The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
宮城聰
宮城聰
撮影:加藤孝


SPAC-静岡県舞台芸術センター
https://spac.or.jp/

ふじのくに⇄せかい演劇祭2021
(2021年4月24日〜5月5日)
https://festival-shizuoka.jp/

くものうえ⇅せかい演劇祭2020
https://spac.or.jp/festival_on_the_cloud2020
SPAC『ハムレット』
(2021年2月6日、7日/会場:静岡芸術劇場)

撮影:平尾正志
ハムレット
ハムレット

撮影:猪熊康夫
ハムレット
*1 SPACの劇配!
コロナ禍を受けてSPACが2020年6月から実施したコミュニティに演劇を届ける企画(でんわde 名作劇場は「くものうえ⇅せかい演劇祭」からの継続)
写真提供:SPAC

◎でんわde名作劇場
自宅にいながら、電話で俳優による名作の生朗読を聴くことができる企画。朗読と併せて短時間の雑談も可能。
でんわde名作劇場

◎噂のSPAC俳優が教科書朗読に挑戦!
俳優が静岡県内の小・中・高等学校で使用されている国語の教科書の掲載作品を朗読し、動画をインターネット配信。学校教育の教材としても活用され、給食の時間など校内放送プログラムとしても実施。
教科書朗読に挑戦!

◎SPACアートおとどけ工房
SPACの舞台創作家が考案した工作レシピを公開し、学校などに出向いてのワークショップを展開。
アートおとどけ工房

◎SPAC出張ラジヲ局
俳優が小型電波発信器機をもって高齢者福祉施設などに出向き、入居者や職員が窓越しに俳優のパフォーマンスを見ながら、館内放送やラジオなどで名作の朗読を聴くという非接触型企画。
撮影:中尾栄治
出張ラジヲ局

◎音芝居
小学校・特別支援学校・児童クラブ向けの作品として創作されたもので、セリフを使わず、楽器を用いて会話する作品。
音芝居
国際共同制作作品『みつばち共和国』
(2020年10月/静岡県舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」)
日本語台本:能祖將夫
撮影:三浦興一
AND+(アジア・ネットワーク・フォー・ダンス)
*2 『ポントの王ミトリダーテ』
ベルリン国立歌劇場によるバロックターゲ(バロック週間)2020のオープニング作品として2020年11月に公演を予定。ベルリンのロックダウンにより2021年2月に延期。2度目のロックダウンにより2022年に再延期された。ベルリン国立歌劇場が日本人演出家を招くのはこれが初めて。
指揮:マルク・ミンコフスキ
演出:宮城聰
空間構成:木津潤平
Presenter Interview
2021.4.7
Satoshi Miyagi Interview   The “with corona” perspective 
with コロナの視点 宮城聰インタビュー 
新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年2月下旬から日本中の公立ホール・劇場の事業は次々中止に追い込まれた。そんな中、宮城聰が芸術総監督を務める静岡県舞台芸術センター(SPAC)では、中止になった「ふじのくに⇄せかい演劇祭」(2020年4月25日〜 5月6日)に替えて、急遽オンラインによる「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」を実施。また、コロナ禍での事業として2020年6月からは「SPACの劇配!」と題したさまざまな事業を行った。コロナ禍の受け止めから、野外劇3本立てで挑む2021年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」まで。宮城聰のwith コロナの視点を昨年6月、今年3月の2度に渡ってインタビューした。
聞き手:坪池栄子

