしかったりするかもしれないけど、それも創作の意図のうちで、観客に何らかの反応を喚起するためのものです。もちろん、いわゆる「主流」の舞台作品だって、観客の反応を喚起すべく仕組まれてはいますが、その工夫はたいていは普通に進展する物語の筋書きやテクニックの中に仕込まれている程度です。しかし、コンテンポラリーの場合はそれがもっと過激なやり方になっていて、そういう「ヘンテコ」なものを提供したいと思っているのです。

──ウェクスナー芸術センターでは、大学附属機関としてジャンルを横断した革新的なラインナップが組まれています。先進的なアーティストに対するアーティスト・イン・レジデンスによる新作委嘱も行われています。こうしたプログラミングを行う際の基準を教えてください。
 2種類の基準があります。ひとつは、芸術性に係ることです。その創造はどこで生まれてどんな形態なのか──ダンスか、音楽か、複合のパフォーマンスか。近隣で生まれたのか、どの地方なのか、どの国なのか。さらに形式面や、表現の違いを見て、全体のバランスや振れ幅を考慮して年間のプログラムを構成します。まぁ一晩のパーティーを企画するようなものですね。もうひとつの基準はこの一つ目の基準と直接関係してはいるのですが、いま述べたような判断が、翻って自分の職場たる組織に何を与えることになるのかという点です。つまり、もしも地元のアーティストを扱うのであれば、地元のアート関係のコミュニティーの活動を手助けすることになり、ウェクスナー芸術センターはプロデューサーとしての機能をもつことになる。一方、2021年にタニノクロウと彼の庭劇団ペニノを日本から招聘しますが、そうすると我々は国際的なプレゼンターとして機能するわけです。もしも、私がオン・ザ・ボードのときには始めた「オン・ザ・ボードTV」のように、公演を映像にしてオンラインで流すようになれば、世界に文化の発信をしていることになる。もしも米国に住む有色人種の作品を扱うことにしたとして、学者たちと相談しながらその構想を固めたとすると、我々は「人種の平等」という論議に参加することになるし、オハイオ州立大学としてもその議論に参加することができるわけです。つまり、そのアートは何なのかということと同時に、そのアートは自分たちに何を可能にしてくれるのか、ということを考えています。この二つは関連した事柄ですが、同時に私がどのように、なぜ、その決定を下すのかということについての二つの異なる視点になります。

──ウェクスナー芸術センターは大学に附属した組織で、前の職場のオン・ザ・ボードのような独立した劇場とは立ち位置が異なります。何か違うことはありますか。
 展覧会のキュレーターがいて、映画と映像のキュレーターもいるので、そうした他の分野の企画をする同僚と一緒に仕事をする点が違います。こうした同僚たちとひとつのテーマの下でシーズンを考えるのは面白いです。新CEOのジョアナ・バートンはニューヨークのニュー・ミュージアムから移籍してきましたが、彼女が就任して以来、多種のジャンル全体に共通するテーマを考えようという試みが増えています。また、大学の教授陣と協働できることも実に楽しい。
 今日の舞台芸術業界は、ひとりのプロデューサーがひとりで全体のプログラムを決定するようなやり方に懐疑的になっていると思います。それはプログラムが誰を代弁するのかという問題と直結するからです。例えば、プログラムを決定するプロデューサーによっては、この国に脈々と続いてきた「システム」にのっとって、ある種の人間ははじかれてしまうかもしれません。参加できずはじかれてきた人たちを代弁するのが、自分の役割だと考えています。以前のシステムを和らげ、異種類のキュレトリアルな視点を盛り込むことは、とても重要です。いつの時代にも重要なことでしたが、特に今日においてはさらに重視されています。大学という環境はごく自然に異種類の視点を盛り込むことができる環境にあります。教授陣が何らかの興味をもってプログラムに関わり、彼らと協働したなら、自分だけでは発想できなかったアイディアを得ることができます。実は、ウェクスナー芸術センターでは、自分の意思決定を助けるためにより多くの人々――アーティストや同僚、自分とは違った見方を持った人々――を巻き込んでいて、プログラムを活気あるものにするのに役立っています。例えば、ニューヨークのアーティストのジャミール・オラワレ・クソコ(Jaamil Olawale Kosoko ナイジェリア系アメリカ人の振付家、パフォーマンスアーティスト、詩人、キュレーター)。彼には作品上演だけでなく、レジデンシーをしてもらって、ふたつのプロジェクトのキュレーションも担当してもらいます。

──他の分野のキュレーターとの仕事は楽しい反面、ジャンルの違いによる問題もあるのではないですか。例えば、数年前から企画する展覧のテーマが優先されがちだとか‥‥。
 同じ組織にいてもやはり自分の専門分野のものが可愛いですから、異ジャンルの専門家同士の張り合いは、常にあります。でも、今やたくさんの美術作家や美術館はパフォーマンスを取り入れていますし、過去10年くらいの間に会話は変化してきていると思います。
 私は常々、現代美術の業界はオン・ザ・ボードのような舞台芸術だけをやる場所のことを眼中に入れてないと感じていて、もっとジャンルを横断した環境の中にいたら、良い現代美術だと一般に思われている概念に風穴を開けることができるのにと残念に思っていました。美術業界にはヘンな二重基準があって、舞台の上で作品を見せるアーティストのことを歯牙にも掛けないのに、たまたまそのアーティストが美術の文脈で取り上げられると、いきなりそのアーティストは美術界の寵児になるわけです。ウェクスナー芸術センターのようなところで働くということは、そういう風潮に対する対抗手段を持つことになるわけですし、それを楽しんでいます。

