The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ビルキス・ヒジャス
ビルキス・ヒジャス
Bilqis Hijjas
マイダンス・アライアンス
MyDance Alliance

https://mydancealliance.org/
マイダンス・アライアンス
リンブン・ダハン
Rimbun Dahan

https://rimbundahan.org/
リンブン・ダハン
Presenter Interview
2020.3.30
The Quest of Bilqis Hijjas, Promoting Contemporary Dance in Malaysia 
マレーシアのコンテンポラリーダンスを牽引 ビルキス・ヒジャスの試み 
会員組織マイダンス・アライアンス(MyDance Alliance)の代表を務め、私設芸術センターリンブン・ダハン(Rimbun Dahan)でのレジデンス事業、屋外でのダンス作品を委嘱するDancing in place、女性振付家を取り上げるプロジェクトなどを実践し、マレーシアのコンテンポラリーダンスを牽引してきたビルキス・ヒジャス。ダンスとの出会いからプロジェクトまでロング・インタビュー。
聞き手:谷地田未緒

──はじめに、ダンスとの出会いについて教えていただけますか。
 私は6歳の時にバレエを始めて、一度は辞めましたが11歳でまたレッスンを受けるようになりました。13歳の頃にクアラルンプールのインターナショナルスクールに転校したのですが、その学校では課外活動でダンスのプログラムがあって、体育の教師が指導していました。先生はダンスのトレーニングを受けていないので、生徒にとても自由にさせてくれました。20分のダンス公演をやったのですが、先生は少人数のグループを選ぶだけで、テーマを考えるのも、音楽を選ぶのも、振付も全て自分たちでやらせてくれました。13歳から18歳ぐらいの生徒たちにとって大きな機会であり、それだけの責任と、そして自由がありました。それが私にとって初めての振付の経験で、一つのプロダクションのためにチームで仕事をしたのも初めてでした。とても素晴らしい経験で、人生で続けていきたいと思いました。
 卒業後、ハーバード大学に進学しましたが、当時は舞踊学を専攻できる大学が少なく、大学では主に人類学やジェンダー研究を専攻しながら、学内のダンスカンパニーでダンスをしていました。大学にはコンテンポラリーダンスのカンパニーがあって、年に2回公演があり、メンバーなら誰でも作品をつくって上演できました。自分で提案して、スタジオを見つけて稽古をして、学生が使える大学の劇場で公演する。すべて自分たちでやりました。私の親友はそのカンパニーでプロデューサーをしていましたが、私はずっと振付をやっていました。今振り返ると、もっと早くプロデューサーとしてのキャリアをスタートすることもできたのにと思います。
 ハーバードを卒業してマレーシアに帰国した後、母の生まれ故郷でもあるオーストラリアのメルボルン大学のビクトリアン・カレッジ・オブ・ジ・アーツの大学院でコレオグラフィーを専攻しました。ダンスを専門的に学ぶのは初めてでした。そこで理論と同時に振付の実践についても学びました。様々な振付家に会って彼らの創作のやり方を聞き、異なる視点に触れることができたのはとても良い経験でした。