オンラインによる「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」の開催

──まずは新型コロナウイルス感染症の影響と、この事態をどのように受け止めたかをお聞かせください。

 2020年2月に『メナム河の日本人』を中止した時点では、まさかこんなことになるとは思っていませんでした。当時は、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)と言っても、横浜港に到着した「ダイヤモンド・プリンセス号」の情報ぐらいしかなく、劇場で自分たちが行っている公演と繋がりませんでした。しかし、その後、ヨーロッパで爆発的に流行し、その上、かの地では非常に致死率が高いことがわかり、これは全地球的な危機なんだと認識が一変しました。
 そこで初めて、これは今まで考えたこともなかった問題が起こっているのではないかと思い至りました。同じウイルスなのに人によって感受性が異なり、死ぬ人もいれば無症状の人もいる。劇場を運営している人間として、このような事態にどう対処していいか前例がないと思いました。じゃあ、リスクの高そうな人を2階席に案内すればいいのかとか、でもそれは逆に差別なのではないかとか。僕が以前からよく言っているように「演劇はあらゆる分断を縫合するためにある」のに、新型コロナによって劇場の中に分断が持ち込まれてしまった。いくら考えても、劇場に持ち込まれた「ウイルスに対する感受性の違い」という分断を縫合する方法が浮かびませんでした。それは「過去の知恵の蓄積」である演劇にも描かれたことのない難しい宿題だと思いました。
 一方、世界は新型コロナという敵に対して自分たちを守るという単純化した図式、ドメスティックなメンタリティに傾倒していきました。ウイルスという敵が共通のメタファーになり、外部から自分たちを守ることが正義になっていった。いつのまにか「新型コロナに負けるな!敵と戦うために一致団結せよ」みたいなサンダーバード的な構図になっていた。SPACのスタッフにも子育てをしている人がいるし、いつのまにかその構図に疑問をもてなくなっていました。
 俳優たちは誰よりも感染症対策をし、家に帰っても家族と2メートル離れているような生活をしていましたが、じゃあ、稽古に来る途中で贔屓のお客さんに会ったら遮ることができるのか。俳優という仕事をしている限り、絶対に感染しないとは言いきれないと思いました。稽古場からクラスターが発生するリスクを考えると、人が集まる稽古はできない。ましてやSPACは県立劇団なので、そこからクラスターが発生したら演劇界そのものが大打撃を受けます。それで、「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で発表する予定で3月17日から稽古を始めていた『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』の中止を決断しました。

──4月3日に「ふじのくに⇄せかい演劇祭」の中止を発表し、10日にはオンラインによる「くものうえ⇅せかい演劇祭(以下、くものうえ)」の開催を発表します。くものうえの開催に至った経緯を教えてください。
 『おちょこ‥‥』の稽古を中止した辺りからいろいろと考えていました。稽古自体ができなくなったので、無観客の本番をオンライン配信することもできない。世の中の人は演劇がなくても誰も困らない。そのことに対して演劇人が反論しても溝が広がるばかり。じゃあ、どうしたらいい?と俳優たちに投げかけました。演劇が必要な人間が社会の中に存在することをどうすれば伝えることができるのか。それも県立劇団として納税者に納得してもらえる形で何ができるのか。こういう時には受け身にならずに、ジタバタするほうが思いは伝わるので何か考え出そうと話しました。
 そうしたら、60ページぐらいの膨大な企画が集まった。みんな相当な危機感を持っていたのだと思います。企画を分類したら、高齢者やIT弱者向け、演劇に限らないオンライン・コンテンツ視聴者向け、SPACのコアなファン向け、子ども向けという感じになりました。彼らが提案した企画もブロッサム企画として加えて、「くものうえ⇅せかい演劇祭」を行いました。

──短期間に約50プログラムも実施されましたが、それこそITが苦手な演劇人なのでチャレンジングなことばかりだったと思います。その中に、舞台を収録した既存の映像コンテンツの配信がほとんどなかったのが印象的でした。
 ひとつ、僕らにとって励みがあったとすると、世界中の演劇人がほぼ同じ状況に置かれていたということでした。イギリスもフランスもロシアもブラジルもみんな同じ。演劇人はバーチャルな世界で満足できないから演劇をやっているわけです。「生だからいいんだ」という信心のようなものがある演劇人が、それを取り上げられたという点では、地球上の演劇人はみんな同じスタートラインに立っている。そこは逆にフェアで、誰かの後追いをするのではなく、みんな横一線でスタートを切ったという感じはよかったと思います。
 舞台映像を配信することに関しては、海外の演出家にも拒否感がありました。それをやったらお終い、最後の砦がなくなるみたいな感覚だったと思います。でもオリヴィエ・ピィだけは別でした。彼は、「宮城さんや僕らの時代はそろそろ終わるんだよ」と。劇場に行くには交通費もかかるし、チケット代も高い。これからはもっとプアな人たちの時代になるから、映像でしか見られない人も多くなると。でも、ピィさん以外はみんな嫌がりましたね。
 今のような状況では、2年ぐらいお客さんは戻ってこない。だから俳優にもスタッフにも、従来型でできることを探すという発想をやめようと話しました。そうではなくて、生の舞台というメインのバトルフィールドとは別のところに品揃えを広げていく必要があると。「くものうえ」はそのための経験になったし、ここだけは絶対譲れないところを炙り出す作業にもなりました。