──日本の舞台芸術のことについてお伺いします。いま、世界の流れの中で、日本の舞台芸術とどう向き合っていらっしゃいますか。
 先に述べたように、私は特徴ある文化に属して生まれた革新的な表現に、常に興味を抱いています。日本を訪れた最初の頃、パパタラフマラの小さなスタジオで彼らのバージョンの『三人姉妹』を観ました。Oh my god! 、それはセリフとダンス・シアターという形式を用いたずば抜けて革新的な作品でした。即座にオン・ザ・ボードでの上演を決めました。はじめて岡田利規のチェルフィッチュの作品を観た時のことも覚えています。『三月の5日間』でした。その後ジャパン・ソサエティーのオーガナイズしたツアーで、この作品もオン・ザ・ボードに招聘しました。庭劇団ペニノについては、私の前任者のチャック・ヘルムと当時サンフランシスコのイエバ・ブエナ・アートセンターにいたアンジェラ・マトックスが彼らの作品を東京で観ていて、私はビデオでしか観ていませんでしたが、即座にプログラムに加えました。
 いくらいろいろなものを観ても、舞台芸術業界の意向に的確に沿った作品が山ほど見つかるなどということはありません。貴重な現代的意識を持ったアーティストがそれを作品につくり出せるとは限らないし、ましてやそれをツアーに出せるようなものにできるとは限らない。それをここウェクスナーという施設で上演できるかとどうかとなれば、さらに別の問題です。おあつらえ向きの作品はいくらでも世の中にあるじゃないかという人もいますが、そんなことはない。翻って日本を見た場合、傑出したカンパニーやアーティストが確かにいると思います。先ほど言及した彼らはその良い例で、並外れたアーティストたちだと思います。

──日本の現代舞台芸術の文化的な特徴は何だと思いますか。
 私が「これだ」と思った日本のアーティストには、舞踏の笠井叡から革命アイドル暴走ちゃんまでいろいろいますが…。概して、日本のアーティストの表現は極めて大胆不敵だと思います。音も強烈で、動きもマックスに振り切って、舞台セットも飛躍している。限界を突破することをまったく恐れていません。二階堂瞳子がわざと散らかった状態をつくり出すのも、極めて緻密にセットをつくるタニノクロウも、彼らのプロダクションの価値は大いなるコントロールにあると思います。いずれにせよ、そこにあるのは大胆不敵さであり、仰天させ、不意をつき、ショックを与えることを厭わない──他の文化では見ないことですね。

──かつてダムタイプが海外で評判になった時に、彼らの作品の緻密さや細部へのこだわりが西洋人の目に新鮮だったのではないかと分析する日本人が多くいました。そのことについてどう思われますか。
 西洋人が日本人の精巧なクラフトに憧れる──これはもう疑いのないことです。日本人がクラフツマンであるという概念は今もありますが、それだけを見るのは過去の見方、単純すぎます。 “旨味(Umami)”というべき深淵な特徴や、クラフトにしてももっと粗野で予測不能なものがあるのだということを感じます。荒っぽさというものも確実に日本の芸術性の一部ですから。

──最後に、ウェクスナー芸術センターについて伺います。小さなブラックボックスとオペラハウスしかありませんが、現代舞台芸術でどのように活用していますか。また、今後、特に計画していることはありますか。
 正直に言って、現代の舞台芸術をやるには相応しくない施設です。ブラックボックスは着席スタイルで120席しかありませんし、2,500席あるオペラハウスは、たいてい舞台の上に観客席を拵えた“舞台上劇場”にして上演しています。そのキャパはやはり100人。これでどうすれば観客がつくれるか、奮闘しているところです。今、考えているのは、どうやって街の中の様々な場所を利用するかということ。環境を変えてやれば、同じ劇場に通うよりも毎回違った経験ができますし。
 もうひとつは文化へのアクセスをつくるために、どうやってオンライン・ストリーミングをするかということ。ウェクスナー芸術センターやオン・ザ・ボードのようなコンテンポラリーの芸術を提供する場所に何のアクセスも無い地域の方が、むしろ普通なんですよ。そういう現状において、我々は文化へのアクセスを提供する道義的責任をどう果たしたらいいのだろう?と考えてしまうわけです。
 ほとんどの人たちは文化にアクセスできないんです。彼らのコミュニティーにはチェルフィッチュを上演するような施設がないので、米国ツアーをしたってたった数百人くらいの人々しか観ることができない。ひょっとして2〜3000人になることがあるかもしれないけれど、1回のツアーなんてしょせんそんな数字でしょう。だから私の関心は、どうすればいかにより大きな影響をつくり出すことができるかにあるんです。ひとつの方法は、クラシック音楽がもう長年やってきたこと、あるいは美術館が図録づくりということでやってきたような、つまり文化を配分配達する新手法を見つけ出せれば、人々はそれをみて何が起こっているかを知ることができる。そう思って、2010年、オン・ザ・ボード時代に、オン・ザ・ボードTV(On The Boards TV)を始めたのです。このことに今もって興味がつきません。

──お時間をありがとうございました。オン・ザ・ボードTVのように、ウェクスナー芸術センターのプログラムへのアクセス方法が増えるのを楽しみにしています。
 
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