──学内のダンスカンパニーと専門のアートスクールとは全く異なる世界だと思いますが、難しさは感じませんでしたか。
 入学する時はあまり感じませんでした。既にハーバードで10を超える振付作品をつくっていて自分の「ポートフォリオ」と言えるものがありましたから。ですが、メルボルンのダンスはとても独特でした。それは微細な身体の感覚を重視するもので、スペクタクル性は全くありませんでした。
 私の作品に出演するダンサーの多くが学部生で、彼らがよくヒップホップを踊っていたので、私もヒップホップの作品をつくろうとしました。大学のレイブイベントにもよく行ったので、レイブに集まるという行動の儀礼的側面を人類学的に分析した作品をつくろうとしました。私はナラティブなものや、レイブのようなエモーショナルなものに興味があって、メルボルンのダンスの文脈は私の関心とは異なるものだったので、その点でとても難しい経験でした。
 大学院を修了した後はオーストラリアのNPOに就職し、アジアでの女性の地位向上を支援するプロジェクトに携わりました。私の人生は、このようにヒューマニティとダンスを行ったり来たりしていました。ちなみにNPOではファンドレイジングを担当したので、その経験は今とても役に立っています。NPOでは、例えばパプアニューギニアの農村など、現地のコミュニティでの活動に直接関わるには修士号が必要だったので、国際開発学の修士課程の勉強もしました。勉強してわかったのは、結局全ての中心にあるのは資金提供者の要望に応えることで、実際にコミュニティに何が必要かを彼らと一緒に考えることではないということでした。国際的な資金提供団体とはそういうもので、まず資金の目的があり、そのためにプロジェクトが成立するという側面があります。そして私はそういう仕事はしたくないと思いました。
 そこで修士課程を終了した後、地域コミュニティの支援団体でウェブコンテンツを開発する仕事などをしました。その頃、休暇でマレーシアに一時帰国した際、マレーシアの振付家ロウ・シーホウの舞台を見る機会がありました。彼はその後、広東モダンダンスカンパニーと仕事をするようになり、現在もそこで照明デザイナーを務めていますが、彼の作品に本当に心を動かされました。とても演劇的で、目を見張るようなもので、でも高い技術を強調するのではなく、視覚的でシアトリカルなアイディアによるものでした。
 メルボルンに戻ってから、偶然、書店でオーストラリア人でありマレーシア人のアーティスト、シムリン・ギルの作品集を見つけました。それはアジア金融危機の頃に建設途中で放棄されたマレーシアのビル群を撮影した写真集で、不思議なことにその本を何気なく見ているうちに、「これこそがマレーシアだ」と思ったのです。打ち捨てられたそのビルたちを見て、私は急にホームシックに襲われ、マレーシアに帰ろうと思いました。そしてマレーシアでダンスに関わるようになりました。

──現在、あなたが取り組んでいる仕事について教えていただけますか。
 私がやっている仕事は大きく分けて4つあります。最も時間を割いているのは「マイダンス・アライアンス(MyDance Alliance)」で、クランバレー(注:マレーシアの首都クアラルンプールと隣接するセランゴール州の都市で構成される地域)のコンテンポラリーダンスのコミュニティをサポートする組織です。情報共有のためのニュースレターの発行、「ダンスボックス」という年数回の作品を紹介するプラットフォームの提供、数年に1度のフェスティバルの開催が主な事業です。また、振付に関するメンタープロジェクトやワークショップ、印刷物の発行などコンテンポラリーダンスに関わることは全て行っています。
 2つ目が「リンブン・ダハン(Rimbun Dahan)」というレジデンスの運営です。これは私の家族が所有している場所を利用したもので、1ヶ月から3ヶ月アーティストがレジデンスして、最終的に上演を希望すればプロデュースもします。まだプログラム自体はあまり整備されていませんが、他に、毎年やっている「サウスイースト・アジア・コレオラボ(South East Asian Choreolab)」と「ダンシング・イン・プレイス(Dancing in Place)」があり、マイダンスとパートナーシップを組んで行っています。
 また、マラヤ大学で講師もしています。今はダンス批評のクラスを受け持っていますが、舞台芸術の理論と歴史、舞踊史や舞踊文化論を教えていたこともあります。後、4つ目の仕事として、「クリティックス・リパブリック(Critics Republic)」というマレーシアの舞台芸術に関する評論のウェブサイトをやっています。自分でも評論を書きますが、他の人に寄稿してもらうこともあります。