──宮城さんは生の舞台を「カニ」、オンライン配信を「カニカマ」に例えていらっしゃいましたが、オンライン・プログラムの中で手応えを感じたものはありましたか。
 俳優が電話で名作を朗読する「でんわde名作劇場」はとても手応えがありました。これは映像配信だけはやりたくないと言っていたコリーヌ国立劇場芸術監督のワジディ・ムアワッドが考えたプログラムをヒントにしたものです。実際に電話で朗読した俳優たちがみんな、とても感動したと言うんです。これだけ自分の仕事を喜んでもらったことは人生の中でなかったぐらいだと。電話の相手の息遣いとかも聞こえてくるし。僕も後で気付いたのですが、そこには生の俳優と観客がいて、その一期一会の関係の上にしか存在しない現象がある。毛ガニやタラバガニではなく、沢ガニぐらいの小さなものだけど、カニカマではなくカニだった(笑)。すごく小さなものかもしれませんが、そこには演劇の本質があったのだと思います。


SPACの劇配!

──「くものうえ」の成果を受けて、2020年6月からコロナ禍の事業として「SPACの劇配!(以下、劇配)」(*1)をスタートします。具体的な取り組みや、事業の中で感じたことなどを教えてください。

 劇配のプログラムでSPACの俳優が小・中・高等学校に行き、給食の時間に放送室から本気の朗読を流しました。これがとても評判が良かったんです。喋ってはいけないから、給食の時間がまるでお通夜のようになっていたのですが、それが朗読を楽しむ演劇的な時間に変わった。俳優は、いつもは演劇を見るためにわざわざ劇場に来る、演劇を受け入れる態度のある観客を対象にしています。でもそうではない児童、生徒を対象にするのは自分が人生をかけてやってきたことが届くかどうかを試されている気持ちになる。放送室の機材について、放送部員がSPACの俳優に教えてくれたり。その関係がとてもいいなと思いました。

──給食劇場ですね。
 その通りです。給食劇場と「でんわde名作劇場」はレギュラーのプログラムとして、来年度も継続していこうと考えています。

──給食劇場もその他の劇配プログラムも、収録したものを流すのではなく、基本的にライブで実施しています。つまり生の時間を共有しているから相互作用があり、宮城さんが言うところの現象(=演劇的時間)が生まれている。コロナで劇場の演劇的時間は奪われましたが、生活の中に演劇的時間が介在する不思議な余地が生まれた感じがします。
 同感です。今、YouTubeやpodcastなどで音声コンテンツが流行っていますが、あれは視聴する側がライブに影響を与えることができない。ITにより発信するテクニックが向上し、メディアが増え、視聴者はそれをどう楽しんでもいいのですが、上演に影響を与えることはできません。それは発信するテクニックが向上した果実ではありますが、視聴者に聴く技術が求められないというか、本来だったらコミュニケーションがあるはずのところにコミュニケーションが欠落してしまっていると思います。
 SPACの俳優がやっているのはそういうことではなく、コロナによってコミュニケーションが失われてしまった隙間に束の間のコミュニケーションを持ち込むようなことです。SPACの俳優は発信すると同時に、聴いてもいる。「でんわde名作劇場」もそうですが、ちょっとした息遣いとか、相手から出てくる情報を必死で聴いている。それによって朗読が全く変わると俳優たちは言っています。ですから、ラジオで放送する朗読に似ているように思うかもしれませんが、それとは異なる双方向性があり、同じことは2度と起こりません。
 この相手から出てくる情報を聴く技術というか、聴く能力が、今、すごく蔑ろにされているように思います。新しいテクノロジーが出てきたことで発信することばかり上手になって、それが上手な人にみんな憧れて、自分も発信する能力をもっと高めようとするけど、聴く技術、聴く能力がおざなりになっている。そういう中で、SPACの俳優たちは細い道だけど相手から出てくる情報を最大限受け止めようとする。これが俳優の俳優らしいところだと思います。コミュニケーションが突然消滅した場所にその能力を持ち込んで努力し、束の間のコミュニケーションを回復しているのです。

──宮城さんの演出は、二人一役、つまり一つの役をムーバーとスピーカーの二人に分けるスタイルです。そのためSPACの俳優は普通の演出以上に舞台で聴くことを求められてきた。一人一役だとその役をうまく演じることに注力するのが当たり前ですが、二人一役であることで俳優はその役を「自分」が演じるのではなく、その役の一部を担う媒体のようになっている。それが聴く能力を高める結果に繋がったのかもしれませんね。
 遠回りかもしれませんが、聴く力というのを蘇らせていくのが演劇の役割であり、大きな鉱脈のような気がしています。上手なプレゼンの仕方を紹介する動画がアップされていて、それは表情や滑舌など演技と似ているところを求めていたりしますが、プレゼンはあくまで発信の技術です。でも演技は聴く力が基本で、耳だけではなく、相手から出ている情報を全身で聴き、自分への影響を最大化する。それこそ演劇が与えることのできる力ではないかと思います。

──その聴く力についての考え方は、宮城さんがかつて一人芝居をされていたことと関係がありますか。
 あります。僕が一人芝居をしていたのと、その後に始めた二人一役という演出は鏡の裏表のような関係にあります。一人芝居では自分という俳優しか使えない、自分がうまく話せる日本語でしか届けられないということに限界を感じました。一方で、当時やっていた一人芝居は自分について語る作品ではなかった。だから自分は透明というか、牛乳ビンのようなもので、それ自体はお客さんにはむしろ見えない方がいい。瓶の中に入っているものだけがお客さんに届くのが究極の形だと思っていました。宮城という窓があって最初は窓の形が見えているけど、そのうちその形を意識しなくなって、観客と世界がダイレクトに繋がるようなことをやりたかった。二人一役も同じで、俳優が窓になり、観客が窓の向こうと繋がる、俳優が媒体になることを目指していました。


リモートでの演劇創作

──2020年10月に『みつばち共和国』で一般の観客を入れてSPACの劇場を再開します。 これはセリーヌ・シェフェールさんが演出した作品の日本版をつくるというもので、セリーヌさんがフランスからZoomでリモート演出しました。SPACの俳優は、マスクを着用し、ソーシャルディスタンシングをしながら静岡の稽古場に集まって稽古しました。

 公演が再開する前、実は考えたことがありました。当初はもう少ししたら普通に稽古ができるようになると楽観的に思っていたのですが、5月ぐらいに「3密を避ける」という感染症対策の方針が出た。演劇は3密そのものだから、それは演劇をするなというのに等しい。演劇人は絶望しましたし、僕も最初はそうでした。
 でも、アレ、歌舞伎は相手の役者に触らないな、立ち回りでも触っていないと気付いたんです。考えてみると、古代ギリシア悲劇も広い舞台に最大で3人しか立っていないし、みんな観客の方を向いて喋っている。コロスの部分だけは少し密だったかもしれませんが、俳優同士向き合ってもいないし、ソーシャルディスタンシングしているし、当時は仮面というマスクもしていた。古代ギリシア悲劇というのは「ウィズ・コロナ様式」ではないかと思いました。能も同じで、昔からある芝居は3密ではなかったんです。
 そう考えてみると、シェイクスピアの時代にもペストが2度も大流行して、その中で芝居をやっていた。ロンドンの劇場が閉鎖されても地方の劇場でやっている。演劇は疫病とともにあり、疫病の中で演劇が衰退することはなかった。シェイクスピアの劇場は半野外ですが、屋内劇場ではロウソクや灯油ランプを灯し、それほど衛生的な環境ではなかったと思います。でも、19世紀後半には電気が普及し、劇場の中でも白熱電球が使われるようになり、衛生的で安全な空間になっていった。そうして舞台上で行うことも普段の家庭でやるような振る舞いに変わっていった。それは進歩でもあったけれど、ひ弱になったという見方もできる。今回のコロナ禍で3密を避けなければならなくなり、逆にかつての古代ギリシア悲劇のようなたくましい、図太い演劇を蘇らせる好機かもしれないと思いました。
 それで『みつばち共和国』では濃厚接触なし、セリフを話す場合はマスク着用もしくは録音という形で徹底しました。SPACとしては2月の『メナム河の日本人』(演出:今井朋彦。2月29日以降の公演中止)以来の稽古で、最初は若干もどかしい感じでしたが、演出家は徐々にリモートでも芝居ができあがっていくのを感じられるようになっていきました。
 生の俳優が観客と向き合っているのをリモートで観察する感じで、肉体と肉体が向き合って喜びの空間が生まれるのをリモートでも窺い知ることができた。例えれば、平安時代に手紙で恋愛するのと似ていて、実際の肉体の経験があれば、その手紙の文字からさえも相手の肉体が立ち上がるのを想像できる。これは一種のリテラシーだと思いますが、演劇人は自分の身体を使って世界と共鳴する訓練を行っているので、リモートになっても共鳴する感覚を蘇らせることができる。代替手段からも本物を想起できる能力というか技術を、蓄積していたのだと感じました。ですから、今はリモート演出のような取り組みにもある程度の可能性があると思っています。