──まず、マイダンスについて紹介してください。
 マイダンスは2001年に設立された非営利の有志による会員組織です。振付家のジョゼフ・ゴンザレス(Joseph Gonzales)やマラヤ大学のノル教授(Mohd Anis Md Nor)などが共同で設立に関わり、私は5代目の理事長です。会員は少額の年会費(一般50リンギッド、学生20リンギッド、団体100リンギッド)を払い、選挙で理事を選びます。そして理事会が各種のプロジェクトを指揮します。外部から資金を受けていないので、プロジェクトごとに資金調達をすることもありますが、ほとんどボランティアで、私も含めてスタッフは原則無給です。会員はおよそ50名で、誰でも会員になれますが、ほとんどがダンサーや振付家、ダンスに関わっている人です。マラヤ大学、マレーシア国立芸術文化遺産大学(ASWARA)、スルタン・イドリス教育大学(UPSI)といった大学の舞踊学科なども少数ですがメンバーになっています。会員は年に2〜3回あるダンスボックスを無料で観ることができます。ダンスボックスで作品を上演することもできます。資金が多少あるときは、500から1500リンギット程度の少額助成金を出すこともあります。
 マイダンスはワールド・ダンス・アライアンス(WDA)のアジア大西洋地域のマレーシア支部になっていて、国際的なネットワークに所属しています。残念ながら日本にはWDAの支部がありませんが、オーストラリアにはAusDance、香港にはHong Kong Dance Allianceがあり、台湾、フィリピンにもそれぞれ支部があります。運営のあり方はそれぞれですが、年に1回会議とシンポジウムを開催し、3年に1回は米国や欧州が開催するグローバルサミットに参加しています。

──ダンスボックスについてもう少し詳しく教えてください。
 ダンスボックスは現在、クアラルンプール・パフォーミングアーツセンター(KLPAC)のレジデントカンパニーであるアクターズ・スタジオとパートナシップを組んで開催しています。KLPACに劇場および、テクニカルスタッフ、照明デザイナー、音響オペレーター、バックステージのスタッフを1日無償で提供してもらっています。振付家やダンサーにとっては、大きな金銭的負担をすることなく、プロフェッショナルな劇場でプロのテクニカルチームと一緒に仕事ができる貴重な機会になっています。ダンスボックスでは7分から15分程度の作品をだいたい8作品上演します。どんなジャンルのダンスでも参加可能ですが、プロフェッショナルか、またはその少し前の段階にあるものを対象にしています。選び方はフレキシブルで、大抵は「次のダンスボックスはいつ?私も上演したいんだけど」と問い合わせてくる感じです。参加するのは、ほとんどコンテンポラリーダンスの人たちで、何度も参加している人もいます。今は若い人が多く、作品をつくりたいという学生や大学を卒業したばかりのアーティストもいます。
 マレーシアの公演ではダブルビルやトリプルビルなど複数作品での上演が多く、ほとんど1度しか上演されないので、作品によっては私から声をかけてダンスボックスで再演してもらうこともあります。マレーシアには巡回公演を可能にするような劇場のネットワークがなく、再演されることがほとんどないので、異なる観客に見てもらういい機会になります。また、海外のダンサーがマレーシアで短い作品を上演する場にもなっています。例えばドイツのリキ・フォン・ファルケン(Riki von Falken)、アメリカのシンシア・リン・リー(Cyinthia Ling Lee)などすでに評価されているアーティストが出演することもあります。

──マレーシアのダンスシーンにおけるマイダンス・アライアンスの役割とはどのようなものですか。他に同様のネットワーク組織はありますか。
 マイダンスはマレーシアで唯一のコンテンポラリーダンスのためのネットワーク組織です。また、異なる言語グループに属する人々の間をつなぐことに取り組んでいる唯一の組織だと思います。マレーシアは多民族国家で、ダンスコミュニティも言語と文化によって分断されています。中華系マレーシア人たちのコンテンポラリーダンスのコミュニティはとてもアクティブですが閉鎖的なところもあり、充分に観客がいるため他の人々を取り込む必要がありません。また、インド系マレーシア人の伝統舞踊は地域社会とつながった大きなコミュニティを形成しています。たまにコンテンポラリーな作品をつくることがありますが、多くの場合自分たちの公演をお互いに観にいくことが多く、コミュニティの外の人たちが彼らの公演を観にくることもそれほどありません。マレー系のコンテンポラリーダンスは多少ですが存在しています。マイダンスは、これら全ての異なるコミュニティに属するダンサーたちを同じ場に集めることのできる唯一のプラットフォームで、彼らはお互いの作品を観て、時には一緒に作品をつくることができます。
 今、私は、理事会の若いメンバーがダンスボックスのメインプロデューサーになれるよう、後継者づくりに取り組んでいます。彼らの多くは、前述した異なるコミュニティの出身なので、多くの公演に足を運び、自分たちのコミュニティの外を見てプログラムを考えるように言っています。

──振付家やダンサーなどのアーティストでプロデューサーの仕事をしている人は多いですが、専門のプロデューサーは少ないのですか。
 ええ、マレーシアではダンスのプロデュースだけやる人は非常に少ないです。舞台芸術全般を専門とするプロデューサーは何人かいますが、彼らはダンスの世界の実情にそれほど詳しくないのでダンスのプログラムを組むのは難しいと思います。マイダンスの理事会のメンバーは10人ほどですが、全員ダンサーか振付家、指導者です。例えば副理事長のJS・ウォンはダンサー・振付家で指導者でもあります。彼は私の後を引き継いで理事長に就任することになっています。レン・ポー・ジー(Leng Poh Gee)は振付家でしたし、Rithaudin Abdul Kadirは振付家でソロのパフォーマーです。Chai Vivan、Beh Chinは振付家、Dalila Samadは主にASKダンスカンパニーのダンサーです。ジョイス・チャン(Joyce Chan)はバレエの指導者です。
 
──あなたはプロデューサーであるだけでなく、批評を掲載するクリティックス・リパブリックというウェブサイトを運営し、ダンスについての見方をつくる役割も果たしてきました。
 批評においては、私は絶対的な客観性や優れたものを判断する唯一の感覚という概念に疑問を持っています。学生には、客観的な意味での「良いもの」は存在しないということ、「良い」と評価される場合も全て特定の文脈における評価であるということを理解するように、少なくともそうした視点を持つように教えることを心がけています。例えば3歳の子どもがチュチュを着て、腕を頭上に伸ばして回転しているとします。それが両親が見守る幼稚園の発表会なら良いものになります。このように、どんなダンスも文脈によって良し悪しが変わるので、あまり良くないと感じる場合も文脈が違う可能性があります。
 マレーシアの教育システムは暗記が基本で、学生は自らの分析や解釈、価値判断を求められることがなく、権威を持つ人の言うことが絶対だと思っています。でも私は彼らに、「ダンスに正解はない」ことを理解してもらいたいのです。なので、大学で講師をする場合も、できるだけ私の好みを押し付けることなく、バイアスを与えないようにして、彼らが感じたことを表現させるようにしてきました。
 私にとって批評は正解を書くことではなく、ある文脈において自分の視点で作品を見て、自分自身にとっての作品の意味を発見し、他の人々が読んで理解できるように説明することです。作品の唯一の正しい見方ではなく、ひとつの見方や観点、作品を理解する際の道しるべのひとつとなるものを提供することで、ウェブサイトはそのツールのひとつです。
 
──クリティックス・リパブリックを立ち上げる前は、個人的にダンスに関するブログを書かれていました。そういう批評の能力はどのように身につけたのですか。
 2010年にインドネシア・ダンス・フェスティバルでゲーテ・インスティチュートが主催した1週間の集中コースを受講しました。東南アジアの様々な国から参加者が集まり、後にダンス評論家になった人もいます。毎日公演を観て、短いレビューを書き、翌朝お互いにそれを読んで意見を交わしました。オーストラリアで「リアルタイム」というマルチディシプリナリーの評論サイトを長く運営しているキース・ギャラッシュ(Keith Gallasch)が講師をしていて、私たちが書いたものや批評の観点に彼がフィードバックを与えてくれて、短期間に多くのことを学びました。
 また、たくさんの評論を読んだことで自分も書きたいと思うようになりました。特にジョアン・アコセラ(Joan Acocella)というアメリカ人の評論家の文章を集めた本をよく読みました。彼女はニューヨーカー誌のライターで、主にニューヨークのダンスやダンスシーンについて書かれていましたが、評論が人々とダンスをつなぐことに役立つという彼女の考えはとても魅力的でした。コンテンポラリーダンスは難解だ、何を意味しているのかよく分からない、だから好きではないという人を私はとても多く見てきたので、ダンスと人々の間をつなぐ代弁者が必要だと思っていました。少し前に、ニューヨーク大学の修士課程でダンス・ライティングの授業も受けましたが、ほとんど他の人の評論を読むことによって学んだと言えます。