──リモート稽古の様子がSPACのHPで詳しくレポートされています。距離をとっているとはいえ、俳優が稽古場に集まっているのでそこには一定の現象が起こっている。距離をとっているから逆に現象が増幅されている。加えて、リモート稽古なので、通常は演出家が稽古場にいるとそれだけで生まれてくる特権が奪われているというか、感情的な演出ではなく距離をもって観察する観察者になっているように思いました。そこに、リモート演出の可能性を感じました。
 演出家というのは自分のこだわりを作品に刻印していくことが大事だと思ってやっているところがあります。リモート演出だと画面から伝わるものに集中せざるを得ないから、もっと客観的になれますよね。

──コロナ禍での上演では、大声で発声しないためにマイクを使うことも多くなりました。マイク使用についてはどのように考えていますか。
 SPACでは発声する俳優から客席までの距離を5.5メートルと決めました。本気で舞台用の発声をすると相当飛沫が飛びますが、マイクをつけているとモニタースピーカーから自分の声が聞こえてくるので声量をセーブしやすくなります。俳優にとってマイクは一種のリミッターのような働きをしていると思います。サポートとしてマイクというテクノロジーを使っても、俳優が身体全体を使って表現しているので、観客にはきちんと届いていると思います。


ベルリン国立歌劇場『ポントの王ミトリダーテ』

──宮城さんはベルリン国立歌劇場からの委嘱により、『ポントの王ミトリダーテ』(*2)を演出して11月に公演する予定でした。しかし、ベルリンのロックダウンで2月に延期。その後、2度目のロックダウンで再び延期になりました。昨年10月3日にドイツに渡航されましたが、コロナ禍での創作はいかがでしたか。

 他の国が劇場をいつ再開できるかわからないと言っている中、ドイツは9月・10月シーズンから再開すると早々に決めて、そのための準備を5月頃からコツコツとしていました。日本でも公演ができなくなり、フランスやロシアで予定していたSPACの海外公演も中止になりましたが、ドイツだけは10月から稽古をはじめるために大道具さんとか、衣装さんとかが淡々と仕事をしている。訳もわからない状況の中で、ひとつだけでもコンスタントに動いている企画があるというのは精神の安定に役立ちました。
 7カ月ぐらい静岡から出ていなかったのですが、渡航許可を受けるために東京のドイツ大使館に行きました。ドイツに渡り、稽古がはじまり、初心にかえって国際共同制作がなぜ必要なのかということを考えました。パンデミックでどこの国も国境を閉ざしている。どこの国の人でも危機に直面すると、同質な人間とだけ一緒に暮らしたいと思うようになる。防衛本能で不確定なもの、未知のものを受け入れるのはリスクが高いと感じ、排外的な気分になるわけです。そうして新たなものと出会えなくなると、芸術は衰退してしまいます。劇場というのは社会の中に外部を受け入れる窓口であり、社会が排外的な気分になっている時でも、劇場があればそこは外部に開かれているはずです。例えば『ミトリダーテ』では、主役のミトリダーテはニュージーランドのマオリ族のテノール歌手です。そうやって278年の歴史があるベルリン国立歌劇場が窓口になり、異なる価値観をもったアーティストを受け入れ、切磋琢磨してオペラが民族の芸能ではなく現代芸術であることを実践する。コロナ禍だからこそ、そういう窓口としての機能を日本の劇場も意識しなくちゃいけないと思いました。