──あなたの仕事はプラットフォームをプロデュースするとともに、振付家やダンサーがいて、観客がいて、プロデューサーがいて、そして評論家がいるというダンスの生態系を創ることだというのがよくわかりました。その中でレジデント施設のリンブン・ダハンも海外との繋がりをつくる上で大きな役割を果たしていると思います。リンブン・ダハンにいついて紹介してください。
 リンブン・ダハンは私の家族が所有する施設で、スタジオと宿泊できる部屋がいくつもあり、庭もあります。クアラルンプールの中心から少し離れた場所にあるので、地元のダンサーたちはあまり関心を示しません。マレーシアのダンサーや振付家はほとんどがダンスを教えることを職業としているので、稽古場を有料で借りる必要がないのです。教えているスクールのスタジオであればレッスン以外の時間はリハーサルや作品のクリエーションに使うことができます。ですから、リンブン・ダハンを利用するのはほとんどが海外のアーティストで、自分たちの作品を創作したり、地元のダンサーと作品をつくったりしています。とても小規模ですが、作品を上演することもあります。
 リンブン・ダハンの重要性は、クアラルンプールの市内とは全く異なる環境を提供していることにありますす。豊かな自然の中で、静かに、いつもと異なる状況で作品の創作に取り組むことができます。作品を創作することをレジデンスの条件にしていないので、何も創作しないアーティストもたくさんいます。アーティストにとっては、時に、一定の期間何もしないで過ごすこと、スタジオの床に寝転んでただ天井を見つめて過ごすことが必要ですが、リンブン・ダハンではそれができます。
 リンブン・ダハンはオーストラリアのアジア・リンクとパートナーシップを組んで、毎年1名オーストラリアからアーティストを受け入れています。美術のレジデンス施設もあるので、美術のアーティストが多いです。アジア・リンクからダンサーを受け入れるのはだいたい3年に1回ですが、リナ・リモザーニ(Lina Limosani)、ダニエル・ジェイバー(Daniel Jaber)、ケイトリン・マッケンジー(Caitlin McKenzie)、ガブリエーレ・コマーフォード(Gabrielle Comerford)など、後にビッグネームになった人もいます。アジア・リンクとのパートナーシップによるものではありませんが、将来を期待されているアーティストのアンジェラ・ゴー(Angela Goh)もレジデンスに来ました。オーストラリアとのコネクションをつくるのは私たちの重点方針の一つでもあります。
 
──リンブン・ダハンでは、「ダンシング・イン・プレイス」と「サウス・イースト・アジア・コレオラボ」というプロジェクトを行っています。
 ダンシング・イン・プレイスは、サイトスペシフィックな短い作品をつくってリンブン・ダハンの庭で上演するものです。2009年にスタートし、だいたい毎年開催しています。ダンシング・イン・プレイスのアイディアがどのようにして生まれたのか覚えていませんが、リンブン・ダハンに来たアーティストがみんな、滝や橋、池などがある庭園の素晴らしさに驚嘆し、ぜひここで踊りたいと言ったことから始まったのだと思います。振付家もダンサーも無償で、スタッフもボランティア。会期は2日間で、午後にオープンし、だいたい7分から15分の作品を1日13作品ぐらい上演します。家族で来たり、ピクニックのように食事を持って来る人もいます。プログラムを組む際は、私が振付家を選び、振付家は森とかプールとか、どこの場所を使うか決めます。このプロジェクトをはじめてからサイトスペシフィックな作品が増えていると感じています。
 ダンシング・イン・プレイスはダマンサラ・パフォーミング・アーツ・センター(DPAC)で開催したこともあります。DPACがあるショッピングセンターの遊歩道や芝生の上、螺旋階段などを使いました。また、クアラルンプールのチャイナタウンで開催されているフェスティバル、アーバンスケイプス(Urbanscapes)でも1度やったことがあります。どちらも向こうからオファーがあって開催したものです。私はずっと公共空間でやりたいと思っていたので、アーバンスケイプスの提案はとても興味深いものでした。マレーシアではパブリックスペースでパフォーマンスをする許可を行政から受けるのは非常に難しいのですが、アーバンスケイプスはアンブレラ型のフェスティバルなので彼らが交渉してくれました。激しく雨が降っていましたが、多くの観客が傘をさしながら見てくれて、雨の中で踊っているダンサーにはある種の美しさがありました。
 ダンシング・イン・プレイスはこれからも続くと思いますが、つくられる作品には少し飽きています。これはアーティストのせいではなく、同じ空間ではある程度繰り返しの要素が入ってしまうものだからです。ただ、ここが会場だと私がハンドリングできるので、今後もリンブン・ダハンで続けると思います。

──サウスイースト・アジア・コレオラボ(SEA Choreolab)はどのように始まったのですか。
 SEAコレオラボは毎年開催しているもので、東南アジア諸国から14人ほどの若手振付家がリンブン・ダハンにレジデントして実践的なワークに取り組みます。参加者はプロフェッショナルな活動を始めてから5年以内の振付家で、年齢制限はありませんが学校を卒業したばかりの人から30代半ばぐらいです。また、海外の振付家1名がファシリテーターを務めます。過去には、北村明子、イザベル・シャド(Isabelle Schad)、アルコ・レンツ、ジャニス・クラクストン(Janice Claxton)がファシリテーターを務めています。SEAコレオラボはファシリテーターの出身国の機関から助成金を受けて実施し、このモデルはうまく機能しています。2020年は再び英国から、ヤスミン・バーディモン(Jasmin Vardimon)を招く予定です。
 始めたきっかけは覚えていませんが、東南アジアの振付家はお互いにつながる必要性を強く感じていると思ったからです。東南アジアには利用できる資金もリソースもないので、日本のようにリソースを持っている国と協力することは多いですが、一緒に何かをする機会はほとんどありませんでした。こうした背景があり、振付家としてのキャリアを始めるにあたり、顔を合わせてプロフェッショナルなネットワークが形成できる機会をと考えたものです。
 ラボでは、午前に参加者が1時間ずつ自分のダンスについて発表し、午後はファシリテーターが自分のダンスの実践、考え方、創作手法などについて参加者と共有します。SEAコレオラボはとてもうまく機能していて、参加者がお互いを知り、各自が持つ異なる文脈を共有し、真摯にダンスと向き合う時間を持つことができています。海外のアーティストをファシリテーターとしているのは、助成が受けられることもありますが、プロフェッショナルな振付家とは何かという確かな基準や、ダンスを巡るインフラが整っている国においてプロフェショナルな振付家になることの様々な実例を提供してくれるからです。そうやって複数の観点を理解した上で、自分なりの美的な視座を持つことは重要です。
 参加者は公募で、毎年8〜9カ国から集まっています。マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、フィリピンからは毎年参加していて、カンボジアやラオスのアーティストも多いです。また、私の関心のひとつにジェンダーバランスがああります。女性振付家は、特にキャリアの最初の時期は、男性と同等の支援を得ることが難しい傾向にあると感じています。そのため、業界のステークホルダーや業界を代表する地位にある人たちに、特に女性の新進振付家に応募してほしいと伝えています。
 SEAコレオラボの成果と言える特定の出来事を挙げるのは難しいですが、振付家たちが国を越えて顔を合わせ、共同で小さなプロジェクトに取り組むようになりました。2020年に私が関わった大きなプロジェクトもそのひとつで、イザベル・シャドが創作した群舞作品にSEAコレオラボで彼女のセッションに参加した数人のアーティストが出演しています。また、コレオラボの経験者がグループでサイトスペシフィックな作品をつくってダンシング・イン・プレイスに出ることもあります。SEAコレオラボを第1段階とするなら、ダンシング・イン・プレイスは第2段階。第3段階はまだ実現していませんが、長期のレジデンスをしてより完成度の高い作品をつくるようになることでしょうか。
 