──宮城さんの演出プランは感染症対応で変わりましたか。
 先ほど言ったように、夏ぐらいから古代ギリシア悲劇も歌舞伎もウィズ・コロナ様式だと考えるようになっていたので、『ミトリダーテ』もその王道のやり方にすればいいと考えていました。舞踊のシーンで密にならざるを得ないときはマスクを使いましたが、基本的に歌手と歌手は離れて観客を向いて歌う。お互いに触りもしない。離れていながらどれだけ愛し合っているかを表現するには、パワーも技術も必要になる。そのことが歌手にとっても課題になり、みんな同じ方向に向かって努力できたと思います。

──空間構成はSPACの美術を担当している木津潤平さんですが、美術プランが感染症対応で変わったところはありますか。
 『ミトリダーテ』は、モーツアルトが初めて書いたオペラ・セリア(正歌劇)で、伝統的な形式をしています。コロナになる前から、形式ばかりで人間と人間の生々しいやりとりに乏しい、古臭いスタイルだと思われているこのオペラ・セリアを現代に蘇らせたいと思っていました。それで歌舞伎の舞台のような平面的な装置を木津さんとプレゼンしました。階段状になっていますが、歌手は前後にはならずに基本的に横に並ぶ。意図したわけではありませんが、結果的にコロナに対応したセットになっていました。


「ふじのくに⇄せかい演劇祭2021」

──「ふじのくに⇄せかい演劇祭2021」(4月24日〜5月5日)の開催が決定し、プログラムが発表されました。

 先ほども話しましたが、コロナの影響で社会全体がどれだけ排他的になっても、芸術あるいは劇場だけは外に対して開いていなければ存在意義がなくなります。そうしないと社会が脆弱になり、ポキッと折れてしまう。しなやかな社会を保つためには他者を受け入れる仕掛けをもっていなければならないのですが、今の状況だと大人数の引越し公演は現実的に困難です。では、その上で海外のアーティストの価値観をどうすれば受け入れられるのか──。
 僕は1959年生まれですが、子どもの頃を思い出すと、引越し公演ができるほど日本は豊かではなかった。それでも海外のアーティストは来日し、例えばカラヤンはたった一人で来て、日本のオーケストラを指揮したわけです。たった一人のアーティストの肉体を覗き込み、異なる価値観、異なる世界観を抽き出し、ここには自分たちにないものがあるとひとつの井戸から一生懸命汲み上げようとした。とりあえずはそういうやり方で一人でもいいので招聘し、他者性を提供したいと思っています。
 ただ、演劇祭は4月末スタートなので、今の状況だと海外からアーティストを招聘するのは難しい。せめて一人芝居をプログラムしたいと思ったのですが、舞台に立つ俳優を海外から呼ぶのはリスクが高すぎる。それで、イタリアの演出家のジョルジオ・バルべリオ・コルセッティさんが2018年に東京芸術祭で日本キャストと上演した『野外劇 三文オペラ』の静岡版をつくることにしました。この作品なら、一度演出しているのでコルセッティさんが来日できなくなったとしても、『みつばち共和国』と同じようにリモートで演出できるからです。
 東京芸術祭のときにコルセッティさんが演出する様子を見ていたのですが、俳優に対する愛し方が僕ら日本人の演出家とどことなく違うんです。あの俳優はこういうことができるから、こういうキャラクターだからいい俳優だといった評価をするのではなく、その存在を丸ごと愛するんです。それは彼の個性によるところが大きいのですが、ちょっと単純な言い方をするとイタリア人的というか、本当に家族のように愛する。彼なら仮にリモートになったとしてもZoom上の日本の俳優たちを相変わらず愛してくれるのではないかと思いました。駿府城公園の特設会場でやりますが、ふらっと野外劇を見に来てくれた人に、生身の俳優の肉体を見るって面白いなと感じてもらえるものになるのではないでしょうか。
 それから、静岡県舞台芸術公園の野外劇場で昨年中止した『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』(作:唐十郎、演出:宮城聰)を、駿府城公園でSPACの『アンティゴネ』をやります。すべて野外劇です。野外なら何となく劇場に足が遠のいている人も少しは気を楽にして見に来てもらえるのではないかと思いました。とにかく、今年は何とかして配信ではなく、生の芝居をやりたかった。生身の肉体を見てもらいたかった。そのためにどうすればいいかを考えました。