──女性振付家を重点的に支援するのは、あなたのこれまでの経歴、特に大学での研究やNGOでの経験とつながっているように思えます。あなたが2012年に実施したプロジェクト「Work It!」は、まさに女性芸術家を対象にしたものでした。
 Work It!は、ドイツのフェスティバル「8月のダンス」(Tanz im August)のスタッフで、その後にベルリンのHAUに移ったアンナ・ワグナー(Anna Wagner)と、神戸にあるダンスボックスの横堀ふみと共同で行ったプロジェクトです。そもそもはアンナのアイディアで、アジア欧州財団(ASEF)の助成を得て、欧州のインディペンデントなパフォーマーや振付家5名と、アジアのアーティスト7名、計12名の女性アーティストを集めた10日間のキャンプをリンブン・ダハンで行いました。アンナはこのプロジェクトの原動力で、アジアとのつながりにとても興味を持っていて、この後はスリランカのフェスティバルで人材育成のプロジェクトに携わりました。実際のところ私たちはキャンプのプロセスについてはあまり議論をせず、とにかくやってみるという感じでした。全ての点において大成功と言えるかわかりませんが、とてもチャレンジングで、面白い経験でした。
私たちの目的は女性の振付家に創作と発表の場を提供することでしたが、同時に可能な限り民主的でヒエラルキーが生じないようにしたいと考えました。まず最初の3日間で、各自が20分ほどの作品を上演するパブリックショーイングを行い、アーティストとマレーシアの観客が共有しました。それから参加者全員がスタジオに集まって1週間過ごしました。私たちは何もガイダンスを提供せず、彼女たちが自分たちでその1週間でやるべきことを決めました。
 参加した全員がインディペンデントな振付家で、作品の多くはソロ作品で、それぞれ異なる文脈で活動してきた人たちです。様々な課題がありましたし、言語の問題もあったので、何時間も話し合いが続きました。そのような形式にしたのもアンナのアイディアだったと記憶していますが、いわゆる権威主義的なプロデューサーという考えを揺さぶろうとしたのです。プロデューサーがやるべきことを指示するのではなく、自分たちで考えてつくりたいものを創作する。その中で明らかになったのは、アジアの振付家の多くは欧州と何らかの形でつながった経験があり、欧州について多少の差異はあっても共通認識を持っていますが、欧州のアーティストはアジアについて何も知らないということでした。私たちの予想以上に彼女たちにとってはチャレンジングで、大変だったと思います。
 ちなみにアジアから参加したのは韓国、マレーシア、インドネシア、シンガポール、そして日本から山田うんが参加しました。彼女にとってマレーシアで仕事をするのは初めてで、それ以来多くのプロジェクトをマレーシアで手掛けました。山田うんとマレーシアのつながりをつくったのはWork It!の成果で、とても満足しています。

──あなたはいくつかの国際的なネットワークに所属し、その繋がりを活かしてSEA コレオラボやWork It!を実現してきました。一方、ネットワークには共同で意見を表明することやアドボカシーなどの機能もあります。今回は「アジア・ネットワーク・フォー・ダンス(AND+)」に参加するため来日されましたが、AND+についても少し教えてください。
 AND+はアジアのコンテンポラリーダンスに特化したクローズドな組織で、メンバーになれるのはAND+から参加を要請された人だけです。メンバーの多くは比較的大きな劇場やフェスティバルのプログラムを担うプロデューサーで、シンガポールのDance Nucleusをやっているダニエル・コック(Danie Kok)、今回は来日しませんでしたがエスプラナードのフェイス・タン(Faith Tan)、インドネシアのジャラ・アドルフス(Jala Adolphus)、香港のアナ・チャンなど15名。資金力のある組織ではなく、メンバーはそれぞれ自費で参加していて、年2回会議があり、任期は3年です。コンテンポラリーダンスの優れた、高い水準のプレゼンテーションに関連する問題を議論することに焦点を置いてます。また、今日的な課題として、ダンスコミュニティにおける道徳的なガイドラインを作成することにも取り組んでいます。日本やオーストラリアのようなところでは既に活用されているガイドラインがあると思いますが、東南アジアには全くありません。他にはコンテンポラリーダンスにおけるレジデンスやクリエイティブな実践のあり方についても話しあっています。
 私にとって、これまで関わりを持ってきた諸外国とのネットワークはとても重要で、これからもそうしたつながりを持つことに注力していきたいと考えています。東南アジアには外部と隔絶された隙間がたくさんあり、そこを埋める人が必要なのです。

──これまでのさまざまな取り組みで手応えを感じていることはありますか。
 私だけでなく、東南アジアのプロデューサーやダンス関係者が様々なプロジェクトに取り組むようになり、東南アジア各国のダンスシーンは10年前に比べてはるかにつながってきていると思います。より多くの人が知り合い、一緒に仕事をするようになっていますし、お互いのプラットフォームのことを知っています。マレーシアに関して言えば、サイトスペシフィックな作品が以前より普及し、私以外にも、「マラッカ・アート・アンド・パフォーマンス・フェスティバル(Melaka Art and Performance Festival)」などがサイトスペシフィックなプロジェクトに取り組んでいます。クアラルンプールの中心部から離れた劇場がない地域に芸術を届けること、そして持っている資源を活用することという2つの点で、サイトスペシフィックはとても有益な試みです。最近は大学でも、こうしたプロジェクトの手法を学ぶ授業が取り入れられています。
 また、私自身が大きく貢献したとは思いませんが、マレーシアのコンテンポラリーダンスが非常にプロフェッショナルになってきたと感じます。それはマレーシア国立芸術文化遺産大学(ASWARA)の功績が大きく、多くの卒業生たちの成果でもあります。
 批評に関しては、かつて批評の場がほとんどなかったことを考えると、私が変化をもたらしたと言えるかもしれません。少なくとも今はクリティックス・リパブリックがあり、評論を書いて載せたいと言ってくれる人たちがいます。誰でも書くことができますが、まず私が読んでフィードバックをして、書き手が修正するというやりとりを何度か経て、ある程度きちんとした形になってから公開します。そうして、ダンスコミュニティにおける批評を、民主的で誰もがアクセス可能なものにしています。マレーシアでは今後も職業としての批評は生まれないでしょうから、言説をつくっていこうとするならば、全ての人が批評に関する対話に参加できると感じる必要があります。そして、実際にその状況が生まれつつあると思います。

──最後になりますが、あなたが実現したい、見てみたいと考える理想のダンスシーンについてお聞かせください。
 振付家や国際的なダンスシーンではあまり支持されない考え方だと思いますが、私は必ずしももっとツアーが増えると良いとは考えていません。作品は特定の文脈を念頭に置いてつくられ、その文脈において意味を持つと考えているからです。マレーシアの作品はほとんどの場合、海外で公演することはありませんが、それは作品そのものがマレーシアを越えた広い地域の文脈に合うものではないからです。マレーシアの振付家やダンサーに、海外でたくさん公演するような作品を期待するのは不公平です。別のフェスティバルへの招聘や海外公演を作品の評価基準にして、資金を提供する側がそれに向けてプレッシャーをかけるのはダンスそのものに対する不当な扱いだと思います。なぜなら、ローカルな観客のためにダンスをつくること、そしてローカルな観客にダンスを見せることこそ正当に評価されるべきだからです。
 作品の内容面で言えば、私はコンセプチュアルな作品には興味がありません。確かな技術やトレーニングに基づくもの、ある伝統に基づくもの、それは伝統舞踊やバレエのような動きのボキャブラリーなどによるものかもしれませんが、あるひとつの伝統の文脈に沿うものに価値を見出しています。でなければ、マレーシアではコンテンポラリーダンスは根っこのない、アクセス不可能なものになってしまうからです。既に確立されたダンスシーンがある国であれば、高度なテクニックを駆使したダンスは見飽きてしまうことでしょう。ですがマレーシアでは、しっかりしたテクニックに基づくダンスは未だに評価されているのです。そのことは私たちにとって恩恵だと思いますし、恥じる必要はないと考えています。
 
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