──海外プログラムでは、11月にフランスからイリーナ・ブルックが日本で滞在創作をする新作が予定されていますね。
 2021年10月から2022年3月まで日本におけるフランス祭「ラ・セゾン」が開催されます。これは2018年6月からパリを中心に開催された大規模な日本芸術祭「ジャポニスム」に対応する外交行事です。ジャポニスムで公演し、お世話になったSPACとしてはフランスの芸術を日本で紹介する役に立ちたいと思い、今年の秋からフランスに関する作品をまとめて上演することにしました。『みつばち共和国』(10月)、ダニエル・ジャンヌトーさんが演出する『桜の園』(11月〜12月)、ヨシ笈田さんと伊藤郁女さんがフランスでつくった『綾の鼓』(12月)、そしてイリーナさんを招く『House of Us〜ハムレット/孤独な影(仮題)』(11月)です。
 イリーナさんの父親は大演出家のピーター・ブルック、母親はナターシャ・パリーという有名な女優さんです。イリーナさんから見えていたナターシャは、劇場、自宅、自分の部屋を往復するような、引きこもりのような人だったそうです。イリーナさんが舞台芸術公園に来てくれた時に、ここならずっと表現したいと思っていたナターシャさんのことが作品にできるのではないかと言われました。自然の中に小さな建物がいくつもあり、劇場があり、ナターシャさんの心の中の世界が見取り図のように表現できると感じたようです。それを聞いてとても面白いと思いました。ここでナターシャさんの体内がそのまま展開され、胎内巡りのようなことになるのではと思いました。一人か二人しか生の俳優は出なくて、観客も少人数で歩いて回るような作品になると思います。最初は3カ月ぐらい滞在したいと言っていましたが、今の状況だと3週間ぐらいになりそうです。舞台芸術公園というおヘソみたいなところからとっても細いトンネルが世界に繋がっている、細い回路が日本と世界の間に繋がっているみたいになればいいと思っています。

──新しいプロジェクトとして高校生を対象にした「SPAC演劇アカデミー」を2021年度からスタートすることが発表されました。最後に、演劇アカデミーへの思いをお聞かせください。
 今の日本では、大学より前にとがったところが平準化されて、大学に入ると学生演劇などですぐに表現すること、アウトプットすることが求められる。でもそれでは表現者として長続きしないのではないか。だから、それを逆にしたいと思いました。
 高校生の15歳から18歳の時にたくさん刺激をうけてとんがったところはとんがったまま美意識の基礎をつくり、大学生の18歳から22歳はアウトプットではなくインプットをする。それも演劇だけではなく、哲学、政治、経済、自然科学、語学など幅広い知識や思想の方がいい。本当に表現したい人たちは20代半ばぐらいからアウトプットの場に参入しても十分間に合います。そういう考え方の端緒として、高校生のための演劇アカデミーをはじめることにしました。
 15名の少人数制で、学校の枠とは関係なく募集します。週3回ぐらいSPACに通ってもらい、素晴らしい作品を見たり、面白いというか変な芸術家に会ったり、いろんな座学を受けたり。そして何よりも大切なのは、刺激を与え合える仲間をつくって欲しいということです。今はいわゆる同調圧力が強くてなかなかはみ出すことができませんが、ここで芸術家のような変な大人と出会って、こういう人でも生きていけるんだというか(笑)。そういうとんがったままでいられる場所をつくりたいと思っています。
 